半世紀近い歴史があるプログレッシヴ・ロックは、最も独特で並外れた奇抜なロックのアイデアが誕生しやすい環境だった。例えば、バカげたコンセプト・アルバムやシンセサイザーの早期採用、過度に複雑な拍子記号、トールキンふうのファンタジー、未来に対する苦悩そして記憶のなかのイメージなどの発想はプログレから生み出されたものである。
2015年にラッシュが初めてローリングストーン誌の巻頭記事を飾ったお祝いとして、パンクが抹殺に失敗したこの愉快でデカダントなジャンルの最高傑作を紹介しよう。
50. ハッピー・ザ・マン『ハッピー・ザ・マン』(1977年)

ジェームズ・マディソン大学の寮で結成され、ワシントンDCを拠点に活動していたハッピー・ザ・マンは、1970年代に神聖視された、ほぼインストゥルメンタルのプログレ・アルバムを3枚制作した。サックスが駆り立てるジャズ・フュージョンの狂気(ザッパの『ワン・サイズ・フィッツ・オール』のよう)とシンセサイザー主体の瞑想的な緊張感が上手く交わり魅惑的な雰囲気を作り出している。ショーケース・ライヴの後、クライヴ・デイヴィスが「わあ、この音楽はよくわからない。私の理解を超えているようだ」とバンドに言ったらしいが、それでも彼はバンドとアリスタ・レコードの契約を結んだ。彼らのデビュー作はバンドの最もダイナミックな瞬間を示し、曲のタイトル(「スタンピー・ミーツ・ザ・ファイアクラッカー・イン・ステンシル・フォレスト」や「ニー・ビトゥン・ニンフス・イン・リンボ」)と同じくらい斬新な楽器の複雑な相互作用が強調されたものだった。by R.R.
49. ルインズ『ハイドロマストグロニンゲム』(1995年)

プログレッシヴ・ロックの宇宙の果てで輝くこの日本発のドラムとベースのデュオは、意味不明な叫び声と悪魔のようなグロウルに合わせた奇妙な韻律とリズムの調和しない爆音を正確に奏でることができる。ルインズの5枚目のアルバムは特に魅惑的であり、ヴォーカルのメロディやドローン・ドゥーム・メタル、パンクのテンポ、こだわり抜いたクリムゾンふうのプログレの断片を急速に変形し続ける彼らの曲に組み込んでいる。ルインズの首謀者である吉田達也に最も強い影響を与えたのは、マグマのクリスチャン・ヴァンデだ。吉田もヴァンデのようにバンドのために独自の言語を作りさえした。一方で実験マニアのフランク・ザッパやアヴァン・ジャズで人に恐怖を与えるジョン・ゾーン(彼のレーベルTzadik(ツァディク)からアルバムをリリースした)を模したような跡も見てとれる。『ハイドロマストグロニンゲム』を聴くに堪えないものだと評価した人もいるし、このアルバムはキング・クリムゾンやイエスのファンを間違いなく挑発させただろう。
48. FM『ブラック・ノイズ』(1977年)

ラッシュはさておき、カナダはプログレが繁栄するのに適した環境ではなかった。このジャンルの発案者の多くが姿を消していくなか、トロントを拠点に活動するFMは1977年にデビュー・アルバムをリリースした。一見すると、このバンドはそういったカナダの状況に逆らう動きをたくさんしてきように感じられる。今でも『ブラック・ノイズ』はプログレ時代後期における最も独創的なアルバムのひとつであり、シンフォニックなシンセサイザーの印象と輝くようなニューウェーブのメロディが催眠術のように混ざり合い、さらに外科用包帯で顔全体を覆い隠してステージに立つナッシュ・ザ・スラッシュことジェフ・プリューマンによって電子マンドリンとヴァイオリンを交互に使用する珍しい手法が取られた。オープニング曲の「フェイサーズ・オン・スタン」はフロントマンでベーシスト兼キーボード奏者のキャメロン・ホーキンスによるクセになるようなサビのおかげで、AMラジオでマイナー・ヒットとなったが、FMが自分たちのデビュー作の深い宇宙の魔法に触れることはなかった。「このアルバムには時代を超えたクオリティがある」とホーキンスは2014年、ミュージック・エキスプレス誌に語った。by R.R.
47. クラック・ザ・スカイ『クラック・ザ・スカイ』(1975年)

アメリカのロック・バンドはプログレへの熱意がないと思われており、限界を押し広げるようなバンドはたいていビジネス・チャンスを掴み損ねた。その最たる例が、ウェスト・ヴァージニアの生意気な連中クラック・ザ・スカイだ。彼らは変幻自在なデビュー作で完全な傑作を作り上げた。シンガーでリーダーのジョン・パルンボに率いられ、バンドは重いハードロックのリフ(「ホールド・オン」)やトゲのあるアート・ポップ(「サーフ・シティ」)、フュージョン・ファンク(「シーズ・ア・ダンサー」での素晴らしいブレイクダウン)、長編のバラッド詩(「シー・エピック」)などを上手く使いこなした。ローリングストーン誌が「スティーリー・ダンや10cc、ザ・チューブスのデビュー・アルバムのように、クラック・ザ・スカイのデビューも、独創的でユーモアに富み洗練された70年代半ばのアンニュイなヴィジョンがあることを披露するものだった…」と大絶賛するレヴューを掲載したにもかかわらず、彼らが得たのは一部地域の熱心なファンだけだった。
46. カルメン『ファンダンゴ・イン・スペース』(1973年)

フラメンコ調のプログレッシヴ・ロックは、1973年当時でもかなりバカげたアイデアだった。しかしロンドン中心に活動を行うカルメンは、ロサンゼルス出身のシンガー兼ギタリストのデヴィッド・アレン(妹でキーボード担当のアンジェラ・アレンが補佐していた)のヴィジョンを追求し、そんな革新的な融合をデビュー・アルバムでやってのけた。(本作はデヴィッド・ボウイの共同制作者トニー・ヴィスコンティによりプロデュースされ)音楽がメロトロンやロックのリズム、サパテアード(アンダルシア地方の伝統的な音楽・ダンス)の脚さばきを精神異常者の世界観に溶け込ませるなか、フロントマンが魅力的な甲高い声で闘牛やジプシーの物語を歌った。しかし、そう長くは続かなかった。ほかに2枚のアルバムをリリースした(さらにサンタナやジェスロ・タルのオープニング・アクトを務めた)後、カルメンは1975年に解散した。『ファンダンゴ・イン・スペース』は世間から忘れ去られていったにもかかわらず、新しい世代のミュージシャンの心を動かしていた。オーペスのフロントマン、ミカエル・オーカーフェルトは2012年のメタル・ハマー誌で次のように述べた。「これは素晴らしい。フラメンコ調のプログレ・ロック・フォークのクレイジーなアルバムなんだ!この作品にはタップダンスとカスタネットが使われている。俺がこの曲を聴かせた人は皆、驚いてぶっ飛んだよ」。
45. トリアンヴィラート『二重えくぼの幻影』(1974年)

このドイツの3人組は、エマーソン、レイク&パーマーの複製品というレッテルを貼られることが多いが、それはたとえ無理もない見解だとしても不当で取り消されるべき意見である。グランド・ピアノやハモンド・オルガン、ムーグ・シンセサイザーの音をユルゲン・フリッツがキーボードという武器で奏でることで勢いがつけられており、バンドは明らかにエマーソン、レイク&パーマーの『恐怖の頭脳改革』の技術を熟知していた。しかし、彼らは想像を超えるような才能で独創性に欠けていた部分を補った。トリアンヴィラートによる1994年発売のセカンド・アルバム『二重えくぼの幻影』はプログレッシヴ・ロックの傑作であり、レコードの両面にわたり途切れずに続く2曲の叙事詩にオペラふうの合唱とポップで陽気な爆音を組み入れた。彼らは70年代の終わり頃に商業的な安定を求めて自分たちのアプローチを弱めていき、その後みじめに散っていった。しかし本作のおかげで、トリアンヴィラートが残した業績は広いプログレ界においてゆるぎないものとなった。by R.R.
44. ストローブス『ヒーロー・アンド・ヒロイン』(1974年)

