その日世界は涙を流した…非業の死を遂げた6選手
その日世界は涙を流した…非業の死を遂げた6選手

多くの選手たちが魅力的なプレーや紳士的な振る舞いでサポーターに夢や希望を届けて記憶に刻んできた。

一方でサッカーフリークに感動を届けてきた選手が非業の死を遂げて悲しみの記憶として歴史に名を残した選手もいる。

今回は非業の死を遂げたサッカー選手を5人を挙げ、彼らの活躍を振り返る。

試合中に命を落とした永久欠番

マルク=ヴィヴィアン・フォエ

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国籍:カメルーン

ポジション:守備的ミッドフィールダー

没年月日:2003年6月26日

カメルーンで生を受けたフォエは同国内で若くして有望な守備的ミッドフィールダーの一人として期待されていた。1994年にキャノン・ヤウンデでプロデビューを果たし、RCランス、ウェストハム、リヨン、マンチェスター・シティで存在感を見せていた。

2003年に開催されたコンフェデレーションズカップに出場するも、体調不良の中で強行出場をしたフォエ。準決勝コロンビア戦後半27分にピッチ上で倒れて帰らぬ人になり、享年28歳、死因は肥大型心筋症だった。この非業の死により過密日程について議論を呼んだ。マンチェスター・シティはフォエが身に着けた背番号23を永久欠番としている。

日本を熱くさせた男の最期

松田直樹

その日世界は涙を流した…非業の死を遂げた6選手
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国籍:日本

ポジション:センターバック

死因:2011年8月4日

パッションあふれるプレーで日本中を沸かせたセンターバックは、輝かしいキャリアと共に夭逝した一人だ。1995年から横浜マリノスに入団し、センターバックとして同クラブの堅守速攻を長く支えた。日本代表には40試合出場し、日韓ワールドカップでは守備の要として君臨した。

2011年に当時JFLの松本山雅へ完全移籍するも、8月2日のトレーニング中に倒れ、その後意識が戻ることはなく4日に急逝した。病名は急性心筋梗塞で、享年34歳だった。横浜・Fマリノスは松田が身に着けた背番号3を永久欠番とした。彼の死をきっかけに、自動体外式除細動器(AED)の設置の議論が進んだ。

イングランドの未来は若くして

ダンカン・エドワーズ

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国籍:イングランド

ポジション:攻撃的ミッドフィールダー

没年月日:1958年2月21日

イングランドの未来といわれた攻撃的ミッドフィールダーは弱冠21歳でマンチェスター・ユナイテッドで151試合20得点、イングランド代表では18試合5得点と将来を大きく期待されていた。

ただ後に『ミュンヘンの悲劇』といわれる飛行機の離陸失敗による事故に巻き込まれ、2週間余り生死をさ迷った末に力尽きてしまった。享年21歳と若くして巨大な才能をイングランドは失ってしまった。それでもその意思は後輩のボビー・チャールトンに引き継がれ、チャールトンは歴史に名を残す活躍を見せた。

当時世界最高峰の男は不慮の事故に

ヴァレンティーノ・マッツォーラ

その日世界は涙を流した…非業の死を遂げた6選手
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国籍:イタリア

ポジション:センターフォワード

没年月日:1949年5月4日

イタリアの長い歴史において史上最高のプレイヤーの一人に名を挙げられるマッツォーラは、1940年代に圧倒的な強さを見せたグランデ・トリノの中核に位置する選手だった。優れた得点感覚で195試合118ゴールとすさまじい決定力で欧州を席巻した。

後に『スペルガの悲劇』といわれる悪天候による視界不良により発生した飛行機墜落事故に巻き込まれ、30歳の若さで命を落としてしまった。ただ英雄の意志は愛息サンドロが引き継ぐ形で、インテル、イタリア代表で偉大な父に負けない結果を挙げた。

自ら命を絶ったドイツ代表守護神

ロベルト・エンケ

その日世界は涙を流した…非業の死を遂げた6選手
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国籍:ドイツ

ポジション:ゴールキーパー

没年月日:2009年11月10日

東ドイツ出身の守護神エンケは類まれなるセービング技術と反応の良さでドイツを席巻したゴールキーパーだ。出身地のカールツァイス・イェーナでキャリアを始め、ボルシアMG、ベンフィカ、バルセロナでキャリアを積んだ。ドイツ代表では8試合試合に出場した。

ただこの偉大な守護神との別れは唐突だった。2009年11月10日に快速列車にはねられ、32年の生涯を終えた。妻に6年間うつ病に苦しんでいたと告白するなど、自殺だった可能性が示唆されている。追悼式典には4万5000人のファンが集まり、別れを惜しまれた。

凶弾に倒れてしまった英雄

アンドレス・エスコバル

その日世界は涙を流した…非業の死を遂げた6選手
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国籍:コロンビア

ポジション:センターバック

没年月日:1994年7月2日

南米屈指のセンターバックと評価されたレフティは、アトレティコ・ナシオナウとコロンビア代表の守備の要として活躍した。現代サッカーのファンも魅了するような左足の高精度ロングフィードと球際の強さでイタリアの強豪であるミランやインテルが獲得に動いていた逸材だ。

1994年に開催されたFIFAワールドカップ・アメリカ大会で1次ラウンド敗退により、国内から大きな批判を受けていた。敗戦に関わるオウンゴールをマスコミ、ファンへの説明責任を果たすためエスコバル主将は帰国すると、暴漢に12発の凶弾を打ち込まれて27歳で生涯を閉じた。この事件は現代も長く語り継がれており、このような過ちが風化しないようにと同代表のセキュリティは強化されたという。

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