タル・ウィルケンフェルドが2019年、ソロ・アルバム『ラヴ・リメインズ』を発表、8月に来日ライブを行った。ジェフ・ベックとの活動で一躍注目され、初のソロ・アルバム『トランスフォーメーション』(2009年)によって若きスーパー女性ベーシストと呼ばれるようになったタルだが、2015年に行われた初のソロ来日では自らボーカルを取るシンガー・ソングライター・スタイルでのステージを披露。
ー『ラヴ・リメインズ』ではシンガー・ソングライターとしてのあなたの魅力を聴くことが出来ますが、自分で歌うことはいつから意識していたのですか?
タル:子供の頃、音楽に目覚めたときからよ。歌うのが好きだった。ただ、14歳のときに曲を書くようになって、しばらくギターに専念していた。15歳のとき、アメリカに引っ越したときはギターを弾いていたけど、半年ぐらいしてベースという楽器の魅力を発見して、ベースで”音楽の言語”を話すことに夢中になった。それで気がついたらオールマン・ブラザーズ・バンドと一緒にやるようになって、それからジェフ・ベック、ハービー・ハンコック、プリンス……そうして年月が経って、ある日ふと気がついたのよ。自分がやるべきこと、やりたいことは何だろう?……ってね。もちろん、いろんなミュージシャンと共演するのは楽しいし、スキルを上げることが出来たけど、本当にやりたいのは自分の音楽をやることだと気付いた。私はボーカルのレッスンとかは受けたことがないし、”正しい”歌い方は知らない。でも、自分が書いた歌詞を他人が歌うよりも、うまくなくても自分自身で歌った方がフィーリングが伝わると思ったのよ。
ー影響を受けた、あるいは目標とするシンガー・ソングライターはいますか?
タル:たくさんいるわ。
ー10年前にあなたにインタビューしたときは、スティーヴィー・ワンダーと共演することが目標だと言っていましたよ。
タル:そんなこと言った(笑)? スティーヴィーとは何度か会う機会があったけど、まだ共演はしていないのよ。彼と一緒にやってみたいけど、それが究極の目標かというと、やはりそうでもはないと思う。それは自分の音楽で達成したいわ。
ージャクソン・ブラウンが”エグゼクティブ・プロデューサー”としてクレジットされていますが、彼の役割はどのようなものでしたか?
タル:ジャクソンは『ラヴ・リメインズ』の初期段階から関わっていたわ。父親がジャクソンの音楽を好きだと言っていたから、名前は知っていた。曲は聴いたことがなかったけど(笑)。でも彼と知り合って、音楽・歌詞の両面で多大な影響を受けたわ。彼の役割は”コンサルタント”に近いものだった。
ーポール・ステイシーや『ラヴ・リメインズ』のレコーディング・メンバーは、どのようにして集めたのですか?
タル:集めたというより、自然に集まった感じね。『ラヴ・リメインズ』を作ることが出来たのは、スシのおかげなのよ。スシに感謝しなきゃね(笑)! ベンモント・テンチ(トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのキーボード奏者)を紹介してくれたのはジャクソンだった。2013年のことで、ロサンゼルスでお気に入りのスシ・バーにベンモントと行ったのよ。そのときベンモントが「友達のジェレミー・ステイシーも呼んでいい?」って言ってきた。そしたらジェレミーも「双子の兄弟のポールも呼んでいい?」と言ってきたわ。4人でスシを食べた後、私の車のカーステレオで新曲のデモを聴いてもらった。みんな気に入ってくれたんで、リハーサル・ルームを押さえて、一緒にやってみることにしたわ。
ーポールとジェレミーのステイシー兄弟との作業はどのようなものでしたか?
タル:彼らはまったく違っているけど、共通点も多くて、スタジオで会話しているのを見ていて飽きなかったわ。よくスタジオで口論していたけど、それは兄弟だからで、2人とも多彩でどんな音楽にも対応出来る素晴らしいミュージシャンよ。ポールはナチュラルなサウンドを志向して、オーバーダビングは最小限に、ほぼスタジオ・ライブ形式で録ってくれた。今の時代、幾らでも手直しを出来るけど、ポールはミスがあっても「それが人間らしさなんだ」と、そのままにしていたわ。
Photo by Hana Yamamoto
ー『ラヴ・リメインズ』をレコーディングしたのはいつですか?