リーダーのデイヴ・カズンズによる野望に満ちた散文体の詩とありのままのさえずるような歌声に率いられるストローブスは、ストロベリー・ヒル・ボーイズというブルーグラス・バンドとして始まった。一時期はフェアポート・コンヴェンションの未来のヴォーカル、サンディ・デニーとバンド活動を行っていたが、1970年代半ば頃になってようやく本格的なプログレ・バンドに発展した。『ヒーロー・アンド・ヒロイン』は、ジョン・ホウクンのぼんやりとしたメロトロンとギタリストのデイヴ・ランバートによる弦のディストーションによって支えられ、バンドの作品のなかで最も重く調和のとれたアルバムである。ストローブスは自分たちのアコースティックな面を捨てることはなく、カズンズが歌う最も自信に溢れたバラードのひとつである「ミッドナイト・サン」などにはそんな一面が残っている。しかし、新たに得た才能とエネルギーのおかげで彼らの魅力が強められた。複数部構成のオープニング曲「オータム」はバンドの最も堂々としたあり方を示す曲であり、プログレのタイムカプセルにとってもの悲しい叙事詩のひとつである。
43. エレクトリック・ライト・オーケストラ『エルドラド』(1974年)

「エレクトリック・ライト・オーケストラによる交響曲」というサブタイトルがついたELOの4枚目のフルアルバムは、多重録音したギター・パートとは対照的に、初めて本物のオーケストラを採用した作品だ。孤独や日々のつまらない仕事から逃れたがる男のロマンティックな空想がテーマのコンセプト・アルバムである『エルドラド』は本質的にポップなプログレである緻密で雰囲気のあるタペストリーのように曲を織り込んでいった。このアルバムは完全な作品として堪能されるように作られ、典型的な天才肌タイプのジェフ・リンによる聞かせどころがいくつもあるのに、トップ10入りのヒットを記録したのはタイトルが示唆するとおりキャッチーな曲「キャント・ゲット・イット・アウト・オブ・マイ・ヘッド」のみだった。当時のローリングストーン誌が「勝利のようなもの」と称した『エルドラド』は、実験的な映画監督のケネス・アンガーによって、映画『快楽殿の創造』(1954年作)の再販版(1978年リリース)のサウンドトラックとして使用された。間違いなくアルバムが作り出す映画のようなクオリティにぴったりだ。by D.E.
42. メシュガー『デストロイ・イレース・インプル-ヴ』(1995年)

本作はオーネット・コールマンの『ジャズ来るべきもの』のように大袈裟なアルバム・タイトルがついた作品のひとつであり、実際にその宣伝文句に見合う成果があった。スウェーデンの破壊者集団による最高のセカンド・アルバムは、1995年に世に放たれた瞬間にプログレッシヴ・メタルの原型を破壊し、消し去り、そして改良した。このアルバムの脳みそがオーバーヒートするようなポリリズムとどもるようなリフ、ロバート・フリップふうのギターソロの融合を「マス・メタル」と呼ぶ人もいたが、バンドメンバーはそれを「ジェント」と呼んだ。ダウン・チューニングしたり、過度に歪ませた彼らのギターの爆音を説明するこの造語は、もともとバンドのリード・シュレッドギタリストのフレドリク・トーデンダルが造り出したものだが、ペリフェリーやアニマルズ・アズ・リーダーズ、テッセラクトなどの若いプログレッシヴ・メタルファン世代を象徴する言葉となった。だが、どんなに努力しても「フューチャー・ブリード・マシーン」ほど耳障りだが巧妙でキャッチーな曲は誰にも作れないだろう。バンド自身も認識しているように、この曲のタイトルの3単語はメシュガーのコンサートで最も繰り返し叫ばれている言葉である。
41. アモン・デュールII『地獄!』(1970年)

ローリングストーン誌のレスター・バングスが「ドイツの素晴らしくサイコすぎるバンド」と評したアモン・デュールIIは無駄に長いセカンド・アルバムにおいて本気で頭がオーバーヒートするような曲を披露した。同時期にいたほかのクラウトロックと比べて重くどんよりとした雰囲気があり、バンドはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジミ・ヘンドリックス、フランク・ザッパ、ジェファーソン・エアプレイン、ピンク・フロイド、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの要素をアフリカやアジア、インディアンから受けた影響と融合し、非常に私的でより一層奇妙な音楽を創造した。『地獄!』の半分はスタジオで完全に即興で作られたものだが、どの曲がその半分に該当するのか見極めるのは難しい。アルバムのオープニング組曲「ソープ・ショック・ロック」や激しいロック曲「天使の雷鳥」などの事前に作曲されていた曲は彼らの原始的な体内コンパスに従っているような印象があるが、即興で作られた9分間のクロージング曲「雨に濡れるサンド」(バンドの全員が麻薬を使った状態でレコーディングが行われたらしい)はその完全に透き通った美しさにうっとりするような仕上がりだ。『地獄!』は最も優れたクラウトロック・アルバムのひとつであるだけでなく、サイケデリック・ロックの原始時代における最上級のアルバムでもある。by D.E.
40. ソフト・マシーン『サード』(1970年)

『サード』に収録された「ムーン・イン・ジューン」のロバート・ワイアットによる歌詞を引用すると、ソフト・マシーンは「悪巧みをする人や誘惑する人、反乱を起こす人、誰かにものを教えるような人たちにとっての背景雑音(background noise for people scheming, seducing, revolting and teaching)」を専門としている。彼らの音楽は異様なほど力強く斬新であり、ピアノの上にピアノを落としたような耳障りな音に聞こえることも多い。インストゥルメンタルの大家であるこのイギリス人たちが未加工のテープを継ぎはぎして作った音は、ピンク・フロイドの曲がバブルガム・ミュージックになったような印象を与える。20分近い長さの曲が4曲収録された『サード』は「フェイスリフト」の自由なジャズの脅威でスタートされる。「フェイスリフト」は「アウト-ブラッディ-レイジャス」の静かに怒りを感じる雰囲気とは違い、もっとタガが外れたように激怒した感じの曲だ。キーボード奏者のマイク・ラトリッジはこのアルバム全体をほぼ怒り狂うことに使った。ワイアットが意味不明なことを話している間に、彼とベーシストのヒュー・ホッパーはクリームの曲を6曲同時に演奏したみたいな前述の「ムーン・イン・ジューン」を作った。
39. ポーキュパイン・トゥリー『フィアー・オブ・ア・ブランク・プラネット』(2007年)

英国のアートロック・バンド、ポーキュパイン・トゥリーは9枚目のスタジオ・アルバムのために、ブレッド・イーストン・エリスの小説『ルナ・パーク』を基にしたコンセプト・アルバムを制作した。歌詞は主人公の若者が処方薬の投薬療法とインターネットによる過剰刺激によって自分の躁うつ病や注意欠陥障害とどのように戦ったのかを語る内容だ。この音楽は躁うつ状態にある主人公をイメージさせるため、時々混沌とした楽節のなかを転がり落ちるような無秩序なヴォーカル・メロディや独特なムードのあるギター、ドラムの音色を駆使している。ポーキュパインはラッシュのギタリスト、アレックス・ライフソンやジャパンの元キーボード奏者、リチャード・バルビエリの助けを得ながら、調和のとれたプログレや90年代の鋭いオルタナティヴ・ロックとけたたましいハードロックのパワーコードで自分たちの曲に特色を与えた。by J.W.
38. ゴング『ユー』(1974年)

母国オーストラリアを離れて活動していたデヴィッド・アレンはプログレ界で最も偉大な変人のひとりである。彼はこのジャンルの先駆けであるソフト・マシーンを創ったメンバーであるが、フランス人とイギリス人の集まりであるゴングには、イングランドのサイケデリックな斬新さやドイツの宇宙音楽的なジャム・セッション、ウェールズの自由奔放なフュージョンといった3つの特徴がある。「ラジオ・ノーム三部作」として知られるシリーズ化された3枚のフルアルバムである彼の最高傑作は、マリファナ中毒の妖精や音階の博士、空飛ぶティーポット、「ゼロ・ザ・ヒーロー」として知られる熟練職人に関する適切な格言(ノーム)的な語りがある。三部作の最終章『ユー』では音楽がさらにワイルドになり、三部作のなかでいちばんの傑作だ。アレンがミューズ、ジリ・スマイスと議論(ソフトポルノ版の良い魔女グリンダとしてイメージし直されたニコについて)する一方、ディディエ・マレルブは自由なジャズ演奏で暴走し、スティーヴ・ヒレッジはジョン・マクラフリンにマジック・マッシュルームを与えて幻覚を見せたりしながら、バンドは半分も意味をなさない漫画のようなハシシ小屋の受難劇を作り上げた。by W.H.
37. マリリオン『旅路の果て』(1987年)

80年代の英国プログレッシヴ・ロックの寵児マリリオンは、派手な革パン・スタイルのヘアメタル(通称グラムメタル)にはまったアメリカのロックファンのために、ピーター・ガブリエル率いるジェネシスのスタイルを作り直した。英国のアルバム・チャートでナンバーワンを維持し、米国チャートで47位を記録した1985年発売の商業的な大ヒット作『過ち色の記憶』の次回作であるマリリオンの4枚目のアルバムは、メロディとメロドラマのバランスが上手くとれた作品だった。趣のある演出とギタリストのスティーヴ・ロザリーによるゆったりとした比較的控えめなギター(ジェネシスのスティーヴ・ハケットとU2のジ・エッジを足して2で割ったようなスタイル)に包まれて、失敗したミュージシャンや、パブやホテルの部屋とロビーで痛みを取り除くために酒を飲むような怠けた父親についての心が痛むような物語(ほぼ話し言葉で語られる)がフィッシュによって上演された。「このコンセプトは生々しすぎたのかもしれない」と、彼は1999年に再販されたアルバムのライナーノーツに記している。フィッシュはソロのキャリアを取り戻し、追求していくためにすぐにバンドを去っていった。by J.W.
36. アルモニウム『シ・オン・アヴェ・ブゾワン・デュヌ・サンキエーム・セゾン』(1975年)

フランス系カナダ人のフォーク・ギター・トリオであるアルモニウムは、彼らのセカンド・アルバムで、四季(そして空想上の5つ目の季節)をテーマにしたコンセプト・アルバムに深みを与えるために木管楽器とキーボードを追加し、交響曲のようなクインテットとしてパワーアップした。A面はギタリストのセルジュ・フィオリの愛をささやくような甘い歌声とジャズふうのくだりによって全体的に牧歌的なぬくもりがある。A面は上品ではあるが、フルートの主旋律とメロトロンのぼんやりとした音色そして次第に強くなるヴォーカルのハーモニーが17分間繰り返し続くB面の目玉曲「イストワール・サン・パロール」(ジュディ・リチャーズがゲスト参加)のためのウォームアップにすぎない。2007年、ジャーナリストのボブ・マースローは自身の著書『トップ100・カナディアン・アルバムズ』で、このアルバムを56位に位置づけた。しかし、本作はフォーク・プログレッシヴのジャンルにおける最重要作品なので、彼の作品に対する評価はあまりに低すぎるのではないだろうか。by R.R.
35. バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ『自由への扉』(1973年)

プログレは英国で盛んだったが、このジャンルで最も革新的なバンドのうちいくつか(PFM、レ・オルメ、ゴブリン)はイタリアの出身である。バンコはフランチェスコ・ディ・ジャコモのオペラふうの怒鳴り声とヴィットーリオとジャンニのノチェンツィ兄弟による2人体制での表現豊かなキーボードが特徴的で、このジャンルのなかでいちばんユニークな存在だった。1972年の『ダーウィン』では6人組バンドによるロマンティックな迫力を披露したが、その翌年発表した『自由への扉』(「俺は生まれながらにして自由」の意味)ではよりクリーンな演出と洗練されたアレンジによる手法を完成させた。静かなバラード曲「私を裏切るな」から15分にわたるシンフォニック・ロック調の攻撃的な曲「政治反逆者の歌」といった曲が収録されたこのアルバムは最も純粋な形でロック・プログレッシーヴォ・イタリアーノを代表する作品だ。by R.R.
34. キャラヴァン『グレイとピンクの地』(1971年)

イングランド南東部に位置する大聖堂で有名な町カンタベリーは、ソフト・マシーンやゴング、キャメルなどの多くの印象的なバンドを輩出したが、そのなかでもこの町の牧歌的な特性をキャラヴァンほど上手く伝えたものはいなかった。この4人組によるサード・アルバムのタイトルとジャケットのアートワークは、古臭いフォークのメロディとベーシストのリチャード・シンクレアが「意味が半分しかないような大量の言葉」と呼んだ歌詞に合わせてロックを楽しむジャズ通のミュージシャンの間で迷ったような音楽によって中つ国の夕焼けを再現している。A面は「ゴルフ・ガール」やトールキンふうの「ウィンター・ワイン」、ボーイスカウトについてのシュールな話を展開する表題曲などの短く魅力的な曲が収められているが、B面は「7枚の紙ハンカチの踊り」といったフランク・ザッパふうのサブタイトルがついた8部構成の22分間の組曲「9フィートのアンダーグラウンド」だけに費やされ、ファズ・オルガンのソロが支配的に延々と続き、地獄へ愉快に楽しく転落して再び戻っていくような展開がなされている。by R.G.
33. トゥール『ラタララス』(2001年)

トゥールはサード・アルバムのリリースで、1992年に短期間でヒットを記録した反検閲ソング「ハッシュ」のような大胆不敵な歌詞の3分未満の曲というスタイルを放棄した。「ハッシュ」とは対照的な『ラタララス』の9分半にわたる表題曲は、拍子記号と歌詞のどちらのパターンも、シダ類から松ぼっくりといった自然界に数多く存在するらせん形状について説明するフィボナッチ数列をテーマにしている。音楽的に複雑でテーマも難解であり、バンドによるキング・クリムゾンのファン世界が含まれているにもかかわらず、アルバムは初登場1位を獲得し、世界中のドームやアリーナで大規模なツアーを実施するにいたった。「たいていのバンドは、成功するために型にはまったポップな歌を書くべきだと教えられてきた」と当時、ギタリストのアダム・ジョーンズはギター・ワールド誌に語った。「そういったルールで作られた曲を聴き始めれば、あなたはすぐに困ったことになるだろう」。by B.G.
32. カンサス『永遠の序曲』(1976年)

1970年代のヨーロッパはプログレッシヴ・ロックの震源地であったかもしれないが、プログレはアメリカの中心地においても確実に勢力を拡大していた。イエスやジェネシスの影響を受けつつ、まじめなサザン・ロックの熱意とスイングを誇りにしたカンサスの4枚目のアルバムは500万枚を超える売り上げを記録し、主に試合開始を告げる合図のようなオープニング曲「伝承」のおかげで人気を得た。しかし『永遠の序曲』にはこのクラシック・ロックの定番作品以外にもたくさんの曲が収められていた。「奇跡」や「黙示録」、6部構成でほとんどインストの「超大作」(第一部:「ファーザー・パディラと完全なるブヨの対面」)のような曲は、本格的なアリーナ・ロック技術の独特なサウンドとヴィジョンを披露している。アラン・ナイスターはローリングストーン誌のレヴューで次のように述べた。「『永遠の序曲』は、カンサスがアメリカのフレッシュな新人バンドのひとつとして、ボストンやスティクスに匹敵するレベルだということを保証する作品だ」。by D.E.
31. ルネッサンス『もゆる灰』(1973年)

