※本稿は、堀田秀吾『とりあえずやってみる技術』(総合法令出版)の一部を再編集したものです。
■意識したことが目につきやすくなる脳のクセ
ある日「赤い車がほしいな」と思った瞬間から、通勤途中にやたらと赤い車ばかり目に入る。これと似たような経験はないでしょうか?
これは「頻度錯覚」と呼ばれる現象で、脳の選択的注意によるものです。
人は一度意識した情報に対して、自然と注意を向けてしまう傾向があるのです。
いったん気にし出すと、特定の情報が急にあちこちで目につくように感じるこの現象は、一般に「バーダー=マインホフ現象」とも呼ばれます。
この現象は、「選択的注意」と「確認バイアス」が組み合わさったものとして説明されます。
選択的注意で特定の対象(赤い車など)に注意が向きやすくなり、確認バイアスによってそれが実際よりも頻繁に起こっているように感じるのです。
スタンフォード大学の言語学者アーノルド・ズウィッキーが、この認知現象を「頻度錯覚」と名付けて説明しました。
■自己否定のための材料も探してしまう
これは、日常的な情報処理では便利な仕組みです。自分にとって関心がある情報に効率よく反応できるため、脳のリソースを節約できます。
しかし一方で、この仕組みが気にしすぎの原因にもなります。
たとえば、「自分はダメな人間だ」「人と比べて劣っている」といった否定的な自己イメージを一度持つと、それに関連した情報ばかりが目に入りやすくなります。
そうして、誰かの何気ない一言や、すれ違いざまの視線すら、「やっぱり自分は変だと思われているのかも」と解釈してしまうのです。つまり、自分の欠点や不安に色がついたフィルターで世界を見てしまうような状態に陥るのです。
このようなバイアスが強く働くと、現実の出来事よりも「自分の脳が拾い集めた都合の悪い証拠」ばかりが心に残ってしまい、自己否定や過剰な羞恥感を生み出します。
■肯定的な出来事を意識して拾うトレーニング
この現象に対処する鍵は、「脳は探しているものを見つける性質がある」と理解することです。
つまり、「自分には価値がある」「できていることもある」といったポジティブな意識を持つことで、今度はその証拠が自然と目に入りやすくなるということ。
今日1日のなかで「誰かに感謝された」「少しでも前進したことがあった」など、肯定的な材料を意識して見つけるだけで、頻度錯覚の向きが変わります。
これは一種の「注意のリトレーニング」とも言えます。思考を無理にポジティブに変えようとするのではなく、何を見るかを選び直すというアプローチです。
私たちは、世界をありのままに見ているようでいて、実際には自分の関心によって切り取られた世界を見ています。だからこそ、何を気にするか、どこに注意を向けるかを少し意識するだけでも、「気にしすぎ」から距離を取ることができるのです。
■自分の一大事は他人にとっての瑣末事
言い間違い、ミス、恥ずかしい振る舞い。
何日も引きずってしまうような出来事が起きたとしても、もしかすると、周囲の人にとってはもう記憶にも残っていないかもしれません。
私たちは、自分自身の失敗や不完全さに敏感です。ただそれは、自分の感情に四六時中アクセスしているため当然のことです。
緊張している、恥ずかしい、やってしまった。
そうした感情の強さゆえに、その出来事を重大なものと感じてしまうのです。
しかし、他者の視点はまったく違います。
たとえば、あなたがプレゼンで言葉に詰まった場面。自分では「ひどい失敗だった」と思っていたとしても、聞いていた側は「緊張してたけどがんばっていたな」程度で済んでいることがほとんどです。それどころか、数時間後にはそのこと自体を覚えていない可能性すらあります。なぜなら、他人の頭のなかには「あなたの人生のストーリー」など存在しないからです。
人は皆、自分自身の生活、問題、感情に忙しく、他人の失敗を主人公視点で見ることはありません。むしろ、他人の失敗は「その人に起きた一つの出来事」、つまり単発のエピソードとして処理されるのが普通です。
■他者の中では「終わった出来事」になっている
これは、自己奉仕バイアスと関係があります。
自分の行動については「状況のせい」と考えがちですが、他人の行動は「その人の性格や能力」として捉えやすい。このバイアスの裏返しで、私たちは「自分の失敗はみんなの印象に残る」と思い込みやすいのです。
しかし実際には、他人の記憶において、あなたの失敗はその日の出来事の一つでしかありません。つまり、あなたにとっては未完了の痛みであっても、他者にとっては完了済みの出来事なのです。
この視点は、ツァイガルニク効果と対照的です。自分のなかでは整理できていない失敗でも、他者のなかではもう終わった話として記憶が閉じている。そこに気づくだけで、なぜ自分だけが引きずってしまうのかという苦しさが少し軽くなります。
だからこそ、次のように考えてみてください。
「この失敗は、他人にとってはドラマのワンシーンのようなもの。どうせすぐに別のエピソードに上書きされていく」と。
