エアロスミスの93年作『ゲット・ア・グリップ』に収録されたバラード「クライン」「アメイジング」「クレイジー」のミュージックビデオは、アリシア・シルヴァーストーンが主演を務めたことから「アリシア三部作」と呼ばれており、現在もファンの間で語り草となっている。当時から25年が経過した今、このトリロジーを改めて振り返ってみたい。


25年前の今週、アリシア・シルヴァーストーンが主演を務め、ロック史に名を残したエアロスミスのミュージックビデオ三部作の第1弾が公開された(編注:この記事がRSのUS版にアップされたのは6月20日)。後に映画『クルーレス』で大ブレイクを果たす彼女は、「クライン」「アメイジング」「クレイジー」の3作で10代のヒロイン役を務めた。1993年の夏に「クライン」がMTVで流れるようになると、橋の上からバンジージャンプをし、物盗りの男を路上で打ちのめす勝気な少女を演じた彼女は、瞬く間にロック界のミューズとなった。

続く「アメイジング」と「クレイジー」にも出演したアリシアはエアロスミスにとって、(ミケランジェロ・)アントニオーニにとってのモニカ・ヴィッティ、あるいはセルジオ・レオーネにとってのクリント・イーストウッドというべき存在となった。この物語における彼女は、(『ロード・オブ・ザ・リング』の)フロドとガンダルフを彷彿とさせる。仰々しくも壮大なこの三部作にはリヴ・タイラー、ジェイソン・ロンドン、スティーヴン・ドーフ、そしてもちろんエアロスミスのメンバーたちも登場する。
しかしこの三部作の主役がアリシアであることは誰の目にも明らかであり、彼女はあるジャンルを象徴する存在となった。

この三部作に匹敵するものがあるとすれば、ZZトップの『イリミネーター』トリロジーだろう。だが秀逸な「レッグス」に比べ、「シャープ・ドレスト・マン」「ギミ・オール・ユア・ラヴィン」が見劣りする感は否めない。一方で「クライン」「クレイジー」「アメイジング」は基本的に同じ曲であり、タイトルさえも似通っている(大声で早く発音してみるといい)。それでもなお、マーティー・カルナーが監督を務めたこのアリシア・トリロジーは、ロックにおけるミュージックビデオ史に燦然と輝く金字塔となった。

「クライン」のミュージックビデオが公開された時、エアロスミスは起死回生のチャンスを必要としていた。
当時バンドは『ゲット・ア・グリップ』を発表したばかりだったが、そのキャンペーンは思わぬ方向に進み始めていた。バンドのタトゥーを彫った牛の腹部と乳房を写したジャケットは、多くのファンにジョークとして受け止められた。またリリースツアーの前座をメガデスが務めたことにも、オーディエンスは眉根を寄せていた。メガデスはわずか6公演でクビを言い渡されているが、その理由はデイヴ・ムステインが演奏中にエアロスミスのTシャツで鼻をかんだためとされている。スティーヴン・タイラーがムステインにかけた言葉は、今もファンの間で語り継がれている。「おやおや迷子かい。
どこから入ってきたんだ?」メガデスに代わって前座に指名されたのは、『ザ・ランバージャック』でのジェシー・ジェイムス・デュプリーによるチェーンソーパフォーマンスで知られるジャッキルだった。

さらに深刻だったのは、巨額の予算がつぎ込まれたファーストシングル「リヴィング・オン・ジ・エッジ」のミュージックビデオが酷評されたことだった。「今の世の中、何かが間違ってる」というステートメントは、1993年当時において妥当なものではあったが、スティーヴン・タイラーの口から発せられることに違和感を覚えたファンは少なくなかった。ドレッドヘア姿のタイラーは、ビーバス&バットヘッドから「ヴァニリかと思った」と揶揄されている。美少女ではなく『ターミネーター』で知られるエドワード・ファーロングを起用したミュージックビデオは駄作と言わざるを得なかった。同作についてMTVのVJケネディーが「エドワードは俺のファーをロングにさせてくれる」という秀逸なパンチラインを放ったほか、原曲よりもウィアード・アルによる同曲のパロディ、「リヴィング・イン・ザ・フリッジ」の方が優れているという声さえもあった。