タル:「コーナー・ペインター」は2013年、他の曲は2014年に録った。それに2015年、ストリングスや管楽器を入れて、ミックスしたわ。
ートム・ペティやアラン・ホールズワースとは親しかったのですか?
タル:すごく親しかったわけではないけど、ソングライティングについて話したり、「今度、一緒にジャムをやろう」と言ってくれた。トムのホーム・スタジオで曲作りをする話もあったけど、実現しなかった。アランともいつか一緒に何かやってみようと話していた。彼がアルコールの問題を抱えていることは知っていたけど、私に対してはとても紳士的だったし、良い思い出しかないわ。
タルのキャリアを振り返るドキュメンタリー動画(英語)には、ジェフ・ベック、ドン・ウォズ、ジャクソン・ブラウン、トッド・ラングレン、ピート・タウンゼントなど錚々たる面々が登場。
ーアルバム収録曲の「ハード・トゥ・ビー・アローン」はジミ・ヘンドリックスやドアーズなどの60年代のダークなサイケデリアを彷彿とさせますね。
タル:うん、音楽を聴くようになってからずっとジミ・ヘンドリックスは好きだったし、影響を受けたと思う。ドアーズはあまりよく知らないし、あまり影響はないんじゃないかな。「ハード・トゥ・ビー・アローン」はアルバムで最初の方に書いた曲で、孤立することで人間が感じる痛みと寂しさを歌っている。大勢の人がいる部屋でも、孤独を感じることがあるわよね。このタイトルも”一人でいることは辛い”というのと、”一人になることは難しい”というダブル・ミーニングなのよ。
ーダブル・ミーニングや言葉遊びがお好きなのですね。
タル:そうね、普段あまり音楽というものを聴かないし、それよりもコメディのスポークン・ワードを聴くことが多い。デイヴ・シャペルは”コメディ界のマイルス・デイヴィス”的な存在よ。ビル・バーが”コメディ界のミック・ジャガー”かな。だから言葉の使い方に興味を持つようになったのかも知れない。それに普段は哲学や神経科学の講義のトラックを聴いたりしているわ。
ー音楽を聴き始めた頃、トゥールやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを愛聴していたそうですが、現在でもヘヴィなロックを聴くことはありますか?
タル:レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『イーヴィル・エンパイア』は今でも聴くし、本当に凄いアルバムだと思う。トゥールからも影響を受けた。アメリカに来て、最初にライブを見たのがトゥールだったわ。ドラマーのダニー・キャリーとは友達で、パーティーとかにも顔を出してくれる。彼らの新しいアルバム(『フィアー・イノキュラム』)はまだ聴いていないのよ。早く時間を見つけて聴きたいんだけどね。トゥールは妥協のない音楽をやって、それでアリーナ規模の会場でライブをやる支持を得ているのは素晴らしいと思う。ダニーもそうだけど、トゥールには奇妙なユーモアがあるのよね。それが面白いんだけど(笑)。
ーあなたは90年代の音楽を聴いて育って、プロとしては60年代あるいは70年代から活動するアーティストと多く共演していますが、自分のライブでは80年代イギリスを代表するバンドのひとつ、ザ・スミスの「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」をプレイしているというのが興味深いですね。
タル:ザ・スミスのことはポールとジェレミーのステイシー兄弟から教えてもらったんだっけな? 短期間のあいだにあまりに多くの音楽に晒されたから、覚えていないのよ。「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」をカバーしたのは、歌詞が自分と関連づけられるものだったからだった。ステージに上がったり、人前に出る仕事をしていると、周囲の人たちに違った風に見られる。でも私だって普通の人間なのよ。”私は人間、どうしても愛されたい/他のみんなのように”という一節がハートを直撃したわ。
ー「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」の歌詞は、ゲイの主人公がゲイ・バーに行っても誰からもナンパされず、一人寂しく帰宅して泣く……というものですよね?
