※本稿は、大愚元勝『絶望から一歩踏み出すことば 大愚和尚の答え一問一答公式』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■介護と子育てを1人で背負った女性
人生を謳歌しているとき、「さあやるぞ!」というとき、突然やってくるのが親の老いです。優しく朗らかだった母、若々しく尊敬できた父が衰え、病気になり物忘れをするようになる。目を背けようと背けまいと、誰だって年を取るんです。
故人がお年寄りの場合、介護を経て亡くなられたケースも珍しくありません。
先日亡くなったのも、寝たきりだったおじいちゃん。喪主は息子さんのお嫁さんでした。彼女は夫に先立たれて、女手一つで二人のお子さんを育て上げました。朝は新聞配達、昼はパートをしながら子育てをし、認知症の義父の介護をしていたんです。子どもたちが育って家を離れた後は、やはり負担はお嫁さんにのしかかります。
■義父は泣きながら「殺してくれ」と言った
意思疎通も怪しいのに、義父は気にくわないことがあるとお嫁さんに当たったそうです。
最初はお茶碗をひっくり返すくらいでしたが、エスカレートして自分の汚物をベッドや床に塗りたくるように。
「気がついたら私、お義父さんの上に馬乗りになって、首を絞めていました。そのときにお義父さんが私の顔を見て涙を流しながら『殺してくれ』って言ったんです」
認知症が相当進んでいるはずの義父が、彼もつらかったのでしょう、真顔で殺してくれと言った。お嫁さんは我に返って手を離し、その後ずっと震えていたそうです。
■老いる苦しみを避けることはできない
義父の最期を看取って、お葬式を終えたお嫁さんの顔は実に穏やかでした。「私の人生は何だったんでしょうね。お嫁に来てからずっと、子育てと介護でした」と言う微笑みは仏様のよう。
私はただ手を合わせ、涙を流すことしかできませんでした。
また別の男性は、実のお母さんを介護の末に亡くしました。体は元気なのに認知症が進み、タクシーに無賃乗車して遠い街に行ってしまったり、銀行の暗証番号を間違えて口座にロックがかかってしまったり、階段から転げ落ちて大怪我をしたり……。
「母は若い頃から苦労ばかりした人でした。
その男性の言葉にも、深くうなずくしかありませんでした。
お釈迦様の説かれた仏教の基本的な真理に「四苦(しく)」があります。生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみ。人はこの4つの「苦」を宿命として持っていて、誰も避けることができません。
これをまず、真理として認識しなさいというのがお釈迦様の教えです。
■親が見せる「命のレッスン」から学ぶ
認知症に限らず、親が老いて衰えていく姿は、この人生の逃れられない真理を身をもって子どもに教える「最後のレッスン」だと思うのです。
綺麗だった人も、聡明だった人も、有能だった人も、年を取ればしわだらけになり、体も頭も動きが鈍り、口元はだらしなくなります。自分で排泄すらできなくなる。時には人に迷惑をかけ、どんどん赤ちゃんのような状態に戻っていきます。
これは親が最後に見せてくれる、命のレッスン。目を背けちゃいけません。その道は、いずれ自分も必ず通る道です。
そこから目を背けずに、強く生きていくためにも、親の「最後のレッスン」からしっかりと学び取りたいものです。
■事故で2歳の娘を失った30代の父親
仏教の根本は、苦を手放していかに明るく生きるかです。絶望の中でも、なんとか穏やかに心を落ち着けて、幸福に生きていくための具体的な方法を説いています。
みんなそう生きたい。だけど、そう生きられないときもあります。
自動車事故を起こし、まだ2歳の娘さんを亡くしてしまったという30代の男性がいました。同乗していた奥様も肉体的・精神的に深い傷を負って感情を閉ざしてしまったそうです。
悔やんでも悔やみきれないと思います。一生この傷を背負って生きていかれることになるでしょう。
一刻も早くその悲しみを癒してくださいなんて無責任なことは私には申せません。
これほどの絶望の中におられるのは、このご一家に限ったことではないと思います。
いや、幸せの中にいる人にも、覚えておいていただきたいことがあります。
■同じような1日でも昨日とは全く違う
私たちはこの瞬間、新しい行為をつくり続けています。生きている限り、毎日毎日、新しい言葉が使われ、新しい行為をし、新しい考えがつくられます。
日々の行為というのは一個じゃないんです。あまりに大きな出来事があったとしても、それだけじゃない。日々の、一瞬一瞬の行いは無数にあります。
私たちは毎日生きて、言葉を話し、行いをつくり続けています。その連続です。
その一個一個の自分の言葉、一個一個の行い、一個一個の思考について、ちゃんと気づいている必要があるんです。
毎日歯を磨き、毎日ご飯を食べ、毎日同じような仕事をしていても、実は同じことを繰り返しているわけではありません。
このことに気づいていないと、大切な人との関係も、人生そのものも、マンネリ化して当たり前のものになっていきます。
車の運転ならどうでしょう。
瞬間の行為に集中していない。そんなときに事故が起こってしまいます。
■人生に再び事故を起こさないために
人生の運転も同じです。
過去への後悔、未来への心配、心の痛みや苦しさに頭と心がとらわれていると、目の前の一個一個の行為に注意を向けることができなくなってしまいます。ボーッとしたまま話し、行い、思考しようとする。こんな危険なことはないんです。
そんな状態が続くと、第二、第三の事故を人生に起こし続けることになります。
それだけは避けなければいけません。
どんなに悲しいことがあっても、苦しくても、そのような人にあえて言わせてもらいます。
それはそれ。日々、常に新しい人生を生きていることを忘れないでいただきたい。
もしも亡くした方を悼(いた)み、自分がしてしまったことを反省しているなら、絶対に忘れてはいけません。
ちゃんと生きていく。その決意と覚悟こそが最大の供養になります。
どうかしっかり供養をなさっていってください。
----------
大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。YouTube「大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数57万人、1.3億回再生された超人気番組。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『思いを手放すことば』(KADOKAWA)、『自分という壁』(アスコム)、『愚恋に説法: 恋の病に効く30の処方箋』(小学館)などがある。
----------
(佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝)