ギターの神とも言える、エディ・ヴァン・ヘイレン。「暗闇の爆撃」、「パナマ」、「ライト・ナウ」など、記憶に残る驚愕のテクニックの数々をセレクトした。

現代のロックンロール・サウンドを語る上で、エディ・ヴァン・ヘイレンは外せない。ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトンら先輩たちに倣い、エディは単独(シングルハンド…彼の場合は時にはダブルハンド)で、ギターのひとつの時代を築いた。彼の繰り出す華麗なフィンガータッピング、自由自在なアーミング、ほとばしるメロディはギターソロの常識を覆し、数多くのギタリストたちが彼のスタイルを真似た。しかし彼の弾くあらゆるフレーズにはハートが籠もっていた。1月26日に誕生日を迎えたギターヒーローに敬意を表し、印象に残るフレーズから、どうやって弾いているのかわからないような驚愕のテクニックまで、最高のギターソロ・ベスト20を厳選した。そのどれにも彼の優れた才能が表現されている。

「叶わぬ賭け(Aint Talkin Bout Love)」1978年

ヴァン・ヘイレンのデビューアルバムからの4枚目のシングルで、今日でも人気の高い同作品は当初、その頃盛り上がっていたパンク・ムーブメントに対するパロディとして書かれた。「2つのコードだけで作った馬鹿げた代物だった」とエディ・ヴァン・ヘイレンは、かつてギターワールド誌に語っている。シンプルな曲調に合わせて派手さを抑えながらも、エレクトリックシタールを加えて強烈かつメロディアスなソロを聞かせている。セックス・ピストルズやバズコックスのアルバムに収録されていても違和感のないギターソロで、彼らがパロディにしたパンクを凝縮したような作品となった。グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングは機会のある毎に、彼の初めてコピーしたギターソロはこれだと公言している。(T.B.)

「暗闇の爆撃(Eruption)」1978年

YouTube上で「Eruption Cover」と検索すると、12歳の少年がエディの代表的な1分42秒のソロを正確にコピーする動画が見つかるだろう。
エディのコンサート前のウォーミングアップから生まれたインストゥルメンタル曲で、少年の動画は、ギターソロの難易度云々よりも、同楽曲が現代音楽のスタンダードとしてのステータスを得たことを物語っている。

実際にロックギターのソロは、『暗闇の爆撃』以降(1980年代から)変わったと言っても過言ではない。曲の前半は壮大なパワーコードから速弾きへと続き(1970年のカクタスによるブギ・ロック『Let Me Swim』を彷彿とさせる)、さらにアームダウン。両手を使った一連のタッピングフレーズは、エディ曰く「左手に6本目の指が生えたような感じ」で、とても美しく生き生きとしている。眼の前でエディが、ギターの未来へと架かる橋を築いているようだ。

ギターのフィンガーボードを指でタッピングし始めたのは、もちろんエディが初めてではない。しかし1978年に彼自身が解説しているように、彼以前のプレイヤーたちは「指で叩いてひとつの音を出すだけ」だった。「誰も本当にモノにしているとは言えなかった。そこで本格的にやってみたら、それまで誰も弾いたことのない全く新しいテクニックになった。その通り、思いつく限りそれまで誰も僕のように弾いたギタリストはいなかった。全く新しいサウンドだ」という。

エディの作り出したサウンドは、ロックギターのDNAを永久に書き換えた。
(R.B.)

「アイム・ザ・ワン(Im the One)」1978年

アルバム『炎の導火線(原題:Van Halen)』がリリースされた月、若きエディが受けた初期のインタヴューのひとつで、アルバム中で特にお気に入りのギターソロについて聞かれると、「ブギ曲の『アイム・ザ・ワン』が好きだ」と答えている。彼がそう語る理由を知るのは難しくない。『暗闇の爆撃』のギターはあらゆる絶賛を受けたかもしれないが、純粋なギター狂のエディにとっては『アイム・ザ・ワン』が最高なのだ。ロック、R&B、ブギ、ブルーズ、ジャズ、スウィングを合成したユニークで速いテンポの楽曲で、リズムギターとリードギターの間のアーミング、甲高いピックスクラッチ、最高のリフとコード、超人的な速弾きは、エディ自身の言うように「実に自然でのびのびと」している。曲の最初の30秒間でデイヴィッド・リー・ロスが実際に発しているように、思わず「ワオッ」と叫びたくなる。(R.B.)

