※本稿は、和田秀樹『どうせあの世にゃ持ってけないんだから 後悔せずに死にたいならお金を使い切れ!』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■食うに困ることはないだろうと高を括っていた
「ああ、あんなに本が売れたのに、なんでこんなに金がないのかな」
2022年に出版した『80歳の壁』(幻冬舎新書)は「2022年で一番売れた本」となり、その後も売れ続けてロングセラーとなりました。この本をきっかけに注文が殺到し、この3年間で200冊ほどの書籍を出しています。それなのに最近もローンの返済に困った私は、思わずそうつぶやきました。
はっきり言えば、私自身がお金に関していい加減なところがあるからでしょう。とにかく、あればあるだけ使うという生活になってしまっていますから。それで問題なく暮らしていた時期もありましたし、一応、医者をやっていて、本は少ない年でも20冊ぐらいは出していますから、まあ、食うに困ることはないだろうと高を括っていたわけです。
ところが、コロナ禍で収入が激減してしまい、それ以来、住宅ローンの返済が時々、苦しくなります。
20年ほど前、通信教育の塾「緑鐵(りょくてつ)受験指導ゼミナール」や個人医院の「和田秀樹こころと体のクリニック」、そして家族の住まいを兼ねて、東京の本郷にある土地を妻と共同名義で購入してビルを建てました。それぞれの家賃をこのまま払い続けるよりもいいだろう、と考えたからです。
買った当初は、月に300万円以上のローンを払っていました。
私だけだったら、たぶん早期返済なんかしないで、ずっと同額のローンを払い続けていたところですが、いまは月にその半分くらいの額を払っています。
■医者で900冊以上の本を出しても貯金ゼロ
しかも、コロナ禍で融資を受けていたので、それも返さなくてはいけない。さらにいま、クリニックの改装をしているので、その費用を支払わなくてはならないから、近日中に数百万円を稼がなくてはいけません。
一応、いくばくかの貯金はあるのですが、この前、消費税の支払いも重なって、手元のお金がほぼゼロになってしまいました。
前年度の原稿料と講演料の収入が多かったので、消費税中間納付を一応やってはいるものの、それを差し引いても高い消費税を払わなくてはいけなくなったのです。1万円ぐらい払えば、支払いを一カ月待ってもらえるようですが、とりあえずそれをせず手元資金で払うことにしたら、貯金が底をついてしまったというわけです。
ローンもあるし、融資の返済もある。税金を払ったら手元のお金が尽きてゼロ。
来月には、またまとまった支払いの予定があるけれど、自分の稼ぎだけではショートするかもしれない。以前も借りたことのあるカード会社からまた借りられるかなぁ……。
■子供の頃は「貧乏」でものすごいケチ
おそらく一般的な金銭感覚というものは、収入に合わせて支出を減らそうとするのでしょうが、私は常に入る金を増やそうという金銭感覚です。これは私の体験から培われたものです。
子どもの頃の私は、実はものすごいケチでした。お年玉や小遣いをケチケチと貯めて、中学と高校時代の6年がかりで20万円ぐらい貯めました。
別に親から無駄遣いはするなとか、節約しろとか教えられたわけではないのですが、母親からはよく「うちは貧乏だからね」とは言われていました。
うちは普通のサラリーマン家庭だったのですが、通っていた灘中学には大金持ちの子どもが学年に数人いて、3分の1くらいは医者の子どもでした。あとは、会社員でも大企業の部長クラスの親が多かったため、そこそこ金を持っている家庭が大半でした。少なくとも、うちよりは金持ちなわけです。
そういうわけで、貧乏と言っても、あくまで灘の学友たちの家庭と比べると貧乏だっただけで、食うに困るほどの貧乏ではありませんでしたが、学校の中では相対的に貧乏でした。
灘高に通っていた頃は、小遣いはそんなにもらっていなかったので慢性的にお金に困っていました。確か月5000円の小遣いで、昼ご飯代が1日200円か300円だったのですが、好きな映画を見る金をひねり出すのにかなり苦労したことを覚えています。
■ケチケチするより収入を増やしたほうが断然いい
それでも、「金は貯めておくと後でいいことがある」と信じてコツコツと貯め、貯金のためならと昼飯もしばしば抜くほど、相当なケチでした。
