
自身が犯した罪と向き合いながらサッカーに励む一人の青年がクロアチアで1部昇格をかけた戦いに心血を注いでいる。
クロアチア2部ヴコヴァルのフィリピン代表DFタビナス・ポール・ビスマルクは、当時J2いわてグルージャ盛岡所属時の2022年10月29日に、酒気帯び運転による道路交通法違反の疑いにより、岩手県警から任意捜査を受けた。
同月31日に同クラブとの契約が解除され、ビスマルクは2023年7月まで無所属期間を過ごした。
ビスマルクが罪と向き合った贖罪の期間と兄タビナス・ジェファーソン(フィリピン代表DF、タイ1部ブリーラム・ユナイテッド)との絆に迫った。
※飲酒運転は殺人、傷害につながる可能性がある重大な犯罪です。当記事は飲酒運転防止を啓発するためにタビナス・ポール・ビスマルク選手、タビナス・ジェファーソン選手の協力を得て掲載しました。飲酒した際は自動車、自動二輪車、自転車など乗り物の運転を必ず控えてください。
(取材・文・構成 高橋アオ)
ここで自分のサッカーが終わる
2022年10月29日午前4時ごろ、ビスマルクは人生を変えてしまう大きな過ちを犯してしまった。なぜこのような事案が発生したのか。事案発生の前日にビスマルクは「28日にJリーグが終わったので、選手たちと(盛岡市内の)居酒屋に行きました」と打ち上げに参加した。
このときビスマルクや選手たちは1年間の活動を労い、酒を酌み交わしたという。「たくさん飲んだわけではありませんが、(振り返れば)自分に甘かったです」と、同僚選手と乗車したという。
「隣に乗っていた先輩は『代行を呼ぼうよ』と言っていましたけど、自分の家が近かったのもあり、歩いても行けるくらいの距離でした。『ちょっと待てばいいんじゃないですか』と先輩の忠告を流してしまいました」と同僚の警告を振り切ってハンドルを握ってしまった。
魔が差してしまった。市内のパーキングエリアから出てすぐ警察官に車を止められた。その後、乗車していた2選手は盛岡東署で任意捜査を受けた。「警察署で事情聴取しているときに『あぁ、これは取り返しがつかないな』と思いました」とビスマルクは犯した過ちを深く後悔した。
取り調べが終わると、すぐに自らクラブへ事案が発生したと報告した。
「自分から『飲酒運転で捕まりました』とクラブに報告しました。(当時監督の)秋田(豊)さんは相当怒っていました。それから何とか自分をクラブに残そうと秋田さんたちが動いてくれましたけど、最終的には契約解除になりました。ただクラブに残って奉仕活動という形で活動させていただきました」
早朝6時にチームが練習している運動公園でゴミを拾い、新しくできた事務所移転の作業を手伝うなど、自分ができる贖罪に時間を充てた。ただ自身が犯した過ちの罪悪感は、時間の経過とともに大きくなっていった。
ビスマルクは「クラブに報告した後に、代理人、親に連絡しました。両親はそのとき仕事をしていましたけど、泣き崩れていましたね。兄貴(ジェファーソン)からは『飲酒運転だけはするなよ』と車を買って乗せたときに言われていました。めちゃくちゃ叱られました。その次に(高校生当時ビスマルクを指導していた青森山田高監督の)黒田(剛)さんと(当時青森山田高コーチの)正木(昌宣)さんに報告して、みんな『残念だ』という反応でした」と犯した罪の大きさを痛感した。

「『どうしよう』と思いましたね。『ここで自分のサッカーが終わるのか』と過りました」と振り返った。その後8カ月に渡る贖罪の無所属期間を過ごすビスマルクは、ここから始まる生き地獄のような日々をこの時は知る由もなかった。
追い詰められた弟を見て兄が取った行動とは
当時J2水戸ホーリーホックに所属していた兄のジェファーソンは、弟からかかってきた電話に戸惑ったという。「(ポールは)ちょっとパニックになっていましたね。泣きながら電話してきたんですけど、最初は何を言っているのか分かりませんでした。徐々に(状況を)飲み込むことができて、だんだんと頭の中に入ってきました。僕の中では『ああ、(酒気帯び運転を)やってしまったんだ』と衝撃を受けましたね」と弟が犯した罪を知って絶句した。

