■欧州家庭の8割にエアコンがない
日本各地で30℃を超える真夏日が続いており、エアコンはもはや生命を守るライフラインと言っても過言ではない。特に子供や高齢者のいる家庭では熱中症対策として有効なほか、オフィスや公共施設でも涼しい環境で高い生産性を発揮するため必要不可欠だ。
日本での普及率は9割を超える。内閣府 経済社会総合研究所が今年3月末に実施した調査では、北海道など比較的気温の低い地域も含めた全国の2人以上の世帯のうち、91.7%がエアコンを所有していることが明らかになった。
ところが、同じく熱波に襲われているヨーロッパでは、エアコン事情がかなり異なる。
米CNNは、アメリカの住宅でも約90%がエアコンを備えているのに対し、欧州全体では約20%にとどまっていると報道。国別では特に欧州北部の国々で普及率が低く、イギリスはわずか5%であり、しかもその多くはポータブル型だという。ドイツに至っては3%と低い。フランスでは25%、イタリアとスペインでは40%など、温暖な南部では比較的高い普及率となっているものの、それでも半数に満たない。
■死亡率が顕著に上昇する
では、必要がないからエアコンを購入していないかというと、そうでもない。
英ガーディアン紙が報じた速報分析によると、6月23日から7月2日までの10日間で、欧州12都市において2300人が高温により死亡した。うち1500人は気候変動に起因するものだという。
異常気象を研究する学際組織のワールド・ウェザー・アトリビューションによれば、熱波は近年「静かな殺人者」とも呼ばれるようになっている。犠牲者の多くは人目につかない自宅や病院で亡くなるため、深刻さが見過ごされがちだという。死者の88%は65歳以上の高齢者が占めた。
英フィナンシャル・タイムズ紙によると、2000年から2019年の19年間で、西ヨーロッパでは年間平均8万3000人が猛暑により死亡している。同紙は、エアコン普及率が約90%に達する北米での死者は年間2万人にとどまると指摘。4倍以上の死者数の差は、エアコンの普及率の低さが犠牲者を生んでいる現実を克明に物語る。
■リモートワークよりも出社した方が快適
スペインでは公共施設のエアコン設定温度を27℃以上にするなど、一定の対策を打ち出している。
一方でフランスでは、米ウォール・ストリート・ジャーナルによると、エアコンの導入が進まない全土の学校1000校以上が短縮授業または完全に休校となった。休校により登下校中の熱波を避けられるが、家に留まっていても大部分の家庭にはエアコンがない。
ニューヨーク・タイムズ紙は、パリでは高温のため、エッフェル塔の頂上部分も閉鎖されたと報道。また、普段はリモートで在宅勤務をする人々が、エアコンの涼を得ようとわざわざオフィスに出勤する現象まで起きているという。
経済活動への影響は必至だ。
オフィスで働く会社員の場合、生産性は20℃台前半でピークとなり、「23℃を超えると、睡眠時間と睡眠の質が急激に低下する」と同記事は指摘。さらに30℃を超えると、死亡率が急速に上昇するという。国連の国際労働機関(ILO)は熱ストレスにより世界の労働時間が2.2%減少すると予測しており、これはフルタイムで雇用された人々8000万人分の労働時間に相当する。
ニューヨーク・タイムズ紙は、ドイツの保険会社アリアンツのデータをもとに、熱波により欧州経済の成長率が今年、0.5ポイント低下する可能性があると警告している。
■なぜ設置が進まないのか
人々が命を落とし、経済も停滞する危険性があるなか、なぜエアコンは欧州で普及しないのか。理由は非常に多岐にわたるが、5点ほどに集約される。
第1は景観だ。イギリスでは特に景観保存地区や歴史的建造物において、エアコンの室外機の見た目が好ましくないことを理由に、設置申請が通らないことが多い。イギリスのエアコン会社の管理職は、CNNの取材に、「室外機の視覚的な外観を理由として、当局が申請を却下することがよくあるのです」とこぼす。
第2に、環境意識の高さが普及の障壁になっている。
■高い規制の壁…町長の許可が必要となる場合も
環境問題と関連して、第3に、規制の高い壁がある。英タイムズ紙によれば、特にフランスでは規制が複雑で、一戸建て住宅ではエアコン1台を設置するにも町長の許可が必要となる場合がある。集合住宅の場合、共同所有者による投票が求められるという。2021年の調査では、フランス人の48%が「環境を害するため、エアコンは違法化すべき」と回答しており、導入への敷居は高い。
第4のポイントは、歴史的要因だ。CNNは、欧州では歴史的に冷房の必要性が低く、特に北部では熱波が現在のように長期間続くことはまれだったと振り返る。このためエアコンは必需品ではなく、贅沢品であるとの考え方が定着した。タイムズ紙は、エアコンが「不自然で、騒々しく、コストがかかり、不健康な贅沢品」と見なされていると言及。「自動車のオートマチック変速機のように、軟弱なアメリカ人には適しているが、タフなフランス人には適さない」との認識が広まったと論じる。
最後に5点目として、エアコンは体調を崩すとのイメージが強く、健康被害が生じることへの過剰な恐怖感がある。
