※本稿は、宮下友彰『不条理な世の中を、僕はこうして生きてきた。知っているようで知らない「古典教養の知恵」』(大和出版)の一部を再編集したものです。
■自分で物事を決める「自由意志」とは何か
「自由意志など存在しない」
――後悔に襲われたときに救ってくれた言葉
さて、「自由」とは、いったいどんな状態のことを指すと思いますか?
たとえば、休日にふと部屋の掃除をして、気分転換をしようと思い立ったとします。
実際に部屋の掃除をすれば、とても気持ちのいい1日が過ごせるでしょう。
あなたは、部屋の掃除をすることを「自由」に決めたのです。
この「ふと」「思い立つ」ように、自分で物事を決める力を「自由意志」と呼びます。
同じ部屋の掃除でも、親から「掃除をしなさい」と言われて、しぶしぶ掃除をしたなら、「部屋の掃除をした」という同じ結果であっても、その経緯にあなたの「自由意志」はかかわっていません。
ところが、哲学者のスピノザは、この「自由意志」の存在を否定します。
本稿では、そんな「自由意志」にまつわる思想についてお話しします。
■「あらゆる結果にはすべて原因がある」
スピノザ「自由意志」のあらまし
――それは本当に自分の意志?
たとえば、あなたが上司から仕事を頼まれて、その業務をこなしたなら、それは当然「自由」とは言えないでしょう。
しかし、その業務の合間に、コンビニに行って、サラダチキンを購入したのであれば、「自由意志」を行使したと考えると思います。
ところが、スピノザは「本当にあなたは自由にサラダチキンを選んだのですか?」とあなたに尋ねるでしょう。
コンビニの棚の位置はうまく設計されていて、ちょうど目線の位置に売りたい商品を置くことで、無意識にその商品を手に取るようになっています。
そのサラダチキンのパッケージに「栄養不足のあなたへ」と書かれていれば、「最近、食生活が偏っているな」と無意識に思っていたところに作用した可能性もあります。
ならば、「何事にも影響されずに自分で物事を選ぶ力」と定義した「自由意志」など存在するのでしょうか。
そう考えると、「完全に何事にも影響されずに自分で物事を選んでいる」ことなんて皆無だと気づかされます。
よくよく考えれば当然です。
次の法則は、誰にも否定できないからです。
「あらゆる結果にはすべて原因がある」
オフィスの机に置いてあった財布がなくなったとして、この「財布がなくなった」という結果に対しても、必ず原因があるはずです。
鞄に入れたことを忘れていたのかもしれないし、誰かが盗んだかもしれません。
とにかく、「財布がなくなった」という結果には原因が存在するのです。
■「ある原因によって、なるべくしてなった」
「自由意志を信じるということは、勝手に財布が消えることを信じるのと同じくらい馬鹿げている」、そうスピノザは主張しています。
自分が自由であると思う(中略)人がいるとすれば、その人は誤っている。
『エティカ』(スピノザ著・工藤喜作、斎藤博訳/中央公論新社)
ここでスピノザが言っているのは、「もし、自分が自由だと信じている人がいれば、その人は自分を突き動かしている原因を単に意識できていないにすぎない」ということです。
あなたも、これまでの人生において、「自由意志を奮って決断した」と自負できるような、大きな転機があったと思います。
志望した大学への受験、会社の転職、結婚……。
しかし、これらも突き詰めれば、それを志したなんらかの原因があるはずです。
よって、「自由に選んだ」のではなく、「ある原因によって、なるべくしてなった」と考えるほうが正しい。
これがスピノザの主張です。
そして、あなたを動かした原因にも、またそれを生み出した原因があるのです。
■「自由は存在しない」ほうが人生はラクになる
たとえれば、次のようになります。
ある車が、止まっていた前の車にぶつかった。
ぶつかってきた車も実はその後ろの車に追突されたからで、さらに、その追突された車も、さらにその後ろの車に追突されていた……。
私たちは、延々とこの玉突き事故を繰り返しているということになります。
これは、「私たちの人生は、自分で決めている気になっているだけであって、実は玉突き事故の結果でしかない」というネガティブな考え方にいきつきます。
ところが、スピノザは「自由は存在しない」と断言しながらも、そのように考えることによって、むしろ人生はラクなものになると提唱しています。
これはいったい、どういうことでしょうか?
この古典教養が救ってくれる人
・自責思考癖があるために、自分を責めすぎてしまう人
・失敗したとき、延々と「ああすればよかった」と後悔してしまう人
・完璧主義で、本番前に過度に緊張してしまう人
■「あのとき、もっとこうすれば」という後悔を払拭
「階段の機知」という言葉を知っていますか?