車を運転し始めた際、弟に「飲酒運転をするな」と忠告していただけに、ジェファーソンは次第に怒りがこみ上がってきた。優しくて心が強いとビスマルクが尊敬する兄は怒声を上げた。
「いま思ったら、あそこで優しい言葉をかけるべきだったと思います。でも俺は彼の人生の方が心配だった。起きたことに対して周りがどういう反応をするのかは分かります。盛岡を契約解除になったとき、その未来も見えてしまっていた。Jリーグでもっと活躍できたという俺の期待もあったし、そこからまた明るい未来が絶対に待っていた。もったいないという気持ちがすごく強かった。ここで終わってほしくないという想いも込めて、そのときはきびしい言葉をかけたと思います」
10月31日にクラブからビスマルクの契約解除が発表されると、地獄のような日々が始まった。リリースが発信されると、ネット上ではビスマルクへの人格攻撃もあり、中には酒気帯び運転とは関係がない人種差別的な投稿も見られた。
そのときビスマルクは「自分が叩かれるような悪いことをしたから仕方ない」と心を殺して耐えていた。
弟が窮地(きゅうち)に立たされたとき、尊敬する兄が動いた。
ビスマルクは「一番最初に味方に付いてくれたのが兄貴でした。兄貴の存在はいつも大きかったですよ。小さいときいつも助けてもらっていた。自分がこうやってまた迷惑をかけて。(酒気帯び運転を)やってしまった後で初めて兄貴と同じチーム(フィリピン代表)でピッチに立ったんですけど、そのときの印象で大きかったことは、自分は兄貴よりも身長が7センチ大きいけど、ピッチに立つと兄貴のほうがでかく見えるんですよ。いまでも兄貴が一番の支えで憧れですね。罪を犯した後の自分を守ってくれたときの言葉が一番印象に残っています」と最も身近なヒーローに深く感謝していた。
彼は今とても反省しています。失った信頼を取り返すのは簡単じゃないし、この先たくさんの困難が待ち受けていると思います。甘やかすつもりは、ありませんが、兄として全力でサポートします。
最後に僕からのお願いです。
厳しい意見もあると思います。でも今は心の中しまっていてほしいです。
タビナスジェファーソン/JeffersonTabinas (@___JDT___4) October 31, 2022
ジェファーソンは今回の一件を奇麗事や美談にしようと思っていない。道を踏み外してしまった結果は事実だが、弟はクラブとの契約解除で社会的な制裁を受けている。いわれのない言葉をかけられ続けた弟を守った行動は、兄にとって当然の結果だった。

「僕は小さいころから両親に『お前は弟の面倒を見るんだぞ』とずっと言われていました。 一番つらいときに少しでもその炎上を和らげるというか、何か少しでも矢印が逸れればという思いもありました。あのときも書いたと思うんですけど、社会人としてやってはいけないことだけど、兄として、家族として彼を守ることが僕の使命というか。(ネットリンチは)制裁というんですか?契約解除などで罰は受けていると思います。自分勝手ですが、できるだけその社会的な制裁は、過度に彼を追い詰めてほしくない思いが強かったです」
兄がSNSに投稿した内容を見たときビスマルクは大粒の涙をぼろぼろと零したという。愛する弟を守るために、兄が矢面に立って守ってくれた。暫くして弟は兄が住む水戸の家へ訪れたという。
「僕の水戸の家に4泊くらいしたときがあって、そのときの彼を見ていたら『これは大丈夫だ』と思いました。彼は自分で立ち直るメンタリティがあります。まだ落ち込んでいましたけど、彼のメンタリティに関して心配していませんでした。ずっと連絡を取り続けて、 彼もできることをやっている感じだったので、特に何か言葉をかけることはありませんでした」と、時にはきびしく、時には優しく弟を見守った。
そしてビスマルクは罪と向き合う贖罪の時間が始まろうとしていた。
地獄の海外生活を過ごして
弟ビスマルクは海外クラブでのプレーを模索していた。日本でのプレーは絶望的であり、新天地は海外しかない状況だった。
「代理人にクラブを探してもらって何とか他のチームにつながりました。ただ、そこからが長かったですね」
ビスマルクは東京都で生まれたが、日本国籍を保有していない。フィリピン人の母親の同国籍とガーナ人の父親の同国籍しか持っていないため、日本に滞在するにはビザが必要となる。クラブとの契約を解除したビスマルクは労働ビザで日本に滞在できない状況となった。

