※本稿は、加谷珪一『本気で考えよう! 自分、家族、そして日本の将来』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
■医療費は簡単に削れない
日本の医療には年間約47兆円の支出が行われています。このうち、私たちが月々支払っている保険料と病院の窓口で支払う自己負担でカバーできているのは6割程度であり、残りは赤字ですから、国や地方などの公的支出によってカバーされています。
医療費全体を何とか抑制することができれば、私たちの保険料の負担も減りますし公的な支援も減らせますから、私たちが徴収されている税金や保険料を減らす原資となり得ます。
では、医療費は簡単に削れるのかというと、当然のことながら、そうではありません。
医療費についても年金と同様、巷では噂レベルの話が飛び交っており、高齢者が社交場代わりに病院通いをしているせいで医療費が膨れ上がっており、これをカットすれば大幅に医療費を減らせるといった話がまことしやかに語られています。
しかしながら現実はまったく異なります。そうした無駄な医療が一部で行われているのは事実かもしれませんが、一連の行為で日本の医療費の大半が無駄に捨てられているわけではありません。日本の医療費が膨れ上がっている最大の理由は、年金問題と同様、高齢化が進んでおり、疾患を抱える国民が増えているからです。
■母もわずかな一定額の負担で済んだ
人間は歳をとると、何らかの疾患を抱える割合が確実に高くなってきます。
言い換えれば、多くの人が、亡くなるまでの間にいずれかの病気にかかる可能性が高いということですが、困ったことにこれら三大疾病の治療には莫大な費用がかかります。
少しプライベートな話をしますが、私の父は2度、循環器系の疾患で倒れ、ステントを入れるなどの措置を行い、最終的には脳内出血で亡くなりました。また、私の母は卵巣がんを患い、手術と抗がん剤の投与という標準治療を7年間続けた末、がんの再発、転移で亡くなっています。
母が亡くなった後、私が母の治療費の総額を計算してみたところ軽く1000万円を超えていました。しかし、私の母は1000万円以上の治療費を全額自己負担したわけではありません。日本は国民皆保険制度ですから、原則として3割の自己負担で済みます。仮に総治療費が1500万円だったとして、3割を自己負担するとなると、それでも450万円ですからかなりの金額です。
ですが、この部分に対しては高額療養費制度というものが適用されますから、母も450万円をそのまま負担したのではなく、月あたりわずかな一定額を支払うだけで、治療を受けることができました。
■米国なら病院に行けずに亡くなってしまう
例えば米国のように公的医療保険が十分に整備されていない国の場合、治療費は自腹で支払うか、もしくは民間企業が提供する高額な医療保険に入らない限り、その費用をカバーすることはできません。
日本に公的医療保険の制度がなければ、私の母は1500万円を自分で支払わなければならず、父も数百万円の治療費がかかっていたはずですから、両親がこれらの費用を自力で捻出することは困難だったと思います。
子どもである私は、両親の命に関わる病気ですから1500万~2000万円の費用を用立てたかもしれません。
米国では公的医療保険が整備されておらず、多くの人が病気で地獄のような苦しみを味わっているにもかかわらず、病院に行けずに亡くなっていきます。日本では保険料さえ納めていれば、どんな人でも、最先端の治療を無条件で受けることができ、しかも高額な費用がかかる治療については、ほとんどが公費で支出される仕組みになっています。
病気になった時に医者にかかることができないという恐怖は想像を絶するものがありますから、私たちが安心して生きていくためには、この制度は必須ではないかと思います。
■日本の医療制度は世界に誇れる
国の制度に詳しい専門家の一人として言わせてもらえば、日本の医療制度は、世界に自慢するものがほとんどなくなってしまった今の日本人にとって、唯一、胸を張れるものではないかと思っています。
全体の医療費の6割以上が高齢者に対して支出されており、こうした高齢者向けの医療費のかなりの割合が命に関わる重篤な病気に使われています。確かに一部の論者が指摘しているように、病院を社交場や公園代わりにして、近所の人たちと談笑しに行っている老人が存在するのは事実かもしれません。