バンドの真価を問われる状況下で、エアロスミスはかつてないほどヒットを必要としていた。そんな彼らを窮地から救った女神、それがアリシア・シルヴァーストーンだった。彼女はケーリー・エルウェスが演じる近所の青年に狂気じみた恋心を抱く少女を描いたサイコ・スリラー、『ダリアン』で主演を務めていた(同作のベストシーンといえば、その男性が彼女のホース・ショーに来なかったことに腹を立てた彼女が、ライディングスーツ姿のまま彼が出席していた豪華なパーティ会場に乗り込み、平手打ちを食らわせてこう吐き捨てる場面だろう。「見栄を張るのに忙しくて、私のことなんか気にしてられないってわけ?」)。

ビデオ・ディレクターのマーティー・カルナーも、『ダリアン』で彼女のことを知った人間の1人だった。「彼は私のことを正当に評価してくれた」シルヴァーストーンは1995年の本誌の巻頭特集でそう語っている。
「彼はルックスよりも演技力を重視していたの。私の女優としての才能を評価してくれたのよ」その発言どおり、「クライン」のビデオで描かれるのはどたばたセックス劇ではなく、夢と希望を追い求めるひたむきな少女の姿だ。「いかにも作り物って感じのミュージックビデオが溢れかえる中で、あの作品のリアルさは際立ってると思う。セクシーなポーズなんかとらずに、ただありのままでいればよかったの」

「クライン」のビデオで、アリシアはスティーヴン・ドーフが演じるロクでなしの元彼にパンチを浴びせ、そのまま車を奪って走り去る。オーバーヒートを起こした車を道路脇に乗り捨てて、あからさまにFワードをつぶやいた彼女は、ポップコーンを頬張り、タトゥーを入れ、コーヒーショップでバッグを盗もうとした男に空手キックを食らわせる(その男性を演じたジョシュ・ホロウェイは、後にドラマ『ロスト』のソーヤー役で有名になる。アリシアに殴られた俳優の中では最も成功した人物となった)。
クライマックスの場面でアリシアは橋の上から飛び降り、駆け付けた警察官に囲まれたドーフを唖然とさせる。MTVで放送される際には、彼女がワイヤーに吊るされたまま突き立てる中指にモザイクがかけられていた。

「あのビデオのおかげで、エアロスミスは途方もない額を稼いだはずよ」シルヴァーストーンはそう話している。「アルバムの売り上げが何倍にも伸びたって聞いたもの。それなら私を呼び戻さない手はないわよね」

事実彼女は再び起用された。2作目となる「アメイジング」のテーマであるヴァーチャルリアリティは、1993年の時点で既にクリシェとなっている感は否めず(「サイバースペースに進入!」というフレーズには頭を抱えたくなる)、今見るとCGの技術はお粗末以外の何物でもない。しかし誠実さを歌ったパワーバラードの「アメイジング」は、ラスト4分間に及ぶジョー・ペリーのギターソロも含めて秀逸であり、エアロスミスの過去30年間において最も美しい曲だと言っていい(匹敵する曲があるとすれば「ジェイデッド」だろう)。

同曲のミュージックビデオでは、映画『バッド・チューニング』でカルト的人気を獲得していたジェイソン・ロンドンがハッカーに扮し、CD-ROMを使って自身をエアロスミスのビデオに投影することで、アリシアに会うという望みを叶えようとする。バイクにまたがった2人は夕日をバックに砂漠を駆け抜け、ヒッチハイクで複葉機を捕まえ、共にスカイサーフィンに興じる。しかし最後には、ジェイソンは自身が他者が作り上げた仮想現実の登場人物であることを悟る。彼をサイバースペース上に生み出した人物、それは他ならぬアリシアだった。