ルネッサンスのアニー・ハズラムは、ジェファーソン・エアプレインやイッツ・ア・ビューティフル・デイなどのサイケデリック・ロック・バンド、そしてフェアポート・コンヴェンションやスティーライ・スパンなどのイングランドのフォーク・ロック・バンドに刺激を受けて、男だらけのプログレッシヴ・ロック界に女性らしいエネルギーをもたらした。彼女はバンドの代表作である表題曲で、ラッシュのゲディ・リーが睾丸をパニーニ・プレスで潰しても出せないような高音を見事に維持したまま曲を締めくくっている。キース・レルフやジム・マッカーティによってヤードバーズの灰の中から誕生したこのバンドは、長年にわたり何度も根本的なメンバー変更を経験してきた。クラシックとフォーク、ロックを調和させる彼らの手法は、ほかのプログレ・バンドよりも伝統的な曲のセンスに優れており、この手法によってサビとそれ以外の部分の差を曖昧にしている。そして40年経った今でも、アニー・ハズラムはグイネヴィア(伝説的な君主アーサー王の王妃)のような物語を紡ぎ出し続けている。by W.H.
30. U.K.『U.K.(憂国の四士)』(1978年)

プログレ信奉者たちは、U.K.のことを今までで最も有望なスーパーバンドのひとつであると期待していた。バンドがキング・クリムゾンやイエス、ロキシー・ミュージック、ソフト・マシーンの元メンバーで結成されていたからだ。しかし、彼らはデビュー作でプログレとジャズ・フュージョンを激しくメロディックに融合した音楽を作り、自己満足に陥らずにオーケストラのような複雑さを発揮させることだけで3年を過ごした。エディ・ジョブソンのクルクル回るようなキーボードと涙を誘うような電子ヴァイオリンがアラン・ホールズワースの激しいギターとふざけた決闘をする一方で、ジョン・ウェットンの鳴り響くようなベースがビル・ブルーフォードの小刻みなドラム演奏と上手くかみ合う。アルバムのリリース後、ブルーフォードとホールズワースが手の込んだ次回作の制作に関心がないことを表明し、バンドを去っていった。「アメリカは新しいELP(エマーソン、レイク&パーマー)を必要としているという理屈だった」と当時のブルーフォードは説明した。「U.K.の半分(そう感じていた)、俺とホールズワースはアメリカにはホールズワースが必要だと考えた」。残りのメンバーはデビュー作のグルーヴをもう一度完全に表現することができず、1980年にバンドを解散した。なお2012年、ツアーを行うためウェットンやジョブソンとともにバンドを再結成した。by J.W.
29. ドリーム・シアター『メトロポリス・パート2:シーンズ・フロム・ア・メモリー』(1999年)

ラッシュが『西暦2112年』のスタイルであり続けることを望む人たちにとって、ドリーム・シアターはここ数十年の間、その希望に応える選択肢のひとつであり続けてきたが、このアルバムは複雑なコンセプト・メタルのプログレ作品であることを堂々と見せつけるものだ。本作品は1992年に発表された9分を超える長さの曲「メトロポリス」から派生し、死んだ女とその女を殺害した犯人かもしれない男についてという曲本来の構想を広げることにより、ドリーム・シアターはドラマの見せ場のクライマックスに到達した。複雑で高度な作品である80分にわたる第二幕『メトロポリス・パート2:シーンズ・フロム・ア・メモリー』は、新しい登場人物の前世退行と超常体験を調査することにより殺人事件の謎を掘り下げる9曲で構成されている。予想以上に混乱したストーリーを補強するために、バンドは初期のラッシュやフェイツ・ウォーニング、クイーンズライチなどの影響を受けた壮大な楽器の演奏手法を皆で作り出した。「俺たちはずっとコンセプト・アルバムを作ってみたかった。だから試してみようってことになったんだ」と、ギタリストのジョン・ペトルーシは自身のウェブサイトに記した。by J.W.
28. オーペス『ブラックウォーター・パーク』(2001年)

本アルバムのタイトルは70年代初期に活動していたドイツのプログレ・バンド、ブラックウォーター・パークにちなんだもので、スウェディッシュ・デスメタルの巨匠であるオーペスが、自分たちの音楽のなかに長い間隠れていたプログレッシヴの素質を初めて全面に打ち出す第一歩となった。本作はポーキュパイン・トゥリーのスティーヴン・ウィルソンによるプロデュースで、「ザ・ドレイプリィ・フォールズ」や「ザ・レパー・アフィニティ」、12分の厭世的な表題曲のクライマックスといった壮大で変化に富んだ試みに、キーボードやメロトロン、バック・ヴォーカルのエッセンスを付け加えたほか、オーペスのリーダー、ミカエル・オーカーフェルトによって、キング・クリムゾンやピンク・フロイドのようなメロディックでムードのある側面にオーペスの複雑で陰気なリフと彼の不気味なグロウルが吹き込まれている。「俺はこのアルバムを憂うつなものとは呼ばない。ただ真っ黒なだけなんだ。暗闇のようなものですべてが覆われているみたいだから」と、オーカーフェルトはアルティメット・メタル誌に語った。ウィルソンはこれと同じくらい立派なほかの2枚のアルバム(2002年の『デリヴァランス』と2003年の『ダムネイション』)の制作についても助言を行っているが、オーペスをメタル界の頂点に君臨させた要因はこの『ブラックウォーター・パーク』である。by D.E.
27. スーパートランプ『クライム・オブ・センチュリー』(1974年)

バンドは前2作が大敗を喫したことで、オランダの大富豪から融資を受けてよりわかりやすくポップな曲を収めたアルバムを制作するために、自分たちのプログレッシヴに対する野心を抑圧させたことは有名な話だ。このアルバムが「ブラッディ・ウェル・ライト」や「ドリーマー」などのヒット曲を生み出し、2000万枚を超える売り上げを記録したおかげで、スーパートランプはアメリカで大ブレイクした。ロジャー・ウォーターズの傲慢さを取り除いたピンク・フロイドのような『クライム・オブ・センチュリー』は、思春期の不安(「貝殻のひとりごと」)や大人の疎外感(「ルーディ」)と怒り(「アサイラム」)をテーマにしている。残念ながら、感情むき出しのロジャー・ホッジソンとよりロックっぽいリック・デイヴィスというスーパースタンプの2人の作曲家にとって、このアルバムが共通の方針で作った最後の作品になってしまった。そのため、本作品はホッジソン曰く、「ひとつの団結した組織として協力することができたバンドにとっての絶頂期」を象徴しているとのこと。by R.G.
26. ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター『ポーン・ハーツ』(1971年)

ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのサード・アルバムは、キング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップをフィーチャーしたことで、プログレ・ファンを味方につけた。しかし、『ポーン・ハーツ』は慎重に聴き入るタイプの聴き手にさえ、混乱するほどワクワクするような刺激的な体験を与える作品になった。「マン・アーグ」では、ヴォーカルでアイデア量産者のピーター・ハミルが儀式のようなキーボードと劇的に変化するドラムで芝居じみた才能をひけらかし、サックスとキーボードの抽象概念を高める6分間に展開する途中の中間セクションを駆け抜けながら「どうすれば自由になれるのか!(How can I be free!)」と悲痛な声をあげる。23分にわたる長編曲「ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キーパーズ(メドレー)」は、広がるようにゆったりとした間奏と自由に奏でられたソロ、耳障りな音の転換や「あなたは沈んでいく大型帆船の円材の骨組みを見る時/あらゆる古代神話の核心が自分の方にまっすぐ向かっているのではないかと思い始めるだろう(When you see the skeletons of sailing-ship spars sinking low/Youll begin to wonder if the points of all the ancient myths are solemnly directed straight at you.)」といった歌詞によって、キング・クリムゾンがラモーンズになったのではないかという印象を与える曲だ。この男たちは同時にあらゆる神話を吟味し、その威厳を損ねないように何かを足したり、簡潔に表現したりせずに純粋なプログレの魂のような音楽を生み出した。by J.D.
25. マーズ・ヴォルタ『ディラウズド・イン・ザ・コーマトリアム』(2003年)