「僕は外国人なので21年間毎年ビザ更新してきましたが、(盛岡との)契約が解除になってビザの更新ができなくなりました。いまでも覚えていますけど、(2023年)5月26日ですね。それまで何回も入管に行って滞在期間をちょっと延長させてもらっていましたけど、入管の人たちにも『申し訳ないですが、この日以上はダメです』と言われました」と、日本からの出国を強いられた。
母の母国であるフィリピンへ渡ったビスマルクは交渉中のクラブが獲得に動いているか、動いていないか分からない状況にあった。そのため両親からもプロを諦めて、フィリピンの大学進学や就職を勧められた。
「日本で(新クラブ入団に必要な)ビザの手続きはいろいろと終えましたけど、プロセスがあまりにも長かった。交渉中のチームとも連絡を取りながら、ビザの取得のために準備していました。フィリピンへ最初に行ったときは、母の家がマニラにあるのでそこで2カ月半暮らしました。ただ日本とフィリピンはカルチャーがかなり違うのできつかったですね」と振り返った。
フィリピンには毎年親と渡航していたが、それでも生活をするとなると話は別だ。義理の兄と共同生活をしていたビスマルクは、自分が犯した罪の重さ、カルチャーギャップ、そして新クラブとの交渉によるストレスで精神的に弱っていった。
「地獄でしたね。(罪を犯してから)8カ月間は先が見えなかった。『このまま俺はどうなるの』と思っていましたよ」
罪を背負って生きる覚悟
フィリピン入国から1カ月経過してビスマルクは覚悟を決めていた。
「最初は『もうフィリピンで仕事をするしかない』と思っていましたけど、自分が(酒気帯び運転を)やってしまったのだから(進路を)選ぶことができない」と、贖罪の時間を過ごしていた男の元に吉報が届いた。
交渉していたクラブの国から労働ビザが下りた。新天地であるクロアチア2部ヴコヴァルへ移籍するまでにかかった時間は8カ月の時間を要した。罪と向き合いながら苦しみ続けたビスマルクが報われた瞬間だった。
「神さまにずっと8カ月間祈っていました。この8カ月間は神さまが僕に与えた反省の期間でもあるし、『心から自分自身を変える時間だ』と思っていました。『僕が変わらない限り、ビザは下りないんじゃないか』と考えていましたね。このままただ待つだけでは、神様は僕に道をくれないと思っていたから、自分が変わるために頑張りましたね」と、罪を悔いながら自分と向き合い続け、必死に変わろうと努力した。

無所属期間中も体を鍛え、神に祈って贖罪を絶やすことはなかった。酒気帯び運転をした際に、幸いにも自動車による人身事故、物損事故は起こさなかったが、これまでビスマルクを支え続けてきた両親、兄、指導者、クラブ関係者、応援してきたファンを裏切ってしまった。
もう二度と過ちを繰り返さないと神に誓った。だからこそ罪を背負って生きる覚悟を決意できた。
「この過ちを二度と繰り返さないことに意味があると思っています。飲酒運転だけじゃなくて『ダメと言われたことをしない』という人としての責任感を持つことによって、人は変われるのかなと思いました。これまで信じてくれた人に対して恩を返したいですね」と柔和な笑みを見せた。
2022年10月31日の盛岡との契約解除から約11カ月後の2023年9月2日に、クロアチア2部リーグ第4節ツィバリア戦で新天地のピッチに立った。

出場時間はたったの1分間だったが、大きな一歩を歩み出した。ビスマルクはこれまで支え続けてくれた人々に恩を返すために、東欧の地で奮闘し続けている。
インタビュー後編は兄と再会を果たしたフィリピン代表での戦い、クロアチア1部昇格を目指す挑戦などを熱く語った。