■9月公開の大作『宝島』は3時間超え
ここ最近、上映時間が3時間前後の“長い映画”が目立っている。今年のヒット作でも、『国宝』は2時間55分、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は2時間35分、『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は2時間49分、9月19日公開の邦画大作『宝島』は3時間11分。
近年でも、『オッペンハイマー』3時間、『THE BATMAN-ザ・バットマン-』2時間55分、『RRR』3時間2分、『ドライブ・マイ・カー』2時間59分などがある。いずれも単館公開の小規模な映画ではなく、大手映画会社による商業作品だ。
今年はそこから立て続けに世の中的な話題作が生まれていることで、長い映画が製作のトレンドになっているかのような印象を受ける。一方、観客にとって長時間上映は一定のハードルにもなる。上映時間が長い映画が増える背景には何があるのか。
■クリエイティブを優先する映画が増えている
映画ジャーナリストの大高宏雄氏は、最近の映画は長時間化の傾向があるとし、その理由を「邦画に関して言えば、映画製作におけるさまざまな制約のなかで、監督などクリエイターの意向が比較的、優先されるようになってきた」とする。映画製作では、上映時間を含めたさまざまな要素の決定において大きな力を持つひとりが、製作委員会や製作を担う会社などの意向を受ける責任者であるプロデューサーだ。より多くの観客に観てもらい、商業的に成功させるために映画を作っていく。
■監督とプロデューサーのぶつかりあい
その過程では、クリエイティブにこだわる監督と、ビジネス面の責任を負うプロデューサーらとのぶつかりあいが、大小や激しさは別にして、日常的に起きる。そのなかで上映時間は重要な要素のひとつだ。
そうしたなか、コロナ禍を経て、配信視聴の一般化など過渡期を迎えている映画業界において、クリエイターの意志を優先する作品主義への流れが製作会社などに生まれている。
「ある程度の尺の映像表現を必要とするクリエイター側の主張をプロデューサーらが尊重し、一丸になって作品性を高めていく製作姿勢が増えているのではないか。映画のベースになる脚本自体が長くなることが増えたとも聞いている」(大高氏)
■観客にとって長時間上映はハードルになる
実際にそういう作品のヒットが続いている。しかし、クリエイティブ優先で製作すればヒットするかといえば、そんなに簡単ではない。3時間を通して観客を映画に引きつける力があるか。それが観客に受け入れられるかは、ケースバイケースだ。
とくに長時間映画は、ストーリーや映像演出などの内容を詰め込める一方、観客にとっては上映時間の長さが鑑賞のハードルにもなる。
50~60代の年配層が多い映画ファンにとって、長時間上映はトイレの問題が大きい。本編上映前の10~15分の予告編を含めれば、『国宝』であれば実質3時間半近く休憩なし。そこに不安を感じて、映画館に行くことをためらう年配者の声も聞く。
そんななか気になるのが、昨今の長時間映画にはインターミッション(10分ほどの劇中の休憩時間)がない作品が多いこと。
過去には、1954年の『七人の侍』3時間27分、2009年の『沈まぬ太陽』3時間22分、2008年の『愛のむきだし』3時間57分など3時間を超える映画の多くにインターミッションがあった。
■「休憩」は映画の流れを途切れさせる
その背景には、長時間化と同じ製作傾向の変化があるようだ。
インターミッションは映画の流れを途切れさせる。物語の途中で照明が明るくなり、観客が出入りすれば、観客の集中がいったん切れる。物語に没入させ、ストーリーに引き込みたいクリエイターは、できれば休憩を入れず、映画の世界の持続性を保ちたい。
もし、休憩を入れるとすれば、そこでのストーリーの断絶を想定した作品作りが必要になる。それによってまったく異なる作品性を帯びてくることもあるだろう。なので、休憩なしが前提の作品作りが望まれる。
もちろん4~5時間上映になれば休憩なしは無理だろう。観客が休憩なしでギリギリ絶えられる尺で製作されていることがうかがえる。
■映画は3時間がデフォルトになる?
