三越伊勢丹ホールディングス(HD)元社長の大西洋さんは、2012~2017年の在任中に百貨店の生き残りをかけた構造改革を次々に打ち出した。だが2017年3月、経営陣によるクーデターの形で会社を追われてしまう。
「ミスター百貨店」と呼ばれた男は、なぜ失敗したのか。ジャーナリストの座安あきのさんが聞いた――。(後編)
■「平均400万円」販売員の年収が役員クラスに
百貨店の二大巨頭「三越」と「伊勢丹」が持ち株会社の設立を経て、店舗事業の統合を果たしたのは2011年のことだ。ホールディングスの初代会長兼CEOを務めた武藤信一氏から、伊勢丹社長を任された大西洋さんは業績低迷が続く状況をどうにか打開しようと、三越・伊勢丹をまたいだ構造改革を次から次へと推し進め、12年にはHD社長に就任した。
数々の改革プランの中で、もっとも大胆かつ、もっとも深刻なハレーションを起こしたのが、売り場の販売社員を対象にした成果給制度の導入だった。前編で紹介した「仕入れ構造改革」によって、買い取りで仕入れた商品の良さをいかに顧客に伝え、支持(購買)につなげるか、販売現場を鼓舞するための一体的な制度として導入された。
当時、「平均350万~400万円台だった」(大西さん)という販売員の年収を、実績に応じて最大1000万円台にまで引き上げるという、驚きの内容だった。その結果、実際に初年度の2015~16年、約5000人の販売スタッフの中から役員クラスに匹敵する報酬を獲得した約100人のトップ社員が誕生した。
■トイレにもいけないハードワークが人生の転機に
大西さんは、入社して最初に配属された販売職に並々ならぬ思いがある。社長就任後、「販売員」ではなく、「スタイリスト」という肩書きに改めたのも最前線で働く社員たちに光を当てるためだった。
「販売の3年間は、私にとって間違いなく人生の転機でしたね。百貨店において販売の仕事が一番きつい。
お客さまの立場になってその場で考えて動くし、トイレにもいけない。とにかくきつい。でも、お客さまと接することがものすごく自分の成長につながります。それを教えてもらったのが、販売の仕事でした」
1人で1日30万円以上、年間数千万円~億単位を売り上げるカリスマ販売員が少なからずいた。宝飾品など単価の高い商品は売り上げを達成しやすい一方、アパレル(洋服)はその難易度が高い。富裕層の顧客を抱える外商担当ではなくとも、一般の売り場に立つスタイリストの中に、努力や才能が光る、難易度の高いところでも成果を出す後輩や先輩たちの姿に、大西さん自身が刺激を受けてきたという。
一方で、報酬体系は一般的な企業と同様に、年功序列や終身雇用といった、保守的なヒエラルキー構造の中で適用されている。職種別では外商やバイヤー、管理部門に比べ、売り場の最前線に立つ販売職は低いほうに位置付けられていた。そんな固定化された構図に突然、「下剋上」が可能になる仕組みが組み込まれたのだ。
■顧客300人の名前と趣味を覚えるスーパー販売員も
「優れた販売員というのは、会話の中から趣味やライフスタイルを引き出して、お客さま自身も気づいていなかった、『本当に求めていたもの』を提案することができる。私が一番だと思ったある優秀な社員は、元々食品出身でワインのソムリエなど30以上の資格を自費で取得し、年2回はファッションの勉強のために海外に出かけ、自己投資を惜しまなかった。別の社員は、200~300人の顧客の顔と名前、趣味まで記憶していて、いつも指名される存在になっていました。
そういう人たちに報酬の面で差をつけるべきだと、ずっと思っていました」
この取り組みは大手紙にも大きく取り上げられ、注目を集めた。だが、成果給制度はたった1年で終焉を迎えることになる。
「組合に、不公平じゃないかと他の社員から不満が出たようです。みんな売り上げばかりに集中するようになって、お客さまを見なくなったのではないかと。
例えば、Aさんが接客している時に別のお客さまが来て、先に対応していたお客さまの会計をBさんにお願いする。すると、最終的にBさんに売り上げの成績がついてしまい、Aさんは不満を募らせるというようなことです。もちろん、そんな意図はなかったんですが、最初認めてくれた労働組合も反発し始めて、続けることができなくなりました」
■中間管理職を軽んじてしまった
やる気のある優秀な社員にインセンティブを与えたつもりが、不本意にも、顧客の争奪戦が起きかねない事態になったのだ。目指した適正分配による人材の成長戦略はかなわず、多くの社員にとって、逆にノルマと受け止められるような負担感が生じたのは否めない。ささやかな日常業務の中で、弱肉強食化して仕事が厳しくなり、競争から降りたくなるという群集心理が働いた可能性も浮かんでくる。
一方で、売り場という「現場」に徹底的にこだわりながら、目に見えた改革を次々仕掛けていく大西さんの行動力は、常にメディアの関心の的になっていた。社長在任中に著者として出版した書籍は3冊、テレビや雑誌、新聞が大西さんの動向に張り付くように詳報を報じ、自身も記者の問いかけに積極的に応じた。まだまだSNSが万人には浸透していなかった時代にマスコミを通した発信は今以上に重みと影響力があった。
外部に向け、業界をリードする改革肌のトップ「ミスター百貨店」としてのイメージは、次第に増幅していった。
だが、それとは反比例するように、組織内部では不満が燻り始めていた。
「社長の私が、管理職であるマネージャーに話を聞きにいくと、やっぱりフィルターを通った忖度みたいな話になるので、実際に現場でお客さまと接している人に話を聞きに行くんですよ。今振り返ると、恐らくマネージャーにしてみれば半信半疑にとらえられていると、きっといい思いはしていなかったのだと思います。それは、中間管理職を軽んじてしまったということなのかもしれません。それがわからなかった、私の甘さですよね」
■正月休業を提案した日、トイレの中で…
改革の前進を阻む「人心の壁」は組織の内部にとどまらない、業界全体に共通したものだった。
従業員の働き方改革について話し合う百貨店協会の会合があった日のことだ。かねてから、正月期間の営業時間の短縮や定休日を増やすことを考えていた大西さんは、その必要性や方法について積極的に発言していた。その場では、反対か賛成か、他の人からの意見は出ないまま会が進行した。ところが、休憩中のトイレの中で、後から入ってきた他社の社長らの会話が耳に入ってきた。「大西さん、あんなこと言ってるけどさ、現実的じゃないよね。新宿だからできるんだ」と。