タル:その部分は私の日常生活とは少し異なっているけど、周囲に溶け込むことが出来ず孤立する経験は誰にでもあると思うし、共感をおぼえるわ。私自身もソングライターとして、聴く人が自分の人生と関連づけられる歌詞を書こうとしている。
Photo by Hana Yamamoto
ー”普段あまり音楽というものを聴かない”とのことですが、これまでどんな音楽遍歴を経てきたのですか?
タル:私はオーストラリアのシドニーで育ったけど、親が厳しくて、テレビを見るのもラジオを聴くのも禁止されていた。子供の頃はジミ・ヘンドリックスとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ハービー・ハンコックの3枚しかCDを持っていなかったわ。それでも自分はアートの道に進みたかったし、1人でアメリカに向かうことにした。一気に音楽の絨毯爆撃を受けたわ。ジャズにハマったからニューヨークに来て、ビバップもフュージョンも聴いてみた。その時点ではロックのことはまったく知らなかった。だからオールマン・ブラザーズ・バンドと一緒にやるようになったとき、彼らが何者だかも知らなかったし、ジェフ・ベックも誰だかも判らなかった(苦笑)。
ーそれなのにオーストラリアから単身アメリカに渡るというのも凄いですね。ご両親から反対はありませんでしたか?
タル:心配はしていたけど、反対はしなかったわ。うちの祖父母は現代正統派ユダヤ教を信奉していて、保守的な家庭だったし、両親も私を大学に行かせて、医者か弁護士にしたかったと思う。ミュージシャンは不安定な職業だし、心配だったと思うけど、私は自分の信じる方向に進むしかなかった。私が自分の居場所を見つけて、生活しているのを見て喜んでいるし、応援してくれるわ。
ーアメリカに来て大物ミュージシャンと共演したりして、緊張はしませんでしたか?
タル:あまり緊張はしないわね。そもそも大物ミュージシャンだと知らなかったりするから(笑)。あるときマディソン・スクエア・ガーデンでジェフ・ベックと一緒にプレイして、バックステージで知らない人に「良いプレイだね!」と声をかけられた。「どうも有り難う! あなたのお名前は?」って訊いたら「ミックだよ」って。その場にいた友達がみんな笑っているから「どうしたの?」と言ったら、「ローリング・ストーンズのミック・ジャガーだよ」だって。その後、また知らないおじさんが「やあ! 僕、ブルースっていうんだ」と話しかけてきたから「こんにちは」と握手したら、それがブルース・スプリングスティーンだった。ジャクソン・ブラウンと初めて会ったのもその日で、友達になって、ベンモントのことを紹介してもらったわ。彼らとはボブ・ディランの「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」のカバーをレコーディングしたけど、その曲も実は知らなかった。
ー……それも凄いですね。
タル:ボブ・ディランの曲で知っていたのは「見張り塔からずっと」だけだった。ジミ・ヘンドリックスがやっていたからね。実際のところ、みんなそれを面白がっていたんじゃないかな。彼らの常識だと当然知っていることを、私は知らないんだからね。「ちょっと来い!」ってCDショップのアメーバ・レコーズに連れていかれて、いろいろ買ってくれたわ(笑)。いろんなアーティストの曲をプレイするのは楽しいけど、単に過去を模倣するのではなく、自分の直感に基づいてプレイするようにしているわ。
ープライマスのレス・クレイプールともお友達ですよね。彼とベース・バトルをしたことはありますか?
タル:レスがステージでプレイするのは数回見たことがあるし、朝食を一緒に食べたことがあるわ。あとショーン・レノンが共通の友人ね。彼とすごく親しいというわけではないけど、とても優しい人だわ。というか、私はベース・バトルなんてものには興味がないのよ。一度ヴィクター・ウッテン、オテル・バーブリッジと3人ベースでプレイしたことがあるけど、”バトル”なんて感じではなかった。マーカス・ミラーとも共演したことがあるけど、あくまでジャムの範疇よ。
ーあなたのベース・プレイのファンについてどう考えますか?