しかし、その診療や処方されている湿布の量を少し減らしたところで、先ほど説明したような高額な抗がん剤や手術費用をまかなえるものではありません。
医療費として支出されている金額の多くが、命に関わる重篤な疾患で占められているということであるならば、ここを大幅に削減した場合、お金に余裕のある人しか高度な治療は受けられなくなってしまいます。政府が2025年1月、高額療養費制度における自己負担の上限を引き上げる方針を示したことに対して、各方面から反発の声が上がりました。
高額療養費制度の自己負担が最終的にどこで決着するのかはまだ分かりませんが、命に関わる病気の治療に際して、経済的な理由でそれが阻害されるという事態は多くの国民にとって耐えがたいことです。こうした分野における支出削減が難しいということになると、残るは一般的な疾患においてどれだけ医療費を下げられるのかという点にかかってくるでしょう。
■日本の診療報酬は安すぎる
では、命に関わるわけではない、一般的な疾患の治療状況を見てみると、日本特有の驚くべき現象が観察されます。それは医療従事者の過重労働です。
日本の医療従事者一人が担当しなければいけない患者数は、何と欧米各国の3倍もあります。つまり日本の医師や看護師は、諸外国の3倍の数の患者を担当しなければならず、これが看護師など医療関係者の過重労働につながっているという面が否定できません。
つまり日本の病院は過剰な数の患者を診ているということになり、その背景となっているのが診療報酬の安さです。
日本の診療報酬は引き下げが続いており、医療機関は普通に病院を運営していたのでは十分な収益を上げることができません。その結果、多くの病院では入院日数を延ばしたり、入院患者数を増やすという形で、何とか収入を確保しているのが現実です。
本当は、もう退院してもいい患者さんを、1日~2日ほど様子見ということで入院を延ばしてもらう、あるいは、帰宅させても大丈夫な患者さんを、念のため入院させるという措置を行うことで入院患者の総数を増やしていると推察されます。
■介護制度が貧弱で、精神疾患への社会的ケアも十分でない
これは患者にとって安心できる面があるともいえますが、一方で、医療費の増大を招いている可能性が高いでしょう。
診療報酬について、もう少し合理的な見直しを行えば、過剰な患者を抱えなくても看護師らが適切な給料を得ることができます。その結果として入院日数やベッド数を減らすことができ、最終的には医療費全体の抑制につながる可能性が見えてきます。
日本において入院患者数が多い理由はそれだけではありません。
厚生労働省によると2025年1月時点の入院患者数は約115万人となっていますが、このうち7割が高齢者であり、かつ、介護との関連性が高い療養病床は全体の2割を占めています。人口あたりの療養病床数は諸外国の5~20倍に達しており、事実上、病院が介護施設の肩代わりをしている状況であることを窺わせます。
同様に、日本は精神病床の多さも突出しています。全体の2割が精神病床となっており、諸外国との比較では人口あたりの病床数が3~20倍とやはり突出した数字です。
■都市部に医療機関が多すぎて、過当競争になっている
欧米各国では精神疾患を抱えた患者さんは、無理に入院させることはせず、地域や企業が総合的にケアをすることが当たり前となっていますが、そのためには相応のコストがかかります。日本ではこうしたコストを捻出できず、多くの精神疾患患者が入院という形でケアされており、これが医療費の増大に拍車をかけているのです。
これらの問題が解決できれば、医療費を相当程度削減できる可能性が見えてくるのですが、今度は介護や精神疾患ケアを誰がどの費用で行うのかという問題を解決しなければなりません。
もうひとつ重要な視点は医師の偏在です。日本の場合、都市部では数多くの医師や看護師が働いており、医療機関数も多いのですが、地方では医師や看護師の不足が深刻な問題となっています。都市部では医療機関の数が多すぎるため、過当競争になっており、これが入院日数の増加などにつながっている面が否定できません。
日本は公的医療とはいえ、国立病院、公立病院などを除けば、医療機関は基本的に民間ですから自由競争によって経営が行われています。
医療機関の競争が過剰となり、これが医療費の増大を招いているのであれば、政府が医療機関数をある程度コントロールして都市部の医療機関数を減らし、その分を地方に回すなどの措置を実施することで、都市部の過剰な医療費を削減できます。