たとえば、会議で発言を求められて、しどろもどろになってしまったとき。
会議が終わってから、ふと「こんな発言をすればよかった」と後悔した、なんて経験はないでしょうか。
後になって、「もっとふさわしい行動ができたはず」とくよくよ考える、これを「階段の機知」といいます。
さて僕は、例の先輩に叩き直されたことによって、その数年後には、責任のあるリーダーに就くことができました。
ある広告の受注を勝ち取るための、ほかの競合と企画内容を競うコンペのリーダーを担わせてもらうことになったのですが、初めての経験であった僕は、スライドをプロジェクターに写しながら、流暢に自信を持って話せるように、夜な夜な練習を続けていました。
そして、いよいよ本番の日。
プレゼンテーション自体は、ミスをすることなく無事に終えることができました。
問題は質疑応答です。
質疑応答も事前に予測して、いくつもの回答を用意してきましたが、クライアントのある幹部の方からの質問が、あまりにも予想外なものだったのです。
予想外のことに弱かった僕は、それまで自信満々な態度をとっていたにもかかわらず、急に慌てて、しどろもどろに回答することしかできませんでした。
プレゼンテーションの時間が終了し、クライアントのオフィスが入っているビルの階段を降りているときに、「あっ、こう言えば納得させられたはずだ」という激しい後悔が僕を襲います。
■さまざまな負の感情と別れ、自分を許せる
数日後、結果として、僕らの会社はコンペに負けたことが知らされました。
原因は不明ですが、あの質疑応答が響いたとしか考えられません。
さらに後悔の念がじわじわと湧いていきます。
このとき、スピノザの言葉が聞こえました。
「宮下よ、君には自由意志など存在しないことを忘れたのかい?」
ふと、僕はある気づきを得ました。
あらゆる原因(プレゼンテーションのときの環境、自分の体調、脳の回転具合など)によって、結果が決定されるならば、自分が自由に選んだと思っている行動は、実はそれ以外に選ぶことなどできなかったはずです。
だとしたら、何を後悔する必要があるでしょうか。
つまり、自由意志の存在を否定するスピノザの思想は、「あのとき、もっとこうすればよかった」などという後悔の念を消してくれます。
「私たちは単に玉突き事故を繰り返しているにすぎない」と考えれば、さまざまな負の感情と別れることができますし、この考え方は人生において、非常に助けになるものです。
そして、「自分を許す」ことができます。
■結局、「それ以上」のことはできない
この考え方の対極にあたるのが、「自責思考」、つまり「どんな事象でさえも、自分の責任だ」と捉える考え方です。
たとえば、部下から突然退職を告げられたとします。
そのとき、あなたは「部下が退職しないように、もっと事前にできたことがあったのではないか」と自分を責める(=自責思考)でしょう。
でも、スピノザからすれば、そんな自責思考は、自由意志を信じている人間の傲慢にしかすぎません。
そして、自由意志を持っていないのですから、「あのとき、もっと悩みを聞いてやるべきだった」などと考えるのはおかしなことです。
■他人にもイライラしなくなる
自由意志の存在を否定することで得られる、もう1つのメリットを紹介します。
それは「自分を許せる」ように、「相手を許せる」ということです。
自由意志の存在を信じることは、自分に自由意志があるという確信だけではなく、相手にも自由意志があるという確信にも繋がります。
たとえば、久しぶりに知人とばったり出くわして、知人が開口一番、あなたにこう言ったとします。
「あれ? 以前会ったときよりも太ったんじゃない?」。
たとえ、太ったことが事実だとしても、イラッとしますよね。
きっとその知人と別れた後も、不快な気分を引きずるでしょう。
では、なぜイラッとしたのでしょうか。
それは、彼には、自由意志があって、もっとほかにも触れるべき話題があるにもかかわらず、わざわざ外見のことを指摘したからです。
ところが、スピノザの哲学では、その知人には「そんな自由意志は存在しない」と考えます。
知人に自由意志など存在しないのだから、知人は「最近、調子どう?」「今日の服装、おしゃれだね」といったほかの発言をする選択肢を持っていないということです。
つまり、彼自身も、「自由」に話題を選んだわけではないと考えれば、彼を許すこともできるのではないでしょうか。
自由意志が存在しないのならば、自分を責めることも他人を責めることもない。
スピノザは、人生がラクになる知恵を授けてくれたように思います。
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宮下 友彰(みやした・ともあき)
古典教養アカデミー学長
1987年、埼玉県出身。学生時代より、哲学・文学・思想の本が好きで、数百冊を読み漁る。早稲田大学政治経済学部を卒業後、博報堂グループの広告代理店に入社。仕事で壁にぶつかるたび、かつて読んでいた哲学・文学・思想の言葉を思い出し、自分を奮い立たせてきた。のちに退職し、2019年、採算度外視で、教養を学ぶサービス「古典教養アカデミー」を大阪天満橋にオープン。2020年、コロナにより、全面オンラインに移行、2022年YouTubeチャンネル開設(登録者数3500名)。日本政策金融公庫、佛教大学、京都先端科学大学などで講演実績あり。
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(古典教養アカデミー学長 宮下 友彰 イラストレーション=さこうれい子)