「俺たちの音楽を聴くには、あなたが日常生活から少なくとも1時間抜け出し、完全なる静寂のなかで完全な献身が必要とされる」と、マーズ・ヴォルタのヴォーカル、セドリック・ビクスラー・ザヴァラは以前こう宣言した。1時間(と51秒)を半禁欲状態で聴いたとしても、このテキサスの変人たちにとっての初のフルアルバム『ディラウズド・イン・ザ・コーマトリアム』で表現されたねじれ切った宇宙を解明することができる。マーズ・ヴォルタはビクスラー・ザヴァラと名ギタリストのオマー・ロドリゲス・ロペスによるアートロック・プロジェクトであるアット・ザ・ドライヴ‐インというバンドの皮肉な残骸から誕生し、意気揚々としたメタルやサイケデリック・ロック、ラテンジャズなどを興奮しながら混ぜ合わせた。モルフィネや殺鼠剤を過剰摂取した末に昏睡状態に陥った男について歌うような大概グロテスクな歌詞はロドリゲス・ロペスの極端に卓越した才能と何度も反発しつつも、互いが調和するようにまとめられている。リック・ルービンのプロデュースによる本アルバムは、ベーシストのピンチ・ヒッターを務めたフリーによる安っぽい轟音と現在はクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのドラマーであるジョン・セオドアが叩き出す燃えるように激しいドラム演奏も特色のひとつだ。ヘリコプター音のような間奏が特徴の「サイカトリズ ESP」の12分半は、21世紀のプログレの本質が今まで以上に規格外になれることを示すものである。by R.F.
24. マグマ『呪われし地球人たちへ』(1973年)

フランス出身のドラマーで作曲家のクリスチャン・ヴァンデは、文字どおり新しい音楽言語「コバイア語」(彼が考案した惑星から名づけられた)をマグマとともに作り出した。そしてマニアックなオペラやジョン・コルトレーンの影響を受けたジャズ、雷のようなアヴァン・ロック、地球外文明のような詩的なテーマを融合させ「zeuhl(ズール)」として有名な独自のジャンルを形成した。ヴァンデはマグマのサード・アルバムで甲高い声の合唱と巧妙な拍子記号を連発させる狂気という彼独自のブランドを完成させ、ローリングストーン誌フランス版が選ぶ、最も優れたフランスのロック・アルバム100枚において33位にランクインした。『呪われし地球人たちへ』が行う広範囲にわたる探検は、基本的には最も純粋な「プログレ」の形でありながら、従来のロックの構造を新しい未知の領域へと発展させている。だがヴァンデはそういった定義づけをいっさい認めない。「”ズール”という音楽は”振動する音楽”という意味だ」と今年、ビッグ・テイクオーバー誌に語った。「ズールがプログレという部分的なカテゴリーに入らないことは確かだ。そしてマグマもプログレ・バンドではない。マグマは一組織である」。by R.R.
23. タンジェリン・ドリーム『フェードラ』(1974年)

ドイツの実験主義者タンジェリン・ドリーム(TD)は、この初期のプログレッシヴ・エレクトロの代表作を構成するためにより構造的なアプローチに重きを置いていた。それは適切に音を奏でるのに1日に何時間も要するモーグ・シンセを入手したばかりのバンドにとって不可欠な戦術だった。『フェードラ』はかなり苦しい状況下でレコーディングが行われた(「厳密には上手くいかない恐れのあったすべてのことが実際に上手くいかなかった」と、TDの創設メンバー、エドガー・フローゼは後に振り返った)にもかかわらず、結果は素晴らしいものになった。特に偶然フルートやメロトロン、ベース・シーケンサー、ホワイト・ノイズと一緒に録音したモーグ・シンセの音を重ねて作った17分にわたる幻覚を感じさせるような表題曲は、マシンがヒートアップするうちにチューニングが失われていくモーグのオシレーターによって星と星との間を漂うような付随的な価値を生み出した。挑戦的でまるで異世界のもののような、言葉で説明できないほど美しい『フェードラ』はリリース後数十年にわたり、環境音楽やエレクトロジャンルのアーティストに重大な影響を与えてきた。by D.E.
22. ラッシュ『西暦2112年』(1976年)

ラッシュの4枚目のアルバムに収録されたレコードの1面を費やすほど長い表題曲よりも「プログレ」の原型に近い作品はほとんど存在しない。7部構成で20分にわたる「2112」は、もちろん、この曲がどんなに激しいロックであるかということを考慮すると皮肉っぽい話だが、ロックが禁止されたジョージ・オーウェルふうのディストピアが舞台となっている。一方アルバムのB面はそれぞれ特徴が異なる5曲に分かれている(「パッセージ・トゥ・バンコック」の「おい、俺たちは徹底的に麻薬を吸うぞ」という旅行談が目玉である)。だがA面の持続力があまりに強いので、たとえ続くB面がイッカク(北極圏に生息するクジラの一種)の発情期の鳴き声だけだとしても、このアルバムはマルチ・プラチナムのヒット作になっただろう。ラッシュのキャリアにおいて重要な岐路に立っていた時(前作の売り上げがカナダのアルバム・チャートで60位という行き詰った状況下)にレコーディングされた『西暦2112年』は、トロント出身のパワートリオである彼らにとって初のヒット作となり、ドラマーのニール・パートが叩き出すリズムが迷宮のように複雑で、ゲディ・リーの声もかなり独特であるにもかかわらず、彼らの商業的な可能性を紛れもなく確約するものでもあった。by D.E.
21. キャメル『蜃気楼』(1974年)

キャメルの代表作はプログレッシヴ・ロックのなかで独特な地位を占め、流れるようにゆったりとしたアンサンブルで作られた音楽が特徴で、ジェネシスと同じくらい派手になることはめったになく、エマーソン、レイク&パーマーほど大袈裟になることは決してなかった。「俺たちは本当に最初からプログレッシヴ・バンドであると思われている」と、ギタリスト兼フルート奏者のアンディ・ラティマーは、2010年に出版されたウィル・ロマーノの著書『マウンテンズ・カム・アウト・オブ・ザ・スカイ:ザ・イラストレーテッド・ヒストリー・オブ・プログレ・ロック』のなかで語った。「俺はイエスやキング・クリムゾン、ELPのようなバンドはキャメルよりもはるかにわかりにくいと思ってきた。彼らはおそらくより優秀なミュージシャンだから、もっと理解しにくいものにさせるような、より一層複雑な技術を取り入れたのだろう」。この4人組のセカンド・アルバム『蜃気楼』は、ラティマーとキーボードのピート・バーデンズが、軽快なインスト曲(瞑想的な「スーパーツイスター」)や長々とした複数部構成の組曲(『指輪物語』をテーマにした「ニムロデル~プロセッション~ホワイト・ライダー」)のなかでリズム・セクションをリードしながら、彼らのデビュー作に散りばめられた約束を果たしている。by R.R.
20. キング・クリムゾン『太陽と戦慄』(1973年)

キング・クリムゾンのギターの巨匠ロバート・フリップは、彼にとって4年間で3枚目となるアルバムによって、1969年のデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』と同じくらい力強く革新的な音楽のエネルギーをようやく取り戻すことができた。バンドにとっては5枚目となるこのアルバムは綿密な構成と狂気じみた実験を巧妙に混ぜ合わせており、まるでフリップが完全に憂うつな空間のなかで見えるかすかな光に圧倒された狂人について描いているかのようだ。結局、どの部分が幸運な偶然で作られ、どの一節が注意深く組み立てられたものであるかを見極めるのは難しい。カタカタ鳴るトレイやチャイムの鳴る音、鳥たちのさえずり、控えめなヴォーカルそしておもちゃのピエロの笑い声が、見事な音から悲惨な音までと変化に富んだ安っぽい雑音だらけのギターの音色やてんかん患者のビート、ヴァイオリンの音色と絡み合っているため、どこが最もインパクトが強い部分か判断するはさらに困難だ。by J.W.
19. PFM『友よ』(1972年)