タル:私のベース・プレイを気に入ってくれるのはすごく嬉しいし、光栄に思うわ。「ホーンテッド・ラヴ」なんかは基本的にベース・ソロに歌を乗せたものだしね。でもアルバムの曲はどれもソングライターあるいはストーリーテラーとして書いたもので、ベーシストとして書いた曲は基本的にないわ。
ー『ラヴ・リメインズ』には現キング・クリムゾンのジェレミー・ステイシーが参加していますが、いわゆるプログレッシブ・ロックとはどのような意識を持っていますか?
タル:”プログレッシブ・ロック”といってもキング・クリムゾンとピンク・フロイドとイエスとジェネシスはまったく異なっているし、正直これといった意識はしていないわ。ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』は大好きだし、いつか音楽とコンセプト、ヴィジュアルが一体となったコンセプト・アルバムというものに挑戦してみたい。初めてキング・クリムゾンを聴かせてくれたのはトゥールのダニー・キャリーだった。彼の家に行ったとき、午前4時ぐらいに大音量で聴いたのを覚えている。どのアルバムだったか、忘れてしまったけどね。その後、キング・クリムゾンのライブにも行ったわ。
ープログレッシブ・ロックのミュージシャンと共演したことはありますか?
タル:デヴィッド・ギルモアがロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでやったライブに出たことがあるし、トレヴァー・ラビンのアルバム『Jacalanda』(2012年)でプレイしたこともあった。ガスリー・ゴヴァンやヴィニー・カリウタと一緒にやったことがあるけど、それが”プログレッシブ・ロック”かは判らない。
ー音楽をやっていて、”女性であること”を意識しますか?
タル:音楽をやっているときは自分の性別や年齢、国籍、人種などはまったく考えていない。もちろん生まれ育った文化などは自分の音楽に反映されているだろうけど、大事なのはソウルよ。共演するミュージシャンも自分と何歳離れているか、どこの出身かなんて考えることはない。ソウル・トゥ・ソウルの交流が何よりも大事ね。
ー2007年にあなたを迎えてから、ジェフ・ベックが女性シンガーやミュージシャンと共演する機会が増えました。ロンダ・スミスやカーメン・ヴァンデンバーグが良い例ですが、何故女性重視になったのでしょうか?
タル:私の前にジェニファー・バッテンもいたけどね。何故女性ミュージシャンと組むことが増えたのか、ジェフと直接話したことはない。ただ、彼が一緒にやってきたミュージシャンは男女問わず一流ばかりよ。それに私がジェフと一緒にやるようになったのは、私が女性だからではなかった。元々はピノ・パラディーノがクロスローズ・フェスティバルでベースを弾く筈だったけど、どうしても参加出来なくて、私に声がかかったのよ。ジェフは性別でミュージシャンを選んだりしないのだと思う。
ー今後はソロ・アーティストとしての活動をメインにしていきますか? ベテラン・アーティストのバックを務めたりもするでしょうか?
タル:最近、コメディアンでブロードキャスターのマーク・マロンとの共演曲でプレイして、プロデュースしたわ。もちろんセッション・プレイヤーとしてベースを弾くのも楽しいし、これからも続けるだろうけど、それよりもソングライターとしてキャリアを築いていきたい。他のミュージシャンと一緒に曲を書いたり、プロデュースしたりも興味があるし、自分の音楽をオーケストラと共演してみたいわね。「ホーンテッド・ラヴ」にオーケストラをフィーチャー出来たのは嬉しかった。いつかアルバム1枚をオーケストラと共演してみたい。
ージェフ・ベックの『エモーション・アンド・コモーション』(2010年)でもオーケストラとの共演が実現していましたね。
タル:あのアルバムでは私はベーシック・トラックを録音して、その後にオーケストラをオーバーダビングしていたから、あまり”共演”という印象がないのよね。スタジオ・ライブみたいな形でオーケストラと共演するのが、私の理想よ。
ー近年ではフルレンス・アルバムではなく1曲単位で発表していくアーティストも増えてきましたが、あなた自身は”アルバム”という単位にこだわりはありますか?