三部作を締めくくる「クレイジー」は1994年の春に公開された。アリシアとペアを組む少女がスティーヴン・タイラーの娘であるという事実は、当時は公にされていなかった。10代の不良少女を演じる2人(制服姿はお約束)は、フォードのマスタングに乗り込みジョイライドを繰り広げる。ガソリンスタンドで2人の万引きを容認するポーリー・ショア風の男への礼として、彼女たちはフォトブースで撮影したトップレスの写真をプレゼントする。小遣いを稼ぐべく出演したタレントショーで、ポールダンサーに扮したリヴは、父親へのあてつけとも受け取れるダンスを披露し、最前席で彼女を見つめていたビジネススーツ姿のアリシアに熱い視線を送る(ほどなくしてリヴはベルトリッチの映画に起用される)。

2人はドライブの途中で、農作業をしているセクシーな男を遊泳に誘う。服は汚れているが手は綺麗なままのその男は、エンジンをかけたままのトラクターから飛び降りてマスタングの後部座席に乗り込み、鼻をほじり、ジャド・ネルソンさながらに拳を突き上げる。奔放に振る舞う彼女たちを見ているうちに、視聴者はまるで自分が別の人間になったかのように感じ始める。しかし本作の最大の見所は最後のシーンだ。男が放り出したトラクターは、広大な農地に見事な「Crazy」の文字を描いていた。あまりに秀逸なエンディングだ。

ティーンムービーの傑作『初体験/リッジモント・ハイ』でその名を知られていた映画監督のエイミー・ヘッカーリングは、この三部作を見たことが『クルーレス』の誕生につながったと話す。「アリシアのことはあのビデオで知ったの」ヘッカーリングは1995年に本誌にそう語っている。「トレッドミルで汗を流しながらMTVを観てた時に、『クライン』のビデオが流れたの。あの時の衝撃は忘れられないわ」

ティーンファッションのお手本となり、オスカー・ワイルド譲りのウィットを披露するシェール・ホロウィッツをシルヴァーストーンが演じた『クルーレス』は、処女で車を運転しない少女たちの意見さえ反映しなければ、間違いなく90年代におけるマスターピースのひとつに数えられるだろう(ローリングストーン誌による「90年代最高の映画100選」の投票の際に、筆者は『クルーレス』を第1位に推した)。

マーティー・カルナーの目論見は見事に功を奏したといえる。元祖『Pee Wee Herman Show』のディレクターであり、ツイステッド・シスターの「ノット・ゴナ・テイク・イット」、ポイズンの「フォーリン・エンジェル」、シェールの「ターン・バック・タイム」、ホワイトスネイクのタウニー・キティン三部作、そしてエアロスミスの「デュード」など、数々の名ミュージックビデオを世に送り出してきた彼は、80年代初頭からバンドのカムバックを支え続けた。このアリシア三部作は彼にとっても、ともすれば馬鹿げたそのセンスが高次元で結実した最高傑作といえるだろう。

『クルーレス』の公開後、ローリングストーン誌の表紙を飾ったシルヴァーストーンは、自身のヒップなイメージに対する違和感を口にしている。「世間の私についての言動や行動には、正直うんざりさせられることもあるわ」彼女はエアロスミスのイメージから自身を切り離そうとしていたという。「ミュージックビデオ専門の女優っていうイメージを持たれたくないの。真剣に演技に取り組んでいる私にとって、ミュージックビデオへの出演はおまけみたいなもの」

そう話す彼女は現在、パラマウント・ネットワークの新ドラマ『American Woman』で、70年代のビバリーヒルズに暮らす母親役を演じている(そのキャラクターは『Real Housewives of Beverly Hills』のカイル・リチャーズをモデルとしている)。また先日はジミー・ファロンの番組のリップシンクバトルに登場し、「クルーレス」の衣装を着てイギー・アゼリアの「ファンシー」に挑戦している。いずれにせよ、今も色褪せないエアロスミスのビデオ三部作が「アメイジング」であることは確かだ。