「アイス・クリーム・マン(Ice Cream Man)」1978年

シカゴ・ブルーズのジョン・ブリムによる1950年代のカヴァー曲。最初の1分強は、アコースティックギター1本のブギとダブルミーニングの歌詞によるデイヴィッド・リー・ロスの独壇場だが、特に目新しさは感じない。マイケル・アンソニーとヴァン・ヘイレン兄弟が加わった後もデイヴの主役が続くが、エディのリードギターが入った途端に状況は一変する。ギターソロの口火を切るリックで聴かせるフレットボードの高音部全体を使った怒涛の速弾きは、まるで天国からのサウンドのようだ。その後タッピングとスライド、アーミングをミックスした下降フレーズが続き、さらに間髪入れず、まばゆいばかりに美しい未来的なブルーズの速弾きに突入する。エディはかつて同曲を、ヴァン・ヘイレンらしい”勢いのある騒々しい曲を変化させたもの”と表現した。それでもなお、1978年にリリースされたどの曲よりも50%は勢いが高かった。
(R.B.)

「悪いあなた(Youre No Good)」1979年

珍しいチョイスによるカヴァー曲は、彼らの特徴のひとつとなった。クリント・バラード・Jrが作曲し歌った『悪いあなた』は、リンダ・ロンシュタットがカヴァーしたことでも有名だ。アルバム『伝説の爆撃機(原題:Van Halen II)』のオープニングを飾る同曲は、スローダウンしてよりヘヴィさを増し、破壊的なパワーコードとデイヴィッド・リー・ロスのシャウトにマッチさせている。エディはギターソロで本領を発揮。アームを駆使したスクリーミングに続きパーカッシヴ・ハーモニクスの速弾き、さらに激しいオクターヴ・タップからギターネックを駆け上がる。いかにもヴァン・ヘイレンらしいサウンドに仕上がっているのは、エディがかつて認めているように「オリジナル曲を聴いたことがなかった」からにほかならない。(R.B.)

「サムボディ・ゲット・ミー・ア・ドクター(Somebody Get Me a Doctor)」1979年

エディ・ヴァン・ヘイレンが、他のプレイヤーから受けた影響について言及することはめったにないが、エリック・クラプトン、特にクリーム時代のクラプトンについては例外だ。「クラプトンの初期の作品にインスパイアされてギターを始めた」とエディは、2015年のローリングストーン誌のインタヴューで語っている。「特にクリームのライヴ・レコーディングがお気に入りだった。3人のメンバーがそれぞれプレイする3つのパートだけが聴けるから」という。バンドとしてのヴァン・ヘイレンは4人編成だが、核となるのはエディのヒーローたちをイメージして形成された巨匠によるパワートリオだ。エディ、ドラマーのアレックス・ヴァン・ヘイレン、ベーシストのマイケル・アンソニーの3人によるインタールードは情熱的だが、特にアルバム『伝説の爆撃機』に収録された『サムボディ・ゲット・ミー・ア・ドクター』のソロセクションで顕著に現れている。
ボリュームアップしたエディのギターが奏でるブルージーなフレーズと疾風のハーモニクスを、リズムセクションが素晴らしいスウィングとパワーで支えている。(T.B.)

「スパニッシュ・フライ(Spanish Fly)」1979年
最終的にギタリストとなったエディだが、当初はコンサート・ピアニストを目指していた。彼のクラシック音楽の才能は、アルバム『伝説の爆撃機』の『スパニッシュ・フライ』を作曲する際にも発揮された。ガットギターによる1分間の”エド=チュード”で、エディのトレードマークである両手タッピングと超高速フラメンコ風の速弾きがフィーチャーされている。発想豊かな楽曲『スパニッシュ・フライ』は、エディのプレイスタイルを真似始めた多くのハードロック・ギタリストたちに対し、自分はジャンルを意のままに超越できることを示した威嚇射撃でもあった。後にオジー・オズボーンのギタリストとなるザック・ワイルドも、エディからのメッセージを受け取ったひとりだった。「初めて『スパニッシュ・フライ』を聴いた時、”いったいどうやったらこんなに上手く弾けるようになるんだ?”と思ったよ。全く常識を超えていた」とワイルドは、アベル・サンチェス著『Van Halen 101』の中で語っている。(T.B.)

「ミーン・ストリート(Mean Street)」1981年

『暗闇の爆撃』のラスト45秒同様、『ミーン・ストリート』の最初の30秒間でエディは、”ファンク・スラップ”的な両手タッピングを披露している。駆け出しのギタリストに(さらに熟練のキーボーディストにも)、恐らく最も頻繁にコピーされてきたエディ・ヴァン・ヘイレンのテクニックだろう。イントロのせいで、『ミーン・ストリート』のギターソロが絶品だという事実がかすんでしまっている。空高くつんざくスクリーミングに始まり、小刻みに震え、跳ね、激しくうねる長いランとフレーズ。
さらにリードが、既に暗く張り詰めた雰囲気に不穏な空気を重ねる。アグレッシヴなソロについてエディはかつて、「別に気がふれた訳ではないが、ただ曲にフィットすると思ったんだ」とコメントしている。(R.B.)