プレミアータ・フォルネリーア・マルコーニ(PFM)による決定的なセカンド・アルバムによって、イタリアのプログレは国際的な注目を浴びることになった。同胞のバンコと同じく、今にも爆発しそうな表題曲と変形し続けるような曲「ほんの少しだけ(人生は川のようなもの)」に優雅なエッセンスをを加えるロマンティックな才能やマウロ・パガーニのフルートとヴァイオリンを駆使して、人気の高い英国のシンフォニック・ロックスタイルにアプローチした。イタリアでツアー中のエマーソン、レイク&パーマーに才能を見出され、PFMはELPのマンティコア・レコードと契約した。『友よ』にキング・クリムゾンのピーター・シンフィールドによる英語版の歌詞でリミックス編集と修正を加えたバージョンとして『幻の映像』がこのレーベルから1973年にリリースされた。(アルバムはビルボードのアルバム・チャートで180位に入り込んだ。)「PFMはアングロ・サクソン人だと偽るようなロック・ミュージックのスタイルでは絶対に演奏しなかった」と、ドラマーでヴォーカルのフランツ・ディ・チョッチョは『幻の映像』再販版のライナーノーツで述べた。「俺たちは自分たちの音楽スタイルとルーツをいつも守っていたんだ」。by R.R.
18. フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション『ワン・サイズ・フィッツ・オール』(1975年)

フランク・ザッパは『ワン・サイズ・フィッツ・オール』をリリースする前、「あなたたちはこのアルバムにあわせて実際にダンスするかもね」とリポーター陣に誇らしげに話していた。このアルバムはもちろん(時々)ロックンロールを踊ることができるが、ザッパが今までに培ってきたジャズやプログレの基礎要素も詰まっている。例えば、間抜けな感じで時間が流れ、きしむようなキーボード(ジョージ・デュークによる演奏)、ロックではイレギュラーな楽器の使用(フレットレス・ギター、マリンバ、フルート、ヴィブラフォンなど)そして「『キャン』と彼女が言った(Arf, she said)」というような斬新な歌詞などの特徴だ。「ポ・ジャマ・ピープル」のような荒っぽい即興演奏やきらめきながらガタガタ進むような曲「アンディ」はザッパのアートロック実験主義による最高傑作だ。一方でぶざまな進み方をする「インカ・ローズ」はザ・マザーズ・オブ・インヴェンションが誇る主要なギターソロのなかでも随一のソロが披露されている。未来のザッパで「スタント・ギタリスト」のスティーヴ・ヴァイは『ワン・サイズ・フィッツ・オール』を聴いたことが人生のターニングポイントになったと考えている。2011年ヴァイは「インカ・ローズ」を「空前の名作」と呼び、「この曲は俺に新しい生きる理由をくれた」と述べた。by K.G.
17. マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』(1973年)

『チューブラー・ベルズ』の一連のオープニング曲は、映画『エクソシスト』の不吉なテーマ曲として有名であるが、このアルバムのひどく恐ろしい部分のほとんどはもっと後半に繰り広げられている。イングランドの19歳の神童マイク・オールドフィールドによってレコーディングが行われた、20分超にわたる2つのセクションは、若きLSD常用者の頭の中で構成され得るほとんどすべてのテーマに基づいた変奏曲を展開している。「俺たちはビートルズの”ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ”といった美しい曲の類を作ろうとはせず、おそらく『チューブラー・ベルズ』だけでなく実際たくさんの音楽をドラッグなしで作ろうとしなかった」と、オールドフィールドは後にガーディアン紙で語った。最初のパート1は環境音楽のサウンドスケープやギター・リフ、「MC(司会者)」のヴィヴィアン・スタンシャルが、ボンゾ・ドッグ・ドー・ダー・バンドふうに一連の楽器を仰々しい嘘で紹介するセクション(「グロッケンシュピール!」や「2つの少し…曲がったギター」など)を入れている。パート2では、異なるアップビートのシンフォニック・ロックに乗せた酔っ払ってしゃがれた低いうめき声とうなり声が、最終的にアニメのポパイで広く使われた船乗りの歌として有名な「ザ・セイラーズ・ホーンパイプ」に変化し、オールドフィールドが完全に正気を失う。by R.F.
16. ジェントル・ジャイアント『オクトパス』(1972年)

実験主義者のジェントル・ジャイアントは、バンドにとって一時代の終わりであり新しい時代の始まりを意味する4枚目のアルバム『オクトパス』で、バロックの対位法によるハーモニーや中世の縦笛のフレーズ、ファンクのリズム、ハードロックのサビなどを取り込んだ奇妙な作曲法をマスターした。マルチプレイヤーであるフィル・シャルマンが参加した最初の作品で、非常にグルーヴィーなドラマー、ジョン・ウェザースにとってはプログレジャンルでのデビュー作でもあり、ジェントル・ジャイアントはあらゆる音楽的な手段を尽くしている(「ノッツ」での複雑なマドリガルのヴォーカル・パートを聴いてみてほしい)。それでも、マッドサイエンティストの彼らによる実験は、「パナージの到来」といった重要作品による加工されていない生のロックの威厳によってバランスがとれている。「このアルバムは、バンドがこの10年間の残りで目指したものや方向性の集大成だったと思う」と、フロントマンのデレク・シャルマンは再販版のフルアルバムのライナーノーツで述べた。by R.R.
15. キング・クリムゾン『レッド』(1974年)

多くのプログレ・ロック界のバンドと同じように、キング・クリムゾンもイングランドの牧歌的な幻想曲の作り手の集まりから始まったが、ほかのバンドに比べて精神分裂病気質が強かった。ギターの教祖ロバート・フリップは『レッド』によって、自分のアプローチから質の悪い過去の遺物にすぎない60年代の要素を排除し、プログレが今までに聴いたことのないような骨までしびれるほどに重い音楽を演奏するトリオに変化した。ビル・ブルーフォードが叩き出すビートのジャングルとジョン・ウェットンの低俗な理論立てをぶった切るフリップのノコギリのようなギターの抽象概念から繰り出す音は、パワートリオの意義を明確にした。カート・コバーンがこのアルバムを研究しノートを作っていたという噂があるが、そうだとしても想像に難くない。最終的にこのアルバムの強烈さは内部破裂し、フリップはその後すぐに精神的な道を辿るためにバンドを解散した。そして数年後ブルーフォードとバンドを再結成することになるが、このアルバムほど力強いものではできなかった。by W.H.
14. ジェネシス『フォックストロット』(1972年)

ほぼ間違いなく、ジェネシス初の偉大なアルバム『フォックストロット』は常軌を逸した世界観と1971年の『怪奇骨董音楽箱』の交響曲のような壮大さを取り込み、より一貫性のある作詞作曲とより乱暴な音楽的アタックで自分たちの価値を引き上げた。また、アルバムを支える力強いオープニング曲であるUFOがもたらしたようなメロトロン幻想曲「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」と、以後何年もジェネシスのライヴのセットリストで目玉となった23分間のクロージング曲「サパーズ・レディ」のプログレ・ロック代表作の2曲をジェネシスのカノンにつけ加えた。フロントマンのピーター・ガブリエルが体験した不吉な超常現象から一部インスピレーションを受けて作られたこの魅力的な7部構成の組曲は、聖書やギリシア神話からの膨大なイメージやバンドによる最も大胆な演奏法や風変わりな拍子記号の多用などの手法が示されており、例えば「アポカリプス・イン9/8」のセクションではその特徴が顕著だ。by D.E.
13. ピンク・フロイド『アニマルズ』(1977年)