医療機関にはそれぞれ経済的な事情があると思いますが、全体の医療費削減を考えた場合、この措置は真剣に検討する必要があるのではないでしょうか。
■“薬価高騰”が医療費を押し上げている
もうひとつの方法として考えられるのが薬価の最適化です。医療費全体のうち20%が薬に関連した支出で占められており、年々、薬価が高騰しているという背景もあり、これが医療費の総額を押し上げています。残念ながら他の業界と同様、製薬業界も諸外国と比較して日本企業の実力が低下しており、最先端の薬のかなりの割合が輸入品で占められています。
このところ進んだ円安の影響によって、外国で作られた薬の日本円での販売価格も高騰する傾向にあります。したがって、円安是正は医療費を削減するひとつの方策となり得ます。また、日本国内で製造された薬の価格についても、見直しの余地があると考えてよいでしょう。
薬の開発には莫大なコストがかかりますから、製薬会社は薬の販売代金の中から開発費を回収していかなければなりません。このため製薬会社は、特許期間が残っている薬については高い値段を設定する一方、特許が切れた薬については、徐々に値段を引き下げていくのが一般的です。
特許が切れると、同じ有効成分を含み、同じ効果を出せるジェネリックと呼ばれる薬を他メーカーが製造することが多いですから、競争が促進され、さらに値段が下がるという効果が期待されます。
■“特許が切れた薬”の価格引き下げが急務
政府も可能な限りジェネリック医薬品を使うよう医療機関に推奨していますが、一方で、医師の立場からすると長年使い慣れてきた薬の方が、安心して処方できる面があるのも事実です。
製薬会社にとってはコストをかけて開発した薬ですから、できるだけ長い期間、高い価格で販売したいという気持ちは分かりますが、基本的には特許の有効期間内でコストを回収するのが原則であり、特許が切れた薬については、可能な限り安く提供してもらった方が医療費全体にとってメリットがあります。
政府はコストがかかる創薬については資金援助を強化する一方、特許が切れた薬について、可能な限り薬価を引き下げるよう要請していますが、製薬業界との調整がまとまらない状況です。このあたりを最適化できれば、医療費総額の抑制につながり、最終的には保険料の引き下げも可能となってきます。
■医療費抑制を通じて、手取りを増やすのも不可能ではない
このように、医師偏在の見直しや診療報酬の見直しによって過剰な入院や処方を減らす、あるいは製薬会社の特許切れ薬品の価格調整などをうまく組み合わせれば、医療費の抑制は不可能ではありません。
日本の場合、ほぼ全国民が保険で病院にかかれますから、気軽に病院に行ける制度になっているのは事実です。今後は病院の位置付けについて、重篤になってから行くものという考え方にシフトし、保険の点数や初診料、自己負担などを見直すことで、多くの人が病院に押しかけないような制度に変えていく努力も必要でしょう。
さらに言えば、病気になっていない人の健康管理を推奨し、禁煙などもさらに徹底させることで、病院にかかる人の絶対数を減らす試みも大事です。
これらの施策の実施は、様々な利害関係を調整しなければなりませんから、簡単なことではありません。しかしながら、丁寧に議論を尽くしていけば、医療費の抑制を通じて、私たちの手取りを増やすことも不可能ではないでしょう。
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加谷 珪一(かや・けいいち)
経済評論家
1969年宮城県生まれ。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村証券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。その後独立。中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行うほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターを務める。
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(経済評論家 加谷 珪一)