マイケル・ジャクソン「今夜はビート・イット(Beat It)」1982年

マイケル・ジャクソンの大ヒット・アルバム『スリラー(原題:Thriller)』では、主にTOTOのスティーヴ・ルカサーがギタリストを務めたが、『今夜はビート・イット』のギターソロに関しては、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの頭にはひとりしか浮かんでいなかった。エディ・ヴァン・ヘイレンだ。レコーディングセッションのためにエディがスタジオ入りした時、ジャクソンは別のスタジオで作業していた。エディのギターソロを聴いたジョーンズは、曲をアレンジし直そうと決めた。「セカンドテイクを録り終えたところでマイケルが入ってきたんだ」とエディは、2012年にCNNのインタヴューで振り返っている。「”曲を台無しにした”とボディガードに僕を叩き出させるか、それとも気に入ってくれるか、いったいどちらだろう、という思いが頭をよぎった」という。ギターソロを聴いたジャクソンはエディの方を向き、「ワォ、わざわざ来てくれてギターソロを弾いてくれただけでなく、歌も素晴らしくしてくれて本当にありがとう」と感謝の言葉を述べた。ユニークな組み合わせが、両者それぞれに素晴らしい結果をもたらすこととなった。マイケル・ジャクソンはナンバー1ヒットを獲得し、ヘヴィメタル・ヒーローだったエディ・ヴァン・ヘイレンは、正真正銘のロックスターの座を手に入れたのだ。(T.B.)

「プッシュ・カムズ・トゥ・シャヴ(Push Comes to Shove)」1982年

「”レゲエ風にしてみよう”という(デイヴィッド・リー)ロスのアイディアからできた曲だ」とエディは1996年、ギターワールド誌のインタヴューでビリー・コーガンに語っている。
チャート上は大差で敗北したものの、素晴らしい楽曲であることは間違いない。全体的に抑えたヴォーカル、うねるディスコ調のベース、軽快にダークな雰囲気を醸し出すギター。クライマックスはもちろん、エディのギターソロだ。曲の他の部分同様ギターソロもレゲエの要素を全く無視し、アル・ディ・メオラ風のスムーズなランとアラン・ホールズワース風のなめらかなラインとロングノートをミックスしたジャズ=フュージョン的アプローチで挑んだ。同ギターソロは間違いなくエディの自信作だったようで、「この曲のギターソロは信じられないほど素晴らしい! 僕は絶対に忘れないだろう」とインタヴューで語っている。

「大聖堂(Cathedral)」1982年

ヴァン・ヘイレンにとってアルバム『ダイヴァー・ダウン(原題:Diver Down)』は、アーティストとしてのクライマックスとは言えない作品だった。1982年にリリースされた30分間の同アルバムには、酔っぱらいのアカペラ・バージョンで歌ったデイル・エヴァンスの『ハッピー・トレイルズ』を含む5曲ものカヴァー曲が収録され、正に突貫工事的に仕上げられた。それでもヴァン・ヘイレンの至宝とも言うべき楽曲もあり、その内の1曲がエディ・ヴァン・ヘイレンによる最も素晴らしいインストゥルメンタル曲『大聖堂』だ。透明感のある鼓動を表現するため、エディは年代物のFender Stratocasterをエコーユニットへ接続し、洞窟内の礼拝堂から聴こえてくるような印象深く脈打つオルガントーンを実現した。『大聖堂』というタイトルを付けた経緯について、デイヴィッド・リー・ロスは1982年、クリーム誌とのインタヴューで嬉しそうに語っている。「エディがスタジオでこの曲を披露した時、俺は”バッハのオルガン曲みたいだな”と言ったんだ。エディは”バッハって誰?”って感じだったけど、”気にするな。とにかく教会っぽいタイトルが合うから”とエディには言ったのさ。」(T.B.)