人はみな、日々たくさんの場面を見て、記憶して、忘れていきます。
他人の失敗にいちいちこだわり続けている人は、実はほとんどいません。
■人の目を気にするのは人類の生存戦略だった
私たちは日常のさまざまな場面で、他人の目を意識しながら生きています。
しかし、それは単なる気にしすぎではありません。
進化心理学の観点から見ると、他人の評価に敏感であることは、かつての集団生活で生き残るための適応的戦略でした。
人類は、何十万年ものあいだ小さな集団で暮らし、集団に受け入れられることが生き残るうえで重要でした。そのため、「どう見られているか」を意識する能力が脳に組み込まれていったと考えられています。他人の評価=集団からの受容であり、受け入れられることは生存に直結していたのです。
こうした理由から、現代においても否定的な評価に対して過剰に反応しがちですが、もはや集団からの排除が命に関わる時代ではありません。
この進化のギャップが、「気にしすぎ」の根本にあるとも言えます。
そこで重要になってくるのが、評価に対する反応の「距離の取り方」です。
■「いずれ過ぎ去る一場面にすぎない」と考える
ミシガン大学のクロスらは、被験者にストレスのかかる出来事を思い出させたうえで、自分の名前を使って自己に語りかける「第三者的な視点」を取らせたところ、ストレス反応と否定的な自己評価が有意に低下したことを報告しています。
この研究は、他人の評価を受けて動揺したときに「私はこう感じている」ではなく、「○○(自分の名前)はいまこう感じている」と、少し引いた視点で自分を見ることが有効であることを示しています。
また、カリフォルニア大学バークレー校のブリュールマン=セネカルとアイドゥクの研究では、過去のネガティブな出来事を「遠い未来から振り返る視点」で考えさせたところ、ストレスやネガティブ感情が顕著に軽減されることが示されました。
彼らは、こうした時間的距離の取り方が「これはいずれ過ぎ去る一場面にすぎない」と考える無常の意識を高め、結果として評価への過敏な反応を抑えるとしています。
さらに、自己評価と社会的評価のギャップに関する研究でも、他人の反応は状況依存であり、一貫性に欠けることが多いということが知られています。
テキサス大学オースティン校のスワンらの研究では、人は「自分はこういう人間だ」と思っているイメージと合った評価を、他人からも受け取りたいと自然に思う傾向があり、そうした一致した評価を受けることで気持ちが安定しやすくなることがわかっています。
■誰にどう思われるかより、自分はどうありたいか
たとえば、占いで「あなたはみんなに頼られる存在だ」と言われると、「やっぱりそうだよね」と納得する人がいます。一方で、自信がない人は、「自分のペースを大切に」と言われると「やった、今日は大人しくしてていいんだ」とほっとするのです。
つまり、評価が大事なのではなく、自分との一致が安心感を生むということです。他人の評価だけを軸にしてしまうと、自分とのズレが生まれ、心が不安定になりやすくなります。
私たちが大切にしたいのは、外側の評価を絶対視するのではなく、自分のなかの軸と照らし合わせて判断する姿勢です。
他人の評価を完全に無視することはできません。
けれど、反応の仕方を選ぶことはできます。
自分の心にいったんスペースをつくり、反応する前に「視点をずらす」。
他人の評価に一喜一憂しないことは、自分を守る知恵でもあります。
誰にどう思われるかよりも、自分はどうありたいか。
これが、気にしすぎから抜け出す確かな道です。
----------
堀田 秀吾(ほった・しゅうご)
明治大学法学部教授、言語学博士
1999年、シカゴ大学言語学部博士課程修了(Ph.D. in Linguistics、言語学博士)。2000年、立命館大学法学部助教授。2005年、ヨーク大学オズグッドホール・ロースクール修士課程修了、2008年同博士課程単位取得退学。2008年、明治大学法学部准教授。2010年、明治大学法学部教授。司法分野におけるコミュニケーションに関して、社会言語学、心理言語学、脳科学などのさまざまな学術分野の知見を融合した多角的な研究を国内外で展開している。また、研究以外の活動も積極的に行っており、企業の顧問や芸能事務所の監修、ワイドショーのレギュラー・コメンテーターなども務める。著書に『特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ』(クロスメディア・パブリッシング/共著)、『科学的に元気になる方法集めました』(文響社)、『最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方』(サンクチュアリ出版)、『図解ストレス解消大全』(SBクリエイティブ)など多数。
----------
(明治大学法学部教授、言語学博士 堀田 秀吾)