ジューダス・プリーストを抜きにして、メタルの進化を語るのは不可能だ。ブラック・サバスより約1年遅れで結成し、70年代後半にかけて方向性を固めていった彼らは、高速ツイン・ギターの強襲によって同ジャンルに改革をもたらし、黒いレザーを纏う姿はメタルヘッズのファッションを定義づけた。
彼らの重要性について、メタリカのドラマー、ラーズ・ウルリッヒはこのように語っている。「モーターヘッドやディープ・パープルといったバンドは、一人のギタリストがいろんな演奏をしながら、どちらかと言うとレイヤーの役割を果たしていた。でもジューダス・プリーストの場合は、二人のギタリストが同じリフを一緒に演奏するんだ。二つの演奏が重なり合うことで、サウンドはより重く、大きく、分厚くなり、もっと没入できるようになった」
それに加えて、ジューダス・プリーストはメタル・ソングが取り上げるトピックの多くを開拓する役目も担った。ダイナミックなバイク乗りのフロントマン、ロブ・ハルフォードが綴った率直なリリック──うつ病について(「Beyond the Realms of Death」)、自分の信念に基づいて戦うこと(スラッシュ・メタルの先駆け「Dissident Aggressor」)、物事の上辺だけを見ず、世界の本質に目を向けること(「Exciter」)──これらはいずれも、70年代の終わりまでに書かれたものだ。
1980年のアルバム『British Steel』(「ローリングストーン誌が選ぶ史上最高のメタル・アルバム100」で3位、ここには1982年作『Screaming for Vengeance』もランクイン)の発表に伴い、ハルフォードは自らとバンド仲間を「メタルゴッド」と呼ぶようになり、メタルをメインストリームへと押し上げると、「Breaking the Law」「Heading Out to the Highway」「Youve Got Another Thing Coming」など超エネルギッシュな不滅のヒット曲と、大規模なコンサートプロダクションによってヘッドバンガー達を魅了した。90年代初頭になると、ハルフォードはジューダス・プリーストを離れ、自身の率いるファイトでヘヴィな作風に傾倒。その後、2000年代前半に復帰を果たし、近年もレコーディングやツアーを精力的に行なっている。
「史上最高のメタル・アルバム100」のランキングを制作したローリングストーンは、ハルフォードのジャンルに対する貢献ぶりを踏まえ、個人的なトップ10を教えてもらうべく本人に打診。彼はそのリストと一緒に、そのアルバムが自分とメタルにとって重要だと考える理由を簡潔に添えて、丁重にEメールを送り返してくれた。
10位 モーターヘッド『Ace of Spades』(1980年)
ワイルドで爆発的なハードコアの轟音が、お前を吹っ飛ばすぜ!
9位 スリップノット『Slipknot』(1999年)
このアルバムが出たことで、ニューメタルの抑圧された怒りは新時代を迎えた。
8位 エンペラー『Anthems to the Welkin at Dusk』(1997年)
ダークサイドから生まれた音の冒涜。大好きだ。
7位 ディオ『Holy Diver』(1983年)
このアルバムはクラシックなグルーヴ、ヴァイブス、王をサポートするメロディを持っている。
6位 パンテラ『Cowboys From Hell』(1990年)
「テキサスの大虐殺(Texas massacre)」はここから始まった。
5位 スレイヤー『Reign in Blood』(1986年)
ギターリフと挑戦的な歌詞が、真正面から飛び込んでくる。
4位 アイアン・メイデン『Iron Maiden』(1980年)
ここでUKの血統は一新され、ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルは頂点に立った。
3位 コーン『Korn』(1994年)
彼らのデビュー作は、メタルに新たな定義をもたらすゲームチェンジャーとなった。
2位 メタリカ『Kill Em All』(1983年)
極限なまでのスラッシュ・エネルギーは、アメリカを攻撃する急先鋒となった。
1位 ブラック・サバス『Black Sabbath』(1970年)
メタルにまつわる全てにとってのブループリント。
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