
故小嶺忠敏氏が率いた島原商業や国見の全盛期は、日本屈指のサッカーどころの一つだった長崎県。
それだけに、数多くの日本代表選手を輩出しており、現在代表を率いる森保一監督の出身地でもある(生まれは静岡県掛川市)。
そこで、長崎県出身の現役選手の中で日本代表歴を持つ「最強の5人」を紹介する。
渡邉千真
1986年8月10日生まれ
まずは昨季所属した松本山雅FCを退団し、今季はまだ所属チームが決まっていない渡邉千真。2歳年上の兄・大剛も京都サンガF.C.や大宮アルディージャなどで活躍した。
その兄と同じ国見高校へ進学すると、2年次に1学年上の平山相太や兵藤慎剛とともにインターハイと選手権の2冠を達成。当時は攻撃的MFで翌年からFWへポジションを移している。
早稲田大学を経て、2009年に横浜F・マリノスでプロ入り。1年目から13ゴールを決め、1994年の城彰二以来、史上2人目となる新人でのリーグ戦二桁得点を達成した。翌2010年1月に日本代表1キャップを記録。
その後はFC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FCなどでプレー。写真は2010年のキックオフカンファレンスでのもの。ちなみに隣の平山は福岡県北九州市出身だ。
梅崎司

1987年2月23日生まれ
大分トリニータのイメージが強い梅崎司もまた、長崎の地が生んだ日本代表選手の一人。
国見への憧れはあったが勧誘されなかったこともあり、高校から大分のアカデミーへ。同学年の西川周作ともにトップ昇格し、2年目の2006年にはトリニータ初の日本代表選手となった。
2007年1月にフランスのグルノーブルへ期限付き移籍したものの半年で復帰し、2008年からは浦和レッズで10年間プレー。ACL優勝やJ1のステージ制覇などを達成している。
湘南ベルマーレを経て、2021年夏に大分へ帰還。2023シーズンにはキャプテンを務め、プロ20年目の今季も契約を更新した(ただキャプテンは渡邉新太に譲り、副キャプテンに)。
吉田麻也

1988年8月24日生まれ
こちらも名古屋グランパスのイメージが強いが、日本代表歴代3位の126キャップを持つ吉田麻也も長崎県長崎市の出身。
中学から名古屋のアカデミーに入り、2007年にトップ昇格。U-18時代は中盤の底でプレーすることが多かったがそれもプロでのセンターバック起用を想定したものだったという。
1年目から19試合に出場すると、2009年12月にオランダ1部のVVVへ移籍。同じ冬の移籍期間で名古屋時代の先輩・本田圭佑はCSKAモスクワへと旅立っている。
その後、日本代表の中心選手に成長し、2012年夏に移籍したサウサンプトンでは7年半にわたりプレミアリーグで奮闘。サンプドリア、シャルケを経て、2023年からLAギャラクシーでプレーしている。
山村和也

1989年12月2日生まれ
吉田麻也と同じ長崎市出身。小学生時から高い評価を受け、国見中学から国見高校へ進学。U-18から世代別代表に選ばれ、流通経済大学時代に異例のA代表デビューを飾った。
2012年に鹿島アントラーズへ加入。当初はセンターバックだったが徐々にボランチでの出場が増え、2016年に移籍したセレッソ大阪でユン・ジョンファン監督のもとトップ下としてブレイク。
2017シーズンにカップ2冠を達成すると、2019年に移籍した川崎フロンターレでもそのマルチな才能を発揮。主にバックアッパーとしてチームを支え、時に前線でもプレーした。
足もとの技術が向上したことでビルドアップにもセンスを見せ、DFに怪我人が続出した2023シーズンは天皇杯制覇に大きく貢献。このオフ、34歳で横浜F・マリノスへ加入している。
毎熊晟矢

1997年10月16日生まれ
最後は、今をときめく日本代表DF毎熊晟矢。アジアカップのインドネシア戦、菅原由勢に代わり右サイドバックで先発し、圧倒的な存在感を放ったことは記憶に新しい。
東福岡高校から桃山学院大学へ進学し、2020年にV・ファーレン長崎でプロ入り。今回紹介した5人の中で唯一地元のJクラブでプレーした経験を持つ。
その1年目、手倉森誠監督のもとで右サイドバックにコンバートされ、これがキャリアの大きな転機に。2022年に移籍したセレッソ大阪でも、当初は右サイドハーフだったもののポジションを勝ち取りブレイクを果たした。
2023年9月に日本代表へ初招集されると、デビュー戦となったトルコ戦で初めて“日の丸”を背負うとは思えない堂々としたプレーを披露。国内組ながら代表に定着している。