ロジャー・ウォーターズが立て続けにリリースしたコンセプト・アルバムのうち3作目の『アニマルズ』は、ジョージ・オーウェルの『動物農場』からおおまかな着想を得ており、スターリング主義に対するオーウェルの批判の代わりに、マーガレット・サッチャーが英国首相在任中の資本主義による抑圧に対する痛烈な批判を繰り広げた。デヴィッド・ギルモアが処理済みのサウンドの殺風景なパノラマのなかで演奏するとても素晴らしいブルースで、バンドは激しく抗議色の強い音楽を披露する「時代遅れの」ロックの縮図であるとセックス・ピストルズなどのパンク・ロッカーからバカにされた。オープニングとクロージングを担う穏やかなアコースティック曲「翼を持った豚」の間に長い3つの曲を入れて構成された『アニマルズ』は、ピンク・フロイド所有のスタジオでレコーディングを行った初めてのアルバムでもある。by R.G.
12. エマーソン、レイク&パーマー『恐怖の頭脳改革』(1973年)

プログレ・ロック過剰摂取者にとって、このパワートリオは大皿に載ったケーキみたいに並外れた存在だった。彼らはキース・エマーソンのキーボード・ショールーム、カール・パーマーのエンジンつきで回転する巨大なドラムキット、フル・オーケストラと合唱団を従えたスポーツ・アリーナでのライヴなど特異なことをやってきたからだ。しかしこのアルバムでは、仰々しさと華麗さのバランスが巧みに取られていた。『恐怖の頭脳改革』は、ウィリアム・ブレイクの『エルサレム』に気品あるアレンジを加えた英国詩人の空想家スタイルを全速力で展開する。それからファンキーなバロック調のフォークロック(「スティル...ユー・ターン・ミー・オン」)、20世紀のアルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラによるピアノ協奏曲に乗せたエマーソンの卓越したリフ(「トッカータ」)、30分近い長さがある複数部構成のディストピア幻想曲「悪の教典#9」へと進んでいく。「悪の教典#9」の中毒作用のあるエンタテインメント(「ジプシーの女王が/ワセリンで光り輝きながら/ギロチンの上でパフォーマンスする」といったサイドショー)は、有害なコンピュータ知能や現代の監視的なインターウェブ時代から私たちの気持ちを紛らわせてくれる。未来を予見したとてつもないロックンロールだった。by W.H.
11. ラッシュ『神々の戦い』(1978年)

ラッシュは80年代に複数部構成のコンセプト作品から離れていったが、このトリオは70年代が終わる前に2枚の卓越したコンセプト・アルバムを世に放った。「シグナスX-1 第2巻「神々の戦い」」(もちろん、1997年の『フェアウェル・トゥ・キングス』のエンディング曲「シグナスX-1 第1巻「航海」」の続編である)は、18分にわたる神話のような物語のシリーズで軽やかなドラム演奏に適した変化をもたらしながら『神々の戦い』の先頭を切り、ギタリストのアレックス・ライフソンが見たシュールな夢から着想を得た複雑な9分間のインスト「ラ・ヴィラ・ストランジアート」でアルバムが締めくくられている。この2曲の間に配置された「サーカムスタンシズ」と「ザ・トゥリーズ」はどちらも、バンドがその後の10年間で採用することになる、より短くキレがあるのに哲学的な要素もあるパワーコードが噴出するようなスタイルに傾いていた。「このアルバムを制作するきっかけとなったものは全部、それぞれ別の方向からやって来た」と、ゲディ・リーは数年後に語った。by D.E.
10. イエス『こわれもの』(1971年)

ポップス系のラジオは、気が遠くなるほど非現実的な大ヒットを記録したイエスのシングル「ラウンドアバウト」のような曲を聴いたことがなかった。スティーヴ・ハウによるクラシックなアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの多様な変化や、リック・ウェイクマンによるヤン・ハマーが英国国教会で弾くようなオルガン演奏、ビル・ブルーフォードの乱暴だが万能なドラムさばき(特に全速力で進み、気が狂ったような中盤)を土台に構築されたこの曲は、ビルボードのチャートで13位に入り、アルバムとともに野心的なロッカー世代を形作るクラシック・ロックの定番作品となった。「俺は7歳の時に、父親のアルバム・コレクションのなかから『こわれもの』を見つけた」と、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストでハウをいちばん好きなギタリストであると考えるジョン・フルシアンテは述べた。「このアルバムをかけた時、リヴィングルームが母親の胎内のように心地良い場所に変わったのを感じた。彼らの音楽は神秘的すぎて、ほとんど実在しないもののようだった」。by W.H.
9. ジェネシス『眩惑のブロードウェイ』(1974年)

ロックのなかでもより精巧で魅力的かつ不思議な満足感があるコンセプト・アルバムのひとつであるこの2枚組の名作は、一連のシュールな冒険を体験するためニューヨークの地下へ降りていくプエルトリコ出身のストリート・パンクロッカー、ラエルをこれ以上ないほど芝居じみたピーター・ガブリエルが演じる作品だ。(「おとぎの国を跳び回ることが急に時代遅れになったみたいだった」とガブリエルは自身の伝記作家に説明した。)だが、ジェネシスを脱退する意志を表明していたガブリエルと作る最後のアルバムになるため、ベーシストのマイク・ラザフォードはサン=テグジュペリの『星の王子さま』をテーマにしたいと考えていた。レコーディング・セッションはストレスの多いものだったが、バンドが演奏した音楽にひとりで歌詞を吹き込み、早産の新生児である娘との時間を過ごすためにスタジオから長時間かけて通っていたガブリエルにとっては特に気疲れするものだった。『眩惑のブロードウェイ』は荒っぽい即興曲と厳格な管理下で作った曲でスタイルがコロコロ変わるが、「カーペット・クローラーズ」や「ザ・コロニー・オブ・スリッパーメン」などの目玉曲は、バンドによる芸術性と活動力の独特な融合を見せつけるものである。by R.G.
8. カン『フューチャー・デイズ』(1973年)

「『フューチャー・デイズ』は、カンと一緒に作ったアルバムのなかで俺にとっていちばんの作品だ」とヴォーカルのダモ・鈴木は述べた。「このアルバムを出した後、すごく楽にカンを脱退できたからだ。この作品以降はバンドから望むものが何もなかった。俺は音楽的に満足できたんだ」。本当に、このドイツの実験音楽ロッカーによる5枚目のスタジオ・アルバムに収録された4曲は、彼らがしたすべてのことを不思議なことに上手くまとめ上げているのだ。カンは一定のリズムで進むサイケデリック・ロックの3分間で彼らの本質をむき出しにし(「ムーンシェイク」)、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』とアイザック・ヘイズの『ホット・バタード・ソウル』を足して2で割ったような曲を作り(「スプレイ」)、B面全体を費やす長さで目まいを起こさせるようなゆったりとした大曲「ベル・エアー」では月面で新しいクレーターを探す。そういったすべてがカンであり、平凡さはいっさい持ち合わせていない。by R.F.
7. ジェスロ・タル『ジェラルドの汚れなき世界』(1972年)

タルのリーダー、イアン・アンダーソンは、1971年の『アクアラング』をコンセプト・アルバムであると勘違いした多くの批評家たちに腹を立て、コンセプト・アルバムというコンセプト自体を茶化した次回作を作ろうと決意した。目まいがするほど多彩な変化がある44分近くの長々とした1曲のみで構成された『ジェラルドの汚れなき世界』のジャケットは、歌詞が架空の男子生徒による作品であると紹介する記事やアルバムのレヴュー記事まで掲載したモンティ・パイソンふうの新聞デザインである。素晴らしい悪ふざけだったが、あまりに巧妙にできすぎたジョークだったので実際にほとんどの人がその意味を理解していなかった。けれどもそれはこのアルバムを楽しむために必要というわけではなかった。当時ローリングストーン誌が言及していたように、「『ジェラルドの汚れなき世界』が珍しい試みであろうがなかろうが、ロックに従事する人間が4~5分という従来の曲の長さを超えようという野望を持ち、複雑さをすべて維持したままとても優雅に自分の目的を実行する能力があることがわかるのは素敵なことだ」。by D.E.
6. ジェネシス『月影の騎士』(1973年)

