※本稿は、鈴木祐『社会は、静かにあなたを「呪う」 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体』(小学館クリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■「日本人は不幸」は本当か
幸福系の“呪い”とつきあう方法を考えるにあたって、日本人の幸福にまつわる、最も重要な“呪い”に触れておこう。あなたは、「日本人は不幸な国民だ」というニュースを見かけたことはないだろうか。
「日本人の幸福度は、先進国で最低ランクだ」
「なぜ日本は不幸な人だらけなのか」
日本は経済的には豊かなのに国民の幸福度は低く、海外のように満足度の高い生活を送ることができていないのだと、これらのニュースは主張する。この種の報道は毎年の恒例行事になりつつあり、「どうやら私たちは不幸らしい」という気分を今も醸成させ続けている。
これらの報道の出典は、「世界幸福度報告書」と呼ばれるレポートだ。国連とオックスフォード大学が共同で発表する国際的な調査で、世界の140~150カ国でアンケートを行い、それぞれの国民の主観的な幸福度をランクづけしている。2025年版における日本の順位は143カ国中55位で、世界的には「中堅クラス」ぐらいの位置づけだ(※)。ただし、この順位はG7のなかでは際立って低いうえに、コスタリカやウルグアイといった治安や経済に課題を抱える国々にも負けていることから、「日本は豊かなだけで不幸な国だ」と判断されるケースも多い。
※ Helliwell, J.F., Layard, R., Sachs, J.D., Neve, J.-E.D., Aknin, L.B. and Wang, S. (2025). World Happiness Report 2025. [online] Worldhappiness.report. Available at: https://worldhappiness.report/ed/2025/.
■自殺率が高いのに「幸福度ランキング上位」の北欧
逆にランキングの上位に並ぶのは、フィンランド、デンマーク、アイスランド、スウェーデンなどのノルディック諸国が多く、これは高度な福祉制度や経済格差の少なさなどが原因として挙げられる。
しかし、本当だろうか。ノルディック諸国といえば、かつては世界でも屈指の自死が多い地域として知られ、1990年代のピーク時には各国平均の約2~3倍もの自殺率を記録していたほどだ。
近年は国家的な対策のおかげで大きな改善を見せたものの、それでもまだ数値は世界平均よりやや高い。それなのに国民の幸福度が高いとは、いったいどう解釈すればよいのか。
答えは簡単で、そもそも「世界幸福度報告書」に問題があるのが原因だ。国連とオックスフォード大学が発表するレポートだと聞くと、さぞや高度な手法で世界各国の幸福を評価したのだと思うかもしれないが、実態はまったく異なる。この調査は、各国の代表サンプル(1カ国あたり約1000人)に、“たったひとつ”の質問を投げかけているだけなのだ。
「下の段から上の段に向かって、0から10までの番号が振られた“はしご”を想像してください。“はしご”の一番上は、あなたにとって可能な限り最高の人生を表し、“はしご”の一番下は、あなたにとって可能な限り最悪の人生を表すとします。一番上の段を10とし、一番下の段を0とした場合、あなた自身は今どの段にいると思いますか?」
■「世界幸福度報告書」が持つ問題
この質問は「キャントリルのはしご」と呼ばれ、複数の幸福研究で使われてきた定番の指標だ。といっても、この答えだけが用いられることは少なく、通常は「健康寿命」や「経済レベル」といった他の尺度と組み合わせて総合的な分析を行う。
この時点で、レポートの信憑性には疑念がわくだろう。まず問題なのは、“はしご”というメタファーが、回答者の思考にバイアスをかけてしまう点だ。一般に“はしご”は上にのぼるための道具としてのイメージが強いため、「上に向かう=社会での成功」といった連想が働きやすい。結果として、無意識のうちに、人生の満足度よりも“社会的成功”が評価の基準になってしまう。
ランド大学の研究によれば、1000人以上の参加者に「キャントリルのはしごは何を測っていると思うか?」と訊ねたところ、最も多く挙がった回答は「収入の高さ」や「成功者」だったという(※)。つまり、「世界幸福度報告書」のランキングは、各国の“幸福”ではなく、“上昇志向”を反映しているにすぎない可能性があるわけだ。
※ Nilsson, A.H., Eichstaedt, J.C., Lomas, T., Schwartz, A. and Kjell, O. (2024). The Cantril Ladder elicits thoughts about power and wealth. Scientific Reports, [online] 14(1), p.2642. doi:https://doi.org/10.1038/s41598-024-52939-y.
■日本人に不利な結論が出やすい
「キャントリルのはしご」には、日本人に不利な結論が出やすい問題もある。というのも日本人は、アンケートで自己評価をする際に、極端な選択肢を避けて中間を選ぶ傾向が強いからだ。
メルボルン大学の心理学者アンヌ=ウィル・ハルジングらは、世界の26カ国から約1500人を集め、「高収入の機会がある仕事が理想だと思うか」や「何もしない時間を無駄だと思うか」といった質問に5点満点で答えさせた(※)。質問文へ完全に賛成するなら5点で、まったく同意しないなら1点だ。
※ Harzing, A.-W. (2006). Response Styles in Cross-national Survey Research. International Journal of Cross Cultural Management, 6(2), pp.243-266. doi:https://doi.org/10.1177/1470595806066332.
