
21世紀も四半世紀が経ち、今や日本人選手の海外移籍はごく当たり前のものとなっている。
しかし当然のことながら最初からそのレールは敷かれていたわけではなく、道なき道を切り開いて開拓してきた先人たちの苦労が現在へとつながっている。
そこで今回は、ヨーロッパのリーグで衝撃的な活躍をみせ、その国に“日本人ブーム”を巻き起こした選手たちをご紹介しよう。
香川真司
ドイツ最高峰のブンデスリーガは、古くは奥寺康彦や尾崎加寿夫、21世紀に入ってからは高原直泰が活躍しているが、日本人ブームを巻き起こしたといえるのは香川真司であろう。
2010年夏、35万ユーロ(およそ4000万円)ほどの安価でドルトムントへ加入した当時21歳の若者は、ユルゲン・クロップ監督のもとでセンセーショナルな活躍をみせる。
前半戦だけで17試合8得点、負傷により後半戦を棒に振ったもののリーグ優勝の原動力となり、翌シーズンには1シーズンを戦い抜いてリーグ連覇を達成した。
香川の活躍後、2年以内に細貝萌(レヴァークーゼン)、槙野智章(ケルン)、岡崎慎司、酒井高徳(ともにシュトゥットガルト)、宇佐美貴史(バイエルン)、大津祐樹(ボルシアMG)、乾貴士(ボーフム)、清武弘嗣、酒井宏樹(ともにハノーファー)といった選手たちがドイツへと渡っている。
鈴木唯人

かつて日本代表の守護神だった川口能活が開拓したデンマークだが、今まさに日本人ブームが到来している。その流れは鈴木唯人が「作った」と言っていいだろう。
最初のヨーロッパ移籍となったフランスのストラスブールでは出場機会に恵まれず半年で帰国。その直後デンマークのブレンビーと契約したが、王道とは違う北欧への移籍については必ずしもポジティブな見方ばかりではなかった。
しかし加入したシーズンの後半戦で爆発的にゴール・アシストを記録し、市場価値が10億円近くも跳ね上がる人気銘柄に。そして今夏、ドイツ・ブンデスリーガのフライブルクへ栄転移籍した。
鈴木の活躍後、デンマークにはまず村田聖樹 (ヴェイレBK)が移籍し、今夏には内野航太郎(ブレンビーIF)、福田翔生(ブレンビーIF)、鈴木淳之介(FCコペンハーゲン)と3選手が加入している。
古橋亨梧

スコットランドでは中村俊輔が伝説的な存在となっているが、当時の時代背景もあってなかなか後には続かなかった。
“日本人ブーム”を生み出したのは、古橋亨梧がセルティックの英雄ヘンリク・ラーションと比較されるほど得点を量産したからだ。
ヴィッセル神戸で点取り屋としての才能が開花していた古橋は、2021年夏、横浜F・マリノスでJリーグを制覇したアンジェ・ポステコグルー監督が率いるセルティックへ。
すると半年後には、旗手怜央、前田大然、井手口陽介がセルティックへ。以降もセルティックは岩田智輝、小林友希、稲村隼翔を獲得し、他クラブでも田川亨介、小田裕太郎らがプレーしている。
坂元達裕

近年、イングランド2部には日本人選手が爆発的に増加している。
その理由として昇格すれば世界最高のプレミアリーグでプレーできることと労働ビザ取得の一部緩和が挙げられるが、坂元の功績も見逃せない。
J2・モンテディオ山形でプロデビューした28歳は、セレッソ大阪を経てベルギー1部のオーステンデへ。2シーズン活躍した後、コヴェントリー・シティへ加入した。
ベルギー時代は活躍こそするものの得点はゼロだった。しかしコヴェントリーでは得点能力を発揮し、大ケガで戦線離脱したもののシーズン7得点をマークした。
三好康児も同シーズンに6得点を記録したこともあり、シーズン終了後の昨夏には平河悠(ブリストル)、斉藤光毅(QPR)、大橋祐紀(ブラックバーン) 、田中碧(リーズ)、瀬古樹(ストーク)がイングランド2部でプレーすることになった。
中田英寿

イタリア・セリエAで初めてプレーした日本人選手は“キング”こと三浦知良であるが、初の成功者となったのが中田英寿だ。
海外移籍が一般的ではない時代からヨーロッパでの挑戦を見据えていた彼は、1998年ワールドカップ後、数あるオファーの中からペルージャを選択した。
迎えた開幕戦、前年度の王者ユヴェントス相手にいきなり移籍後初ゴールを決めると、さらに2点目を奪うという衝撃的なデビューを飾った。
ペルージャでの活躍後にはローマへ移籍。イタリアの王子フランチェスコ・トッティとのポジション争いを演じ、日本人選手として初めてセリエA優勝メンバーとなった。
セリエAにはその後、名波浩(ベネツィア)や中村俊輔(レッジーナ)、柳沢敦(サンプドリア)、森本貴幸(カターニア)、小笠原満男(メッシーナ)らが続くことになる。
しかし中田の活躍はヨーロッパ全土で日本人、もっといえばアジア人全般の価値を高め、現在まで続く海外移籍の礎を作ったといえるだろう。