「パナマ(Panama)」1984年

アルバム『1984』からのサードシングル。歌詞に卑猥な意味が込められていることもあり、『パナマ』は中米のコンサート会場のバックステージで繰り広げられた酒池肉林パーティにインスパイアされた曲だろう、と単純に考えられても仕方がないだろう。しかし実際は”カリフォルニア・ガール”を歌ったものではなく、デイヴィッド・リー・ロスが所有し大改造を加えた1951年式マーキュリーがテーマになっている。支離滅裂なストーリーのミュージックビデオの中でロスが運転する”パナマ・エクスプレス”は、元々はラスヴェガスのレース場を走っていてロスが惚れ込んだレーシングカーだった。エディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロは曲にマッチしたエンジン回転で、チャック・ベリー風のダブルストップからハイオクのタッピング・リックへと加速していく。エディは、まだそこで停まらなかった。普段使用しているアーム付きの愛車(愛器)の擬似的なエンジン音では曲にインパクトを与えられないと考えたエディは、自分の1972年式ランボルギーニをスタジオへ持ち込み、レッドゾーンまでアクセルを踏み込んでリアルなサウンドを録音した。かつてエディはオートウィーク誌で、自分の愛車を”12気筒のゴーカート”と呼んでいた。(T.B.)

「ドロップ・デッド・レッグス(Drop Dead Legs)」1984年

シングルとしてリリースされず、2015年のツアーまでライヴでプレイされたことがなかったにもかかわらず、熱心なファンでなくとも馴染みのある曲だ。エディによるシンコペーションを効果的に使ったシングルノートのリフと、リズムセクションのAC/DC風ストンプも印象的だが、同曲の真価は1分間に渡るエンディングのギターソロにある。エディは、アームを激しく駆使して叫びやうねりや羽ばたきを表現しながら、実にユニークなフレーズとリックを聴かせている。「エンディングのギターソロは、(フュージョンのギターヒーローである)アラン・ホールズワースの影響が大きい」とエディは語っている。「僕はジャズのように好き勝手に弾きまくった。でたらめな音もそこかしこにあるが、上手くマッチしたと思う」という。エディの普段のリードと比べれば抑制され冒険的だが、どんどん魅了されるインプロヴィゼーションだ。(R.B.)

「ホット・フォー・ティーチャー(Hot for Teacher)」1984年

「今まで聴いたどのブギをも超越した曲だ」と1995年にエディ・ヴァン・ヘイレンはギターワールド誌に語っている。いつも控えめなエディだが、これでも真実を全て語ってはいない。曲のトレードマークとも言えるアレックス・ヴァン・ヘイレンのドラムで始まるイントロから、約5分後のユニークなエンディングまで、『ホット・フォー・ティーチャー』は最高レベルの楽曲だ。思春期前のファンタジーを描いたミュージックビデオには、メンバーそれぞれに扮した小学生が登場。ビキニ姿の担任教師が教室の机の上でくるくると踊るシーンは、ドラマ『グリー』やアニメ『サウスパーク』等でカヴァーされるなど、ポップカルチャーの世界に”ティーチャー”という地位を確保した。しかし、速弾きの修得を目指す世界中のギタープレイヤーたちが同曲を特別な存在としているのはやはり、エディによる強烈でクールな印象を残す驚異的な32小節のギターソロのおかげだ。(T.B.)

「ジャンプ(Jump)」1984年

ヴァン・ヘイレンの最初(で最後の)ナンバー1シングル。エディ・ヴァン・ヘイレンがキーボードを前面に押し出した楽曲をメンバーに納得させるまで、数年かかった。「初めて『ジャンプ』をメンバーに聴かせた時、誰にも相手にされなかった」と2014年、エディはライターのクリス・ジルに語っている。「デイヴは、僕がギターヒーローだからキーボードは弾くべきじゃないと言うんだ。でも僕は、”チューバだろうがおならだろうが自分のやりたいようにプレイするよ”と答えた」という。自分の音楽的ルーツを全く無視することができなかったエディは、今までで最もシンプルかつ考えて構成されたリードギターをフィーチャーし、さらにギターと同様に素晴らしく挑戦的なキーボードソロを続けた。彼は、1つだけでなく2種類の楽器の熟達者としての地位を確立したのだ。もちろんおならは別だが。(T.B.)

「ドリームス(Dreams)」1986年

アルバム『1984』の『ジャンプ』での成功で勢いづいたエディ・ヴァン・ヘイレンは、デイヴィッド・リー・ロス脱退後初のアルバム『5150』でもキーボードを大きくフィーチャーした。『ドリームス』もシンセサイザーを中心としたポップ・ロックのひとつで、新加入のサミー・ヘイガーは、様式化されたヴォーカルテクニックや声域に関しては、より型にはまった前任者を圧倒できることを証明した。エディのギターソロもまた、ファンの期待以上に型にはまったものだったが、初期の作品にはあまり見られなかった抑制の効いたメロディと構成を総合的にまとめる能力を示した。「これまで以上に曲を中心に考えるようになった」とエディは、アルバム『5150』がリリースされた時期のBAM誌のインタヴューで語っている。「始めた頃は、全てのテクニックをひけらかしたくなるものだ。でも今は、ギターを弾くというのは、ただ速弾きのガンマンになることではない、という境地に達したような気がする。」(T.B.)