■東アジアで見られる「中庸性バイアス」
この現象は「中庸性バイアス」と呼ばれ、日本や韓国、中国などで特によく見られる。東アジアの文化では、謙遜や控えめな自己表現が好まれることが多いため、たとえ本人が心の中では強く賛成していたとしても、最高点をつけるのに抵抗を覚えてしまう。特に「和をもって貴しとなす」の文化が根強い日本人は、「人間関係」や「理想の仕事」に関する質問に中立を保つ傾向があり、たとえば「チームのために自分を犠牲にすべきか」や「高収入は人生でどれだけ重要か」といった文章に3点をつけやすい。
こうした背景を踏まえれば、日本の幸福度スコアは、低く出るほうが自然だろう(※)。「いま幸せですか」とストレートに質問されて、「最高です」と即答できるような日本人は、ほとんどいないからだ。
※ ハーバード大学などの研究チームが、日本を含む世界22カ国・地域の約20万人に幸福度をアンケートした結果でも、日本の「幸福度」は22カ国で最下位だったとしている。これも基本的には「中庸性バイアス」が原因だと考えられる。
■ブランチフラワーらの研究が映し出す“北欧の真実”
「世界幸福度報告書」の問題点は、学術界ではすでに広く知られており、代わりとなる調査もいくつか行われている。なかでも信頼性が高いのは、ダートマス大学の経済学者ダニー・ブランチフラワーらの研究だ(※)。これは世界164カ国とアメリカ50州からデータを集めたもので、約400万人を対象に各国の幸福度を調べている。
※ Blanchflower, D.G. and Bryson, A. (2023). Wellbeing Rankings. Social Indicators Research. doi:https://doi.org/10.1007/s11205-023-03262-y.
この調査が優秀なのは、ポジティブな感情とネガティブな感情の両面から幸福を測定したところだ。使われた指標は、「楽しさの感覚」や「身体的な痛み」「不安の量」などを含む8項目で、主観的な人生の満足感だけでなく、“昨日どれだけ笑ったか”や“どれだけ体の痛みや怒りを感じたか”といった、より具体的かつ日常に根ざしたデータを集めている。当然、こちらのほうが現実に即した総合的な判断ができるわけだ。
分析の結果を見てみよう。まずすべての指標を含めた全体のランキングでは、日本は全215地域のなかで37位だった。これは全体の上位2割に入る成績であり、決して日本は不幸な国ではない。また、逆に「世界幸福度報告書」で1位だったフィンランドは51位に、2位だったデンマークは38位に転落しており、どちらも日本を下回る結果となった。
■日本人はネガティブ感覚の少なさでは上位
さらに興味深いのは指標ごとのランキングで、日本は「人生の満足」や「楽しさ」といったポジティブな感情のランクは低いものの、「身体の痛み」や「悲しみの量」のようにネガティブな感覚の少なさについては、どちらも5位につけている。こうして見ると、日本人は主観的な幸福は控えめである一方で、苦しみの量という面では世界的に悪くない暮らしを送っているようだ。
この結果について、ブランチフラワーらは言う。
「北欧諸国は伝統的な生活満足度の指標では上位にランクされるが、他の指標ではそれほど上位にはならない。(中略)そのため、幸福そうに見える国々の政策やアイデアを模倣しようとする政策は、いったん考え直してみるべきだろう。
人間の幸福は生活の満足度だけで決まるわけではなく、日々の楽しさや健康、不安、怒りといったいくつもの要素が重なり合い、それぞれの人生に濃淡を与えている。それなのに、たったひとつの質問で得られた結果で「日本人は不幸だ」などと嘆くのは、まさに“呪い”以外の何ものでもない。
■「他者との比較」は幸福感を損なう
そもそも、「他者との比較」が私たちの幸福感を損なう大きな原因であることは、すでに本書の77ページで説明したとおりだ。他国のよいところは積極的に取り入れるべきだが、あまりに「幸せ」を意識しすぎれば、「現状との比較」や「感情の抑圧」が生まれ、かえって私たちは不幸に追いやられる。
フランスの小説家シャルドンヌも言うとおり。「幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったはず」だ。
であるのなら、いったん“幸福の追求”は脇に置き、本章で提案してきた三つの要点――「感情を堪能する」「人生の“意味”を求める」「価値観を明確にする」――を軸に据えたほうが益は多いだろう。ネガティブな感情を敵と見なさず、自分の大切なものに向けて苦難を引き受ける。そんな姿勢こそが、あなたが人生のスイートスポットを見つける指針になってくれるはずだ。
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鈴木 祐(すずき・ゆう)
サイエンスジャーナリスト
1976年生まれ、慶應義塾大学SFC卒。16歳のころから年間5000本の科学論文を読み続け、「日本一の文献オタク」とも呼ばれる。大学卒業後は出版社に勤務し、その後独立。
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(サイエンスジャーナリスト 鈴木 祐)