「変えようとしても変えられない。地方の百貨店の若手の社長たちと宴席で会うと、お酒を飲んで自分たちもこうしたい、ああしたい、こうあるべきだって一生懸命話をするんです。地元に熱い思いがある。でも理事会になると、みんな下を向いてしまう。どうしても内向きだから、それも変えなきゃと思っていたのですが、これが現実でした」と大西さんはいう。
たとえ、急進的に見られる改革であっても、メディアを通して世論を味方につけることで、社内や業界から一定の理解や支持が得られてくるのではないか、そんな「甘い考えもあった」と明かす。
■地方店の「改革方針」発言が炎上
そして2016年秋、マスコミの前で語った大西さんのある発言が新聞紙面で報じられたことをきっかけに、社内で突き上げ圧力が一気に強まっていくことになる。投資家向けのアナリスト説明会の席で、伊勢丹松戸店、伊勢丹府中店、広島三越、松山三越の4店舗をあげて「改革方針」に言及したのだ。組合や役員会を経ていない情報だとして、社内から猛反発が起きた。
当時は、そごうが地方の不採算店舗を閉店し、阪急阪神百貨店に一部店舗を譲渡。千葉パルコが閉店し、三菱商事がコンビニのローソンを連結子会社化するなど流通再編が活発に進み、業界地図が大きく塗り替えられ始めていた。地方都市や郊外に店を構える三越伊勢丹にとっても、事業再編は視野に入って然るべきタイミングだった。
だが、メディア発信が先行して物事が既成事実化していくやり方に、蚊帳の外におかれた経営幹部や労働組合の積もり積もった不満が爆発し、「辞任要求」へとつながっていくことになる。
「三越伊勢丹HD社長に杉江取締役経営戦略本部長 大西社長が辞任」
2017年3月6日、日本経済新聞朝刊にこんな見出しのスクープ記事が掲載された。状況から、クーデターに先立った経営幹部によるリークと見られた。この報道を受けて翌7日に緊急の取締役会が開かれ、正式に大西さんの辞任が決議された。
なぜ、自分が辞めなければならないのか。理由を尋ねると、ある社外取締役はこう言い放ったという。
「大西さん、出過ぎたよね」
■ミスター百貨店が語る「失敗の本質」
社長就任の時と同様に、「青天の霹靂」の解任劇だった。だが思い返せば、前触れはいくつもあった。
「これが起こる数カ月も前に、ある雑誌記者から『3月に三越伊勢丹で内乱が起こると耳にしたのですが』という話があったり、私のことを批判する怪文書が出回ったり、昔お世話になった先輩から食事に誘われて『お前、裸の王様になるんじゃないぞ』って、忠告だったと思うのですがそんなことを言われたり。振り返るといろんなことが起きていました。でもその時は、あまり気にしていなかった」と大西さんはいう。
まさに、そこに「失敗の本質」の鍵がある。

