JFLに所属する高知ユナイテッドSCが、来季のJリーグ参入に向けて着実に前進している。
成績は暫定ながら2位に勝点10ポイント差をつけての首位。大きな課題だった集客も、9月1日のヴェルスパ大分戦で史上最多の11,085人を動員したことにより、残り5試合で8,985人と目途が立ってきた。
ほぼプロスポーツ不毛の地で、四国で唯一Jクラブがない高知県だけに、自治体も現在の状況を受けて地元クラブのJリーグ昇格を強烈に後押し。
高知県は今月、ホームスタジアムとして使用されている春野陸上競技場の照明がJリーグ開催に必要な照度を確保するためLED化する整備費など約2.7億円の補正予算案を議会に提出する方針を固めたという。
高知ユナイテッドはこの週末、15日(日)15時から「高知市長杯」を冠したJFL第20節FCティアモ枚方戦をホームの春野陸上競技場で開催。
そこで今回は、高知県の出身でサッカーにおいて実績を残した「最強の3人」を紹介する。
成田十次郎
【クラブ】東京ヴェルディの前身である読売サッカークラブの初代監督を務められた成田十次郎さんが、2022年8月7日(日)、ご逝去されました。
謹んで哀悼の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。https://t.co/lRHRknjq4M#verdy
東京ヴェルディ(TOKYO VERDY)公式⚽ (@TokyoVerdySTAFF) August 19, 2022
1933年1月1日生まれ(2022年8月7日死去)
「日本サッカーの父」として知られるドイツ人のデットマール・クラマー氏。怪我で若くして引退し、指導者の道を歩んでいた当時35歳の彼を、日本へ連れてきたのが高知県吾川郡池川町(現・仁淀川町)出身の成田十次郎氏だ。
高知追手前高校から進学した東京教育大学(現・筑波大学)の蹴球部で活躍し、日本代表候補にもなった成田氏。1960年にケルン体育大学へ留学する際に彼は、日本サッカー協会(JFA)から1964年の東京五輪に向けたコーチ探しを依頼されていた。
そして現地で情報を集め面談などをしたうえで、「この人しかいない」と見出したのがクラマー氏だった。
日本のスポーツ界で外国人指導者が稀だった時代。まだ20代だった成田氏がこの若きドイツ人指導者を中心とした強化を主張したことで、日本サッカーは“夜明け”を迎えたと言っても過言ではない。
成田氏はその後、東京ヴェルディの前身である読売サッカークラブの創設に携わり初代監督を務めるなど、生涯にわたって日本のサッカー界やスポーツ界に多大な功績を残している。
山口智
1978年4月17日生まれ
現在、Jリーグの湘南ベルマーレで監督を務める山口智も高知県の出身。地元(高岡郡佐川町)の佐川サッカースクールでサッカーを始め、同い年のチームメイトには今もサッカー好きで知られる声優の小野大輔さんがいたそう。
山口は1994年に高知を離れ、ジェフユナイテッド市原(当時)のユースチームへ加入。その2年後には高校生ながらDFとしてJリーグデビューを飾った。
1997年にトップチームへ昇格すると、2001年にはガンバ大阪へ移籍。完全移籍となった2年目以降は主力として定着し、2005年のリーグ初優勝や2008年のACL制覇など数多くのタイトルを獲得している。セットプレーでの遠藤保仁とのホットラインは強力無比だった。
2012年にジェフユナイテッド千葉へ戻り、2015年に京都サンガF.C.で現役を引退。ガンバ大阪で指導者となったのち、2021年に移った湘南で同年9月からトップチームの指揮を執っている。
吉村圭司
1979年8月8日生まれ
3人目はこちらもJリーグ優勝経験を持つ吉村圭司。彼もまた高岡郡佐川町の出身で、山口智は中学時代まで1年先輩のチームメイト。3歳年上の兄・吉村光示もJリーガーだった(現在は愛媛FCのスポーツダイレクター)。
高校では誕生したばかりの愛媛FCのユースチームに所属し、愛知学院大学を経て、2002年に名古屋グランパスでプロ入り。2年目にスタメンの座を掴むと、守備をベースにしたボランチとして重宝される存在になっていった。
チームが田中マルクス闘莉王や玉田圭司、ジョシュア・ケネディらを擁して、悲願のJ1初優勝を達成した2010シーズンも14試合に出場。その後は2013年に移籍した愛媛FCで3年間プレーし現役を退いた。
引退後は名古屋グランパスのスタッフとなり、スカウトやアカデミーコーチを経て、2023年からはトップチームでコーチを務めている。