古き良きイングランドの夢は、ジェネシスのサード・アルバムで消費者保護運動家の悪夢に変わった。そしてそれは団結した創造的な集団として継続する。ピーター・ガブリエルは「ダンシング・ウィズ・ザ・ムーンリット・ナイト」のなかで「私の国はどこにあるのか教えてください(Can you tell me where my country lies?)」と歌う。アルバムの1曲目となるこの曲は言葉を濁すような島国の固定観念を嘲笑い、おちょくっている。いたる所でダンスを踊るギタリストのスティーヴ・ハケットにとって、『月影の騎士』は「古いイングランドの価値観が奪われて、町の商店が多国籍企業に取って代わられた」状況を映し出すものだ。このアルバムは多くの人がバンドの最高傑作であると考えるやや長めの曲「ファース・オブ・フィフス」だけではなく、初めてフィル・コリンズをヴォーカルに起用し、この後で繰り広げられるよりポップな曲の味見的な意味がある「モア・フール・ミー」なども収められている。ガブリエルは、アルバムに時々載っていたモンティ・パイソンふうのアーサー王の風刺画のコンセプトを次のツアーでも採用し、ブリタニアの騎士のコスチュームを着てステージに登場した。by R.G.
5. イエス『危機』(1972年)

「俺が思うに、イエスはプログレッシヴ・ロック・バンドのなかで最も重要な唯一の存在かもしれない」と、『危機』を「常にお気に入りのロック・アルバムのひとつ」とみなすラッシュのゲディ・リーは述べた。そしてペイヴメントのスティーヴン・マルクマスのように、もしリーの声がもっと高くなったらどうなるか想像したければ、ジョン・アンダーソンの雲を突き抜けるほど高いヴォーカルだけ聴いてみればいい。複数部構成の組曲である複雑な2曲に加え、目がくらむほど意味不明な曲「シベリアン・カートゥル」はイエスによる重要なプログレの意思表示である。掲示板でその意味を解析するのに膨大なピクセルが費やされた暗号のような歌詞とともに行くヘッドフォンの旅のようなこの曲(「カートゥル」は言葉ですらない?)は、『こわれもの』発売からたったの8ヶ月後にリリースされた。しかし、この目覚ましい躍進は長くは続かなかった。ジェネシスのドラマー、ビル・ブルーフォードはこの骨の折れるレコーディング作業の後にバンドを脱退し、キング・クリムゾンに加入して彼らのビートを気の狂ったジャズふうのレベルに進化させた。しかし彼にとっての究極の見せ場はこの『危機』にあるだろう。by W.H.
4. ピンク・フロイド『炎 あなたがここにいてほしい』(1975年)

疎外感というのは、超重要作品『狂気』の次回作であるこの感傷的でサイケデリックなアルバムほど堂々としたものに感じられることはめったにない。フロイドの結成メンバーであるシド・バレットが精神的なブラックホールのなかに消えていったことから発想を得て作られた『炎 あなたがここにいてほしい』は、バレットを含むバンドメンバーに捧げる9部構成の長い讃歌(「クレイジー・ダイアモンド」)で、音楽産業を激しく非難する2曲(「ようこそマシーンへ」、「葉巻はいかが」)と心に残る表題曲を間に挟み込んだ曲順構成である。アルバムの作詞作曲を行ったロジャー・ウォーターズにとって、バレットは「不足すると人が自制心を失わなければならないようなあらゆる過激な行為を象徴する存在だ。なぜならそういった行為がこんなひどく悲しい現代生活を耐え抜くための唯一の手段だからだ」。作業手順や中身に関する意見が対立したなか(バンドメンバーがスタジオでともに時間を過ごすことはめったになかった状況)でレコーディングが進められた『炎 あなたがここにいてほしい』のタイトルは、あるビジネスマンが別のビジネスマンを文字どおり燃やしている象徴的なジャケットを含む、一連の魅力的でシュールな写真をアルバムのためにデザインした、ジャケット・アーティストのストーム・ソーガソンが命名した。by R.G.
3. ラッシュ『ムービング・ピクチャーズ』(1981年)

「君には建設的な批判を無視する愚かさが必要だろう」と、ドラマーで作詞家のニール・パートは、ラッシュにとって今まででいちばん短い曲を収めたアルバムのリリースについてローリングストーン誌に語った。偶然かどうかは別にして、このカナダ出身のパワートリオによるコンセプト要素を弱めたプロジェクトは、彼らのなかでいちばんの人気作となり商業的にも成功した。「20分とは対照的な6分間で」ラッシュらしいサウンドを作り上げる才能のおかげで、ゲディ・リー曰く、威張ったような曲の「トム・ソーヤ」やモールス信号ふうのリズムのインスト曲「YYZ」のような上品でわかりやすいヘドバンしたくなるような曲が生み出された。ジョン・ドス・パソスの影響を受けた「ザ・カメラ・アイ」は11分の長さがあり、自由な発想の「レッド・バーチェッタ」や内省的な「ライムライト」、レゲエの特色を加えた「ヴァイタル・サインズ」のような短めの良曲は、パンクロック曲に相当するプログレ音楽である。by R.G.
2. キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』(1969年)

音楽史上最も影響力のあるプログレッシヴ・ロック・アルバムのひとつであるこのキング・クリムゾンのデビュー作は、メロトロンをフル活用してジャズやクラシック・ロックの要素を混ぜ合わせることで、60年代後半の英国ロックで主流だったブルース調の傾向を避け、サイケデリアを今までにないほど暗い領域に引き込んだ。「キング・クリムゾンは一部の人から尊大であると非難されるだろう」と、ローリングストーン誌のジョン・モースランドは当時こう記していた。「だが、そういった批判は実に不当だ。彼らはエネルギーと独創性を持ったシュールな作品を創作するために、あらゆる音楽スタイルの要素を組み合わせたのだ」。ギタリストのロバート・フリップとマルチプレイヤーのイアン・マクドナルドが壮大なサウンドを大量に積み重ね、ベーシストのグレッグ・レイクが刺激的で不吉な歌詞を単調に唱えながら歌うのが特徴である、勢いの衰えないオープニング曲「21世紀のスキッツォイド・マン」や記憶に残りやすい「エピタフ」、厳かな雰囲気のあるクロージング曲「クリムゾン・キングの宮殿」などの曲は、来たるべきプログレ革命の基本方針とスタイルを確立させた。by D.E.
1. ピンク・フロイド『狂気』(1973年)

ピンク・フロイドによるこのそつのないコンセプト・アルバムは、間違いなくいちばん商業的に成功したプログレ・ロック作品で、全世界でのアルバム総売り上げ枚数においてマイケル・ジャクソンの『スリラー』の後を追うものとして引き合いに出されることも多い。数え切れないほどたくさんのプラネタリウム・ライトショーでBGMとして使用されたが、批判的な分析も同じくらい多かった。『オズの魔法使い』とのシンクロ(ライオンの三度目の吠え声の後に再生ボタンを押すと可能)から、フレーミング・リップスと彼らの友達が実施したアルバムを丸ごとカヴァーするプロジェクト、ピエロのクラスティー(『ザ・シンプソンズ』のキャラクター)の失敗作『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーンパイ』でのパロディや、プリズムと虹のロゴデザインが数え切れないほど話題にされたりなど、このアルバムはリリース以来ポップカルチャーの試金石であり続けた。音質的には、クラシック・ロック(「マネー」)やソウル(「虚空のスキャット」)、グラム系のシンフォニック・ロック(「狂人は心に」)、鐘時計(「タイム」)、アナログ・シンセサイザー(ほぼ全曲の特徴)の音まで網羅している。歌詞については、ロジャー・ウォーターズが人間の本性である紙ほどに薄っぺらい皮をはぎ取る宇宙的でありつつ私的な内容だった。スタジオにあらゆる革新をもたらしたアラン・パーソンズのおかげで、『狂気』は根本的にわかりやすいところが最大の強みである。結局、彼らも普通の人間なのだ。By R.F.