組織や業界の構造を「縦から横(フラット)へ」と大転換する急ピッチの改革は、面従腹背を生み、風通しを悪くする結果につながった。そんなギスギス、ドロドロと化していくひずみに、大西さんはとてつもなく疎かったということだ。
多くの、特に規模の大きな組織では、階層や属性をめぐって自らの立場や居場所を守ろうとする人たちの間で、水面下の争いが繰り広げられている。平静を装う会議テーブルの下で、互いの足を踏み合い、椅子から蹴落とそうと画策することが、日本型経営の陰に潜む政治といっても過言ではないだろう。
だからこそ、よっぽど独裁的な性格でない限り、物事を着実に変えていこうとするリーダーは、たとえ時間を要してでも、中間に立つ者を引き込み、根回しし、合議制に基づく総意を演出する中で、目的を勝ち得る民主的な道を選ぼうとする。いつの時代も勝敗を分けるのは「人心掌握」「権謀術数」だろう。
だが、大西さんのアプローチは違った。急激に巨大化した組織で革新を起こすという最難関の壁を前に号令を発しながら、本来、その下で献身的な現場運営を請うべき分厚い「中間管理職」の人心を見誤った。独善的と見られてしまった。それこそが、大西さん自身が認めるトップとしての「弱さと甘さ」の正体ではなかっただろうか。決して独裁的ではない、純粋に百貨店の生き残り、磨き上げに没頭し、売り場づくりに魅せられた類まれな「百貨店マン」だったからこそ、社内政治の泥臭い部分に蓋をし、正義は勝つと信じ込んでしまった節はなかっただろうか。
■8年たっても新宿に近寄ることができない
「楽しい思い出がありすぎて、あまりにも悔しくて、新宿にも百貨店にも近寄ることができない」と、大西さんはいまだ挫折感に打ちひしがれ、気持ちの整理をつけられずにいる。
だが、歴史的な業界再編が幕を切ったあの時、あの瞬間、大義と執念を持って改革に当たることができたのは、若さと青さの熱を持った大西さんの他にはいなかった。前任の武藤氏が、限られた生命の時間を懸けて見込んだ眼識は、確かに正しかったことを、大西さん自身が顧みるべき局面が到来している。
一連の構造改革に立ちはだかったのは、おそらく業態そのものや、個々人の人間性の問題ではなかった。戦後復興を担った日本型経営と、その成功体験への誇りや郷愁によって生じた「組織の老い」からくる、制度疲労そのものだったように見える。百貨店改革に向かっているように見えて、実は、日本の社会構造の根幹に関わる「見えない大きなもの」と闘っていたことを、大西さん自身、当時は十分に認識することはできなかっただろう。
百貨店に関して言えば、人口構成が激変する経済環境の中、既存の業態構造を引きずったまま、「文化の創造・発信拠点」として地方各地を再興に導くことは、もはや困難といわざるを得なくなった。現在私たちが目の当たりにしている「百貨店の未来」からさかのぼれば、大西さんは、日本型経営が伝統的かつ構造的に抱える「失敗の本質」という組織風土の壁に、風穴を開ける「蜂の一刺し」として登場し、一瞬にして退場することに使命があったといえる。
■それでも、「日本製」を売っていきたい
AIやテクノロジーの革新の時代に、日本型経営の陰の特性、「中間管理職」の役割は否が応でも淘汰されていく流れにある。10年も前に大西体制のもと、再編や構造改革において失敗を経験したからこそ、三越伊勢丹だけでなく百貨店業界は、従来の延長線にはない問題や課題との向き合いに即応する、十分な素地を獲得できたとも振り返られるはずだ。
もしも、今もう一度、百貨店の改革を任されるとしたら、何をするか。
「海外のラグジュアリーブランドは全部やめるでしょうね。もしくは国内にもっと利益が落ちるように、ブランド側と厳しく条件を交渉する」
奇(く)しくもその後の大西さんは、羽田空港という海外につながる人流の巨大な玄関口を舞台に、日本のものづくりと直結したブランド創出の橋渡し役として挑戦を続けている。機微や粋が息づく日本の伝統文化の商品プロデュースを通して、地方に点在する生産者に対し、持続可能な循環を生み出そうという試みでもある。「ミスター百貨店」の枠には到底収まりきらない。一貫した問題意識を追求し、表現できる場が与えられるのは、分け隔てない人柄の魅力が引き寄せた、大西さんの天分といえるのではないだろうか。

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大西 洋(おおにし・ひろし)

羽田未来総合研究所社長・元三越伊勢丹HD社長

1955年生まれ。慶応義塾大学卒業後、1979年伊勢丹入社。経営企画部担当長、執行役員立川店長、経営企画部長、三越常務取締役を経て2009年伊勢丹社長就任。2012年三越伊勢丹ホールディングス代表取締役社長に就任。2017年3月に退任後、2018年~2025年、羽田未来総合研究所代表取締役社長。

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座安 あきの(ざやす・あきの)

Polestar Communications取締役社長

1978年、沖縄県生まれ。2006年沖縄タイムス社入社。編集局政経部経済班、社会部などを担当。09年から1年間、朝日新聞福岡本部・経済部出向。16年からくらし班で保育や学童、労働、障がい者雇用問題などを追った企画を多数。連載「『働く』を考える」が「貧困ジャーナリズム大賞2017」特別賞を受賞。2020年4月からPolestar Okinawa Gateway取締役広報戦略支援室長として洋菓子メーカーやIT企業などの広報支援、経済リポートなどを執筆。同10月から現職兼務。朝日新聞デジタル「コメントプラス」コメンテーターを務める。

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(羽田未来総合研究所社長・元三越伊勢丹HD社長 大西 洋、Polestar Communications取締役社長 座安 あきの)
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