私の持論ですが、節約というのは金がないときのほうができるもの。学友たちの小遣いに比べても私の収入(小遣い)ははるかに少ないものの、お年玉をたくさんくれる人がいたのと、「金を貯めたい」というケチの精神で、結局、高校を卒業する頃には20万円くらいの貯金ができました。
この額は収入(小遣い)の多い友人たちの手持ちの金よりはるかに多い金額で「やっぱり金はないほうが貯められるもんだな」と思ったものです。
ところが、東京大学の医学部に入ってバイトを始めたら、家庭教師の時給が当時、6000円とか7000円、ときには1万円になったこともあり、ひと月ぐらいで20万円稼いでしまいました。
そうすると、あんなにケチケチして貯めてきた金はなんだったんだ? と。そのとき、「ケチケチするより、入ってくる金を増やした方が断然いいじゃないか」と思ったわけです。
以来、支出を減らすのではなく、どんどん使って収入を増やそうというのが私のお金に対する考え方の基本になっています。
■研修医になると収入が半分以下に
医学部の6年生のときには週刊誌の記者もやっていましたから、毎週原稿料が数万円入り、取材費も5万円ぐらい使えました。それに加えて家庭教師のバイトもずっと続けていましたから、月に使えるお金は数十万円ありました。そのため、贅沢な外食を楽しんだり高価な服を買ったりするなど、派手に散財したものです。
ところが、その後、収入が激減して大変だった時期がありました。
医者になってすぐに、ひょんなことから4000万円くらいのマンションを買うことになりました。
いま買っておかないと一生買えないかもしれないような気もして、また妻の親から「金を出してあげる」という有難い申し出もあり、ローンを組んで月に30万円くらい払うことになりました。
私自身は、お話ししたように大学生の頃にバイトでかなり稼いでいて、一番いい時期はライターの仕事だけで月に40~50万円、家庭教師でも月に20万円くらいの収入がありましたから、30万円のローンがそんなに大きな負担になるとは思わなかったのです。
ところがいざ研修医になってみると、バイトを合わせても私の収入は月30万円くらいになってしまいました。アルバイトといってもコンビニや飲食店でのアルバイトではありません。研修医として働く病院以外の医療機関で働く「医者のバイト」です。
■金を使っているほうが金が入ってくる
研修医は本業に支障が出ない範囲で、勤務先の許可を得たら、副業としてバイトをすることが認められていました。でも、この医者のバイト代を合わせても、月の収入が30万円です。そんなわけで、家計はもう火の車です。
しかし、そんなとき、二つの奇跡が起きました。
まず一つは、27歳のときに出した『受験は要領』(PHP研究所)という本が、いきなりベストセラーになりました。さらに、その時期にちょうどバブルが起こり、4000万円で買ったマンションが、なんと9000万円で売れたのです。
この出来事から、私は、その後の人生を支える二つ目の金銭観を得ました。それは「オレって、金が入ってくる人間なんだな」というもの。
まぁ、単なるおめでたい思い込みに過ぎないのですが、この思い込みの効果は意外に大きくて、どんなに金がないときも、「オレは金が入ってくる人間だから」と自分を支える矜持となりました。
学生時代に得た一つ目の金銭観「ケチケチするより、どんどん使っているほうがきっとまた金が入ってくる」という思いも重なって、少しばかり貯金ができたのを機に、1991年の秋から家族でアメリカに留学しました。
2年半で3000万円くらい使ったでしょうか。それでまたスカンピン同然になって帰ってくるわけですが、「きっと使ったくらい、いや使った以上に返ってくる」と思っていました。
生活の質を落とそうなんて考えたこともありません。帰国したら稼げると信じていたし、稼がなきゃいけないと思っていましたから、どんどん稼ごうとやる気に火がついて、がむしゃらに働きました。
「やっぱりケチケチ節約するよりも稼いだほうがいい」という私の人生観は、この年になっても相変わらず変わりませんし、むしろ若い頃より「使いたいから稼ぐ」という生き方は濃くなっているように感じます。
だからこそ、20代で得た金銭観を軸に、いまもこうしてたくさんの仕事をしつつ、生き延びていられるのではないかと思います。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。
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(精神科医 和田 秀樹)