振り返ると、80年代などは1時間~1時間半ほどの映画が2本上映される2本立てが主流だった。
そして、配信時代の現在は、メディアによる尺の制約がなくなるのと同時に、配信視聴という新たな視聴スタイルがコロナ禍を経て一般的になり、文化および産業としての過渡期を迎えるなか、映画製作は作品主義に傾倒し、長時間映画が増えている。
かつて1時間半が当たり前だった頃、2時間の映画は長かった。それがいつしか2時間前後が一般的になり、いまは3時間前後のヒット作が増えている。これからの時代は、3時間がデフォルトになるのか。
大高氏は「例えば、ホラーなどのジャンル映画は2時間以内で十分なケースもあり、一般的には作品ごとに最適な尺があると思う。ただ、原作が膨大であったり、登場人物が多ければ、どうしても長くなっていく。加えて、長い映画の作品には大作感があり、その大作感が人々の関心を高める場合もある。一方、観客にとって観やすい上映時間は確かにある。ファミリー層をターゲットにするアニメなどは、その点を踏まえている。その客層が主力ターゲットの際のディズニー作品も同様だろう。
■トイレ問題を乗り越えるほどの内容が必要
今夏、ヒット作が重なって映画館は大変な賑わいを見せている。一方、長い映画に対して、観客からはネガティブな声も少なくない。
年配層の映画ファンは、観たい映画があっても、それが3時間前後であれば身構えてしまう。制作側がもくろむ“いかに観客を物語に引き込むか”以前の問題として、映画館に行くことを躊躇する。それらを乗り越えて行ったとしても、トイレが気になって映画に集中できない。観客を魅了するための長時間化のはずが、逆に映画館から観客を遠ざけることになってはいないか。
大高氏は昨今の映画業界の事情を含めて、長時間映画への見解をこう語る。
「かつての映画は、1時間半から2時間あたりのなかで、いかに観客を楽しませるかに工夫を凝らしたもの。上映時間に対する配給、興行側の意向も強かった。上映に融通性がある現在のようなシネコン主体ではないから、長いと上映回数が限定される。
過去にも3時間クラスの大作はあったが、本当にまれなケース。その際は休憩を入れるなど、観客側への配慮もあった。今は休憩を入れると、映画の流れが途切れて、製作側が嫌うとの話も聞く。とはいえ、尺の長短にかかわらず、観客が映画を楽しめるかどうかが、何より重要だと思う。作りたいものと観客目線との強烈なせめぎ合いが、これからの映画製作には求められていくのではないか」
■「いま話題の作品を観たい」という熱量
賛否はあっても、最近の長い映画はヒットしている。その背景には、長時間鑑賞への不安や懸念を超えて、世の中的な話題になっている作品を観たいという熱量が生まれていることがある。
映画業界には、その熱量を維持するための話題作りなどの努力とともに、年配層を含めた誰もがその作品を観やすい環境を作っていくことが求められる。
例えば、長い映画にインターミッションがなくても、予告編と本編の間に小休憩の時間を入れる、上映前に休憩がないことのアナウンスを入れる、といった小さな工夫でも、観客の心理状態は変わるに違いない。観たい映画が長かったときに、映画館に行くハードルが下がるだろう。
9月に公開される『宝島』は現在、全国的に試写を実施しているが、すでに評判がすこぶる高い。これがまた大ヒットすれば、3時間映画が一般的になっていくひとつの流れが生まれるかもしれない。
そのときこそ、長い映画の上映時の観客への細やかな対応の検討が、映画業界に求められるのではないだろうか。
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武井 保之(たけい・やすゆき)
ライター
エンターテインメントビジネス・ライター、編集者。音楽ビジネス週刊誌、芸能ニュースWEBメディア、米映画専門紙日本版WEBメディア、通信ネットワーク専門誌などの編集者を経てフリーランスで活動中。映画、テレビ、音楽、お笑いを中心にエンタテインメントシーンのトレンドを分析や考察する。
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(ライター 武井 保之)