タル:「コーナー・ペインター」「アンダー・ザ・サン」はアルバムの前に1曲単位で発表したけれど、元々アルバムの一部として書いた曲だった。今後はどうなるか判らないけど、アルバムという単位で起承転結があるのが好きなのよ。ピンク・フロイド『ザ・ウォール』みたいにね。もしかして毎月1曲ずつデジタルで発表して、12カ月したらそれらをまとめてLPで出しても面白いかも知れない。
ー新しいアルバムはいつ頃聴けそうでしょうか?
タル:『ラヴ・リメインズ』の曲はもう何年も前に書いたものだし、既に新曲のインスピレーションが幾つもある。早く次のアルバムを作りたいわ。次のアルバムまでもう10年待たせることはないから、楽しみにしていてね!
Photo by Hana Yamamoto
『ラヴ・リメインズ』、そして今回の日本公演ではその路線を受け継いでいる。アーティストとしてのポリシーやさまざまな共演、今後の彼女が進んでいく道などについて、タルが雄弁に語ってくれた。
ー『ラヴ・リメインズ』ではシンガー・ソングライターとしてのあなたの魅力を聴くことが出来ますが、自分で歌うことはいつから意識していたのですか?
タル:子供の頃、音楽に目覚めたときからよ。歌うのが好きだった。ただ、14歳のときに曲を書くようになって、しばらくギターに専念していた。15歳のとき、アメリカに引っ越したときはギターを弾いていたけど、半年ぐらいしてベースという楽器の魅力を発見して、ベースで”音楽の言語”を話すことに夢中になった。それで気がついたらオールマン・ブラザーズ・バンドと一緒にやるようになって、それからジェフ・ベック、ハービー・ハンコック、プリンス……そうして年月が経って、ある日ふと気がついたのよ。自分がやるべきこと、やりたいことは何だろう?……ってね。もちろん、いろんなミュージシャンと共演するのは楽しいし、スキルを上げることが出来たけど、本当にやりたいのは自分の音楽をやることだと気付いた。私はボーカルのレッスンとかは受けたことがないし、”正しい”歌い方は知らない。でも、自分が書いた歌詞を他人が歌うよりも、うまくなくても自分自身で歌った方がフィーリングが伝わると思ったのよ。
ー影響を受けた、あるいは目標とするシンガー・ソングライターはいますか?
タル:たくさんいるわ。
ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ポール・サイモン、エリオット・スミス……ジェフ・バックリィは一番好きなボーカリストね。彼らの中で生きている人と共演出来たら凄いと思うけど、それが究極のゴールだとは考えていない。私は音楽を書いてプレイするのが好きだし、彼らのような曲を自分で書くことが出来るようになることが目標ね。
ー10年前にあなたにインタビューしたときは、スティーヴィー・ワンダーと共演することが目標だと言っていましたよ。
タル:そんなこと言った(笑)? スティーヴィーとは何度か会う機会があったけど、まだ共演はしていないのよ。彼と一緒にやってみたいけど、それが究極の目標かというと、やはりそうでもはないと思う。それは自分の音楽で達成したいわ。
ージャクソン・ブラウンが”エグゼクティブ・プロデューサー”としてクレジットされていますが、彼の役割はどのようなものでしたか?
タル:ジャクソンは『ラヴ・リメインズ』の初期段階から関わっていたわ。父親がジャクソンの音楽を好きだと言っていたから、名前は知っていた。曲は聴いたことがなかったけど(笑)。でも彼と知り合って、音楽・歌詞の両面で多大な影響を受けたわ。彼の役割は”コンサルタント”に近いものだった。
新鮮な耳で曲を聴いてくれたし、いろいろ助言してくれたりね。彼はあまり具体的に「ここをこうした方が良い」とは言わない。ちょっとしたヒントは出してくれるけど、実際どうするべきかは、自分で発見しなければならないのよ。日々の作業を一緒にやったプロデューサーはポール・ステイシーだった。
ーポール・ステイシーや『ラヴ・リメインズ』のレコーディング・メンバーは、どのようにして集めたのですか?