同紙はまた、アメリカでは外気温約38℃のときに室内を約24℃まで冷やす(温度差14℃)ことも一般的であることを挙げ、寒暖差を生じるエアコンが「一部のヨーロッパ人を戦慄させている」と言及した。もちろん温度差による体調不良(ヒートショック)には注意すべきだが、体調不良を恐れてエアコンの導入を見送るほど、一部のヨーロッパ市民には強い抵抗感があるようだ。
■地下墓所で涼を取るパリの市民たち
こうした事情から欧州ではエアコンと心理的な距離が生じているうえ、仮に導入したくともすぐには設置できないのが現状だ。市民は涼しげな公共施設を求めてさまよう。
ニューヨーク・タイムズによると、パリでは地下墓所を訪れる動きすら見られる。ローマ時代のキリスト教の地下共同墓所であるカタコンベは、夏でも平均約14℃となっており、避暑スポットとして注目を集めている。
バルセロナでは、数百の施設からなる「気候シェルターネットワーク」を市が指定。現代文化センターやバルセロナ歴史博物館などを挙げ、暑さから身を守るために訪れるよう市民に提言している。ロンドンも同様に「クールスペースマップ」を作成し、大英図書館を含む数十の冷房付き施設で涼を取るよう市民や観光客に案内している。
だが、家庭でのエアコン導入となると、政界はあくまで消極的だ。ロンドンでは、新築建物にエアコンを設置する場合、他の冷却機能によって代替できないか検討を義務付ける規制が現在も敷かれている。
こうした規制に対し、時代に即していないとの批判も出始めた。ウォール・ストリート・ジャーナルによると保守党議員のアンドリュー・ボウイーは、ロンドン市長に対し、「馬鹿げた」エアコン規制を終わらせるよう強く要求している。
伝統的な工夫と共存させ、環境負荷を低減する試みも見られる。CNNによると、南欧の建物は伝統的に壁を厚く、窓を小さくし、さらに風の通りを良くすることで、冷房なしでも涼しい室内空間とする工夫がなされてきた。
ニューヨーク・タイムズは、スペインのセビリアで修道院が長年、回廊を白い布で覆う取り組みをしてきたと紹介。今ではこの取り組みが街全体に広がり、狭い路地の屋根から屋根へと白いシートが張られ、快適な日陰を作っているという。同地では古い時代に設けられた地下のダクトシステムを再活用し、涼しい空気を地表へと送り出すほか、日陰の公共スペースに霧を噴射するなど自然の力の活用を進めている。
■冷房の効いた部屋から環境保護を説く政治家
こうした地道な工夫が評価される一方、近年の急速な気温上昇を受け、市民の我慢は限界に達しつつある。
タイムズ紙によると、熱波対策のためフランス政府が開設したホットラインに電話したある市民は、「原始的な電気式の扇風機すら使わないように」と指導されたという。
市民へは厳しいアドバイスが放たれるが、為政者たちと格差を生んでいるとの反発も出ている。タイムズによると、フランスの極右政党「国民連合」のマリーヌ・ル・ペンは、緊急の「国民エアコン計画」を提案し、学校や病院などへの設置を推進すべきだと主張した。
議会で彼女は「指導者たちはフランス国民が暑さに苦しむべきだと押しつけているが、彼ら自身は明らかにエアコンの効いた車やオフィスを謳歌している」と批判。
これに対し、フランスのアニエス・パニエ=リュナシェ・エネルギー移行相は、ル・ペン氏が「無能で無知」だと反撃。エリート大学を卒業し財務省での経歴を持つパニエ=リュナシェ氏は、「脆弱な人々にはエアコンを提供し、休息を与える必要がある。しかし、場所を問わず設置してはいけない。そうでなければ地球を温暖化させるリスクがあり、それは解決策として好ましくない」と述べた。
■エアコンは命を守る必需品となった
理想論はさておき、エアコンへの抵抗感は急速に薄れつつある。
ニューヨーク・タイムズによると、ロンドンでは犬の散歩中の男性が「5年前ならエアコンのことなど考えもしなかった」と語る一方、「今では友人の多くがエアコンを持っている」と語っている。彼自身も来年に向けてエアコン設置を真剣に検討しているという。
市場では、エアコンの需要が爆発的に増えている。同紙によれば、英全国チェーンの家庭用品・家電販売店ロバート・ダイアスでは、2019年から2024年の5年間で、扇風機とエアコンの売上が40倍に増加した。
パリの市民たちも、エアコンの導入に動いている。10年間パリに住んできたというアナリストのソフィー・ベルト氏は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に、「年々暑くなっているように思う」と語った。彼女はついに今夏、パリ中心街の家電店に足を運び、店舗に残っていた最後の1台のエアコンを確保したという。
フランスではエアコン設置を義務化する動きも出始めた。ガーディアンによると、ル・ペンの同盟者エリック・シオッティ氏が、主な公共施設へのエアコン設置を義務化する法案を議会に提出した。
環境への配慮は重要だが、西欧だけで年間8万3000人が熱で命を落とす現実を前に、エアコンはもはや贅沢品でなく、命を守るための必需品となった。揺れるエアコン政策は、理想と現実の間で苦悩する欧州の現在を象徴している。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)