22026年も春の訪れとともにプロ野球の新シーズンが幕を開け、連日熱戦が繰り広げられている。現在は転職サービス「doda」等で知られる人材会社のパーソルキャリアで業務に励む小松剛(こまつ・たけし)氏は、法政大学から2008年のドラフト3位で広島東洋カープに入団し、1年目から5勝を挙げる活躍を見せた。
「君は背が高いから、野球をやりなさい」
――まずは小松さんと野球の出会いから聞かせてください。
高知県高知市で生まれた後、小学校3年生の時に室戸市に引っ越すことになりまして、転校先で出会った友人やそのご家族に「背が高いから野球をやりなさい」と勧められ、野球を始めることになりました。最初はそこまで興味がありませんでしたけど、続けているうちに少しずつ野球が上手くなり、のめり込むようになりました。
――当時から投手だったんですか?
いえ、最初は外野手で、小学校の高学年になると捕手、そして少しずつ投手を任されるようになりました。そして、中学校に進学後に本格的に投手の練習を始めるようになり、たまに遊撃手と捕手としてプレーしつつ、投球に磨きをかけていきました。
――当時はどのような変化球を投げていましたか?
縦に大きく曲がる「ドロップカーブ」を得意としていました。中学時代に試しに投げてみたら思うように曲がったので、それを武器に投球を組み立てていました。
――投球の参考にされた投手はいらっしゃいますか?
上原浩治さんです。上原さんのテイクバックが小さく、効率の良いフォームを参考にしていました。当時はまだ珍しかったテイクバックの小さい投球フォームと、テンポや安定した制球力。下半身の浮き沈みが少ないながらも威力のあるボールを投げられるところに感銘を受けて、参考にしながらプレーしていました。
――中学卒業後は、地元高知県の室戸高校に進学されました。
当時の高知県は、明徳義塾高校が毎年甲子園に出場するような強豪校でしたが、地元で実力を持つ選手が室戸高校を選んでいたことや、高校の監督に言われた「地元の人が力を合わせて強豪校に勝とうや!」という誘い文句が胸に響いて、地元で頑張る決意を固めました。
スポーツ選手は「文武両道」を目指してほしい
――高校時代は残念ながら甲子園出場を果たせませんでしたが、その後は法政大学に進学し、野球に打ち込むことになりました。学生時代はきちんと勉強をされていたんでしょうか?
その質は別として……(苦笑)。成績は真ん中くらいでしたが、赤点を取ってしまったら、練習に参加できなくなってしまうような環境だったので、試験の前には頑張って時間を作り、勉強するように心がけていました。
もしスポーツで活躍しようと思うのなら、勉強も必須だと思いますし、越したことはありません。僕は残念ながらあまり実現できませんでしたが、スポーツをする上でも、頭を使って考えられた方が絶対に良いと思うので、上を目指して頑張っている学生の皆さんには、ぜひ「文武両道」を目指してもらいたいです。
勉強と練習のメリハリをつけて、きちんと計画を立てれば、きっと「文武両道」は達成できると思うので、工夫しながらそれを目指して欲しいです。
――部活を続けながら進学を目指している学生に、オススメの勉強法はありますか?
僕が仕事のために勉強する際は、手を動かして書きながら覚えるようにしています。
デジタル技術が発展した時代だからこそ、自分の手で文字を書き、脳を働かせることを意識していて、素振りのような感覚で僕は取り組んでいます。学生の皆さんも書いて覚えることで得られる刺激があると思いますし、情報を覚えたりする際にも役立つのではないかと思っています。
斎藤佑樹投手の「ハンカチ王子」旋風は本当に凄かった
大学時代の小松さん 本人提供
――高校を卒業された小松さんは、その後に法政大学に進学されます。
高校時代にセレクションのお誘いを受け、参加させてもらったことがきっかけです。
観客の多い東京六大学野球でプレーできるのは自分にとって魅力でしたし、話をいただいた時に「自分にとっても大きなチャンスだ!」と気持ちが昂ったことを覚えています。
――その後は無事に法政大学に入学し、2年生の春(2006年)で公式戦のマウンドに上がります。
初めてマウンドに上がった時は、「まだ2年生なのに公式戦で先発させてもらえた」という嬉しさと緊張が入り混じった感情でした。「絶対に勝たないと……」という思いよりも、たくさんの方に応援を背にマウンドに上がれた喜びや、相手打者の実力に驚かされたことを鮮明に覚えています。
――いつ頃からプロ野球選手になる自分の姿をイメージするようになりましたか?
小さい頃から「将来はプロ野球選手になる」ことを夢見ていましたが、それが実現する未来にリアリティを感じ始めたのは、2年生の秋頃だったと思います。この年は東京六大学野球で春秋連覇を成し遂げ、秋には胴上げ投手になることができた。その頃から「スカウトが練習に駆けつけている」という噂を何となく聞くようになり、その視線を意識するようになりました。
――2007年は甲子園で活躍をきっかけに、「ハンカチ王子」と呼ばれてスターになった斎藤佑樹投手の早稲田大学入学により、東京六大学が大きな注目を集めることになりました。
当時の盛り上がりは本当に凄かったです。大学野球専門雑誌が発行されたり、試合のインターネット配信も始まったりして、メディア露出も格段に増えましたから。
斎藤佑樹さんは僕の2歳年下ですが、彼の加入によって多くの観客を背に投げることができて本当にありがたかったですし、より楽しくプレーすることができたように思います。
寝られずに臨んだドラフト会議
広島時代の小松さん 本人提供
――そして、2008年のドラフト会議当日を迎え、ドラフト3位で指名された広島カープに入団されることになりました。当日のことを覚えていますか?
ドラフト会議の前日は全く寝られなくて、明け方まで同級生と一緒に映画を見て過ごしました。当時のドラフト会議はCSでしか放送されておらず、寮のTVで見ることができなかったので、実家でテレビ中継を見守る母と電話を繋ぎながら、その行方を見守りました。
――名前が呼ばれた瞬間は、どのように感じましたか?
小学校から思い描いた夢を叶えられた嬉しさもありましたが、それよりも「やってやるぞ!」という思いの方が強かったかな。
ドラフト3位で広島に入団した小松さんは、1年目の2009年から一軍で活躍。25試合に登板し、5勝(3敗)をマーク。「プロの世界でも意外とやれる」と手応えを掴んだが……。2年目以降は思わぬ苦難に直面することとなる。
小松剛(こまつ たけし) プロフィール
室戸高校・法政大学を経て2008年ドラフト3位で広島東洋カープに投手として入団。2009~2010年に一軍で計30試合に登板し、その後は育成契約や徳島への派遣でプレーした後、2014年からはカープ球団の広報・マネージャーとして活動。2022年よりパーソルキャリア株式会社へ転職し現職。プロダクト&マーケティング事業本部 ブランド・マーケティング本部 ブランドエクスペリエンス統括部 スポーツビジネス推進グループに在籍している。
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筆者:Jun S.

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