「マイン・オール・マイン(Mine All Mine)」1988年

1988年にリリースされたアルバム『OU812』でエディ&カンパニーは、キーボードを多用してより厚みを出し、サミー・ヘイガー在籍時の特徴的なコマーシャルロック・サウンドに磨きをかけた。さらに、デイヴィッド・リー・ロス時代に浸透し、当時MTVやチャートを賑わせていた”ヘア・メタル”グループとは一線を画そうとする努力も見られる。さらにエディは時折、それまでとは異なる路線を選んだものの、ギターソロに関しては依然としてトップに君臨していることをオーディエンスに証明して見せようとしている。そのためエディは、アーミングや速弾きからアクロバティックな両手タッピングまで、自分の持つテクニックの全てを解き放つのだ。『マイン・オール・マイン』のギターソロもそのひとつで、彼の落とす影がノート毎に少しずつ大きくなっていくのを感じるだろう。(T.B.)

「ライト・ナウ(Right Now)」1991年

サミー・ヘイガーはかつて、『ライト・ナウ』は「エディと僕が世界の問題について真剣に話し合おうということから生まれた曲だ」と説明した。ヴァン・ヘイレンからこのような言葉が聞かれるとは、誰も思わなかっただろう。ヘイガーによる至極真面目な歌詞に、エディの同じく真面目なキーボードサウンドが美しく響く。さらにミュージックビデオには、社会へ向けた多くのメッセージが流れる。(同曲の収録されたアルバム名は『F.U.C.K.』であることを伝えておかねばならない。)メッセージの陰に隠れがちだが同曲には、とても素晴らしいギターソロがフィーチャーされている。サイレンのようなピッキングハーモニクスからメロディアスなリックとフレーズまでが、タイトでポップシングルにふさわしい8小節のフォーマットに収まっている。簡単に口ずさめるようなギターソロだが、実際に自分で弾いてみようとすると、泣きじゃくる狂人のように悲惨なサウンドになるだろう。(R.B.)

「ヒューマンズ・ビーイング(Humans Being)」1996年

ヴァン・ヘイレンとしてのサミー・ヘイガー最後の声となる『ヒューマンズ・ビーイング』は、ヘイガーと他のメンバーとの間の対立が深まる中で書かれた楽曲。映画『ツイスター』のサウンドトラック向けに作られた同曲は、ヴァン・ヘイレンの楽曲の中でもAレベルからは程遠い。ところがギターソロは秀逸で、タッピングからアームを使ったスクリーミングまで、8小節にエディ流の聞かせどころが満載されている。その後に続く長くルーズなインストゥルメンタル・セクションは、『パナマ』のギターソロ後にデイヴィッド・リー・ロスが”were runnin a little bit hot tonight”と語り出すパートを切り取ってきた感じで、オクターヴ・スライドやパトカーのサイレンのような不協和音が続く。さらに曲の後半でエディは、ソロパートの最初の部分を冗談半分に繰り返している。『ヒューマンズ・ビーイング』は1996年5月、ビルボードのMainstream Rock Songsチャートでナンバー1を獲得。それから約3週間後、ヘイガーはバンドを去った。(R.B.)

「チャイナ・タウン(China Town)」2012年

アルバム『暗黒の掟(原題:Women and Children First)』に収録された『ロメオ・デライト(原題:Romeo Delight)』を彷彿とさせる激しい『チャイナ・タウン』でヴァン・ヘイレンは、速くヘヴィなプレイもできることを示している。クラシックなヴァン・ヘイレン・スタイルの再現で、メインのギターソロやアウトロのリードで現れる馬のいななきのようなアーミングから、イントロや曲中のタッピングを交えたギターとベースのユニゾンフレーズまで、本来のエディらしさが解き放たれた。「イントロではハーモナイザーやオクターヴ・ボックスを使ったのではないか、と多くの人に聞かれたが、(ベーシストの)ウルフギャング(ヴァン・ヘイレン)と僕とでプレイしているんだ」とエディはギターワールド誌に語っている。聴いていても楽しいが、プレイする方も楽しい曲だろう。ヴァン・ヘイレンの2012年と2015年のツアーのセットリストに、アルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース(原題:A Different Kind of Truth)』から選ばれた数少ない曲のひとつだった。(T.B.)

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