タル:集めたというより、自然に集まった感じね。『ラヴ・リメインズ』を作ることが出来たのは、スシのおかげなのよ。スシに感謝しなきゃね(笑)! ベンモント・テンチ(トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのキーボード奏者)を紹介してくれたのはジャクソンだった。2013年のことで、ロサンゼルスでお気に入りのスシ・バーにベンモントと行ったのよ。そのときベンモントが「友達のジェレミー・ステイシーも呼んでいい?」って言ってきた。そしたらジェレミーも「双子の兄弟のポールも呼んでいい?」と言ってきたわ。4人でスシを食べた後、私の車のカーステレオで新曲のデモを聴いてもらった。みんな気に入ってくれたんで、リハーサル・ルームを押さえて、一緒にやってみることにしたわ。
ポールがエンジニアとプロデュースをして、私がバリトン・ギターを弾いて、ジェレミーがドラムスって感じでね。そのときベンモントはスケジュールの関係で来れなかった。ジャムをやって、このラインアップでアルバムを作りたい!と思ったことで、それから数週間をかけて数曲を書いてみた。そうしてある日、またベンモントと同じスシ・バーに行ったら、隣のテーブルにザック・レイがいた。彼とも友達になって、アルバムでキーボードを弾いてもらうことになったわ。だから同じスシ・バーでバンドが結成されたのよ(笑)。
ーポールとジェレミーのステイシー兄弟との作業はどのようなものでしたか?
タル:彼らはまったく違っているけど、共通点も多くて、スタジオで会話しているのを見ていて飽きなかったわ。よくスタジオで口論していたけど、それは兄弟だからで、2人とも多彩でどんな音楽にも対応出来る素晴らしいミュージシャンよ。ポールはナチュラルなサウンドを志向して、オーバーダビングは最小限に、ほぼスタジオ・ライブ形式で録ってくれた。今の時代、幾らでも手直しを出来るけど、ポールはミスがあっても「それが人間らしさなんだ」と、そのままにしていたわ。
Photo by Hana Yamamoto
ー『ラヴ・リメインズ』をレコーディングしたのはいつですか?
タル:「コーナー・ペインター」は2013年、他の曲は2014年に録った。それに2015年、ストリングスや管楽器を入れて、ミックスしたわ。
ほぼ完成したトラックをピート・タウンゼントに聴いてもらって、それでザ・フーのオープニング・アクトとして2016年のツアーに参加することになった。でもその時期、短期間のうちに尊敬する友人が相次いで亡くなったのよ。プリンス、レナード・コーエン、アラン・ホールズワース、トム・ペティ……すごく喪失感のある時期だった。私自身の”別れ”というものに対する考えが変わったと思う。それで完成したのが『ラヴ・リメインズ』だった。このタイトルはかなり前に考えたもので、”愛は消えない”というのと”愛の亡骸”というダブル・ミーニングなのよ。大勢の友人や知人を失ったことで、さらに深い意味を持つタイトルになったと思う。
ートム・ペティやアラン・ホールズワースとは親しかったのですか?
タル:すごく親しかったわけではないけど、ソングライティングについて話したり、「今度、一緒にジャムをやろう」と言ってくれた。トムのホーム・スタジオで曲作りをする話もあったけど、実現しなかった。アランともいつか一緒に何かやってみようと話していた。彼がアルコールの問題を抱えていることは知っていたけど、私に対してはとても紳士的だったし、良い思い出しかないわ。
タルのキャリアを振り返るドキュメンタリー動画(英語)には、ジェフ・ベック、ドン・ウォズ、ジャクソン・ブラウン、トッド・ラングレン、ピート・タウンゼントなど錚々たる面々が登場。
ーアルバム収録曲の「ハード・トゥ・ビー・アローン」はジミ・ヘンドリックスやドアーズなどの60年代のダークなサイケデリアを彷彿とさせますね。
タル:うん、音楽を聴くようになってからずっとジミ・ヘンドリックスは好きだったし、影響を受けたと思う。ドアーズはあまりよく知らないし、あまり影響はないんじゃないかな。「ハード・トゥ・ビー・アローン」はアルバムで最初の方に書いた曲で、孤立することで人間が感じる痛みと寂しさを歌っている。大勢の人がいる部屋でも、孤独を感じることがあるわよね。このタイトルも”一人でいることは辛い”というのと、”一人になることは難しい”というダブル・ミーニングなのよ。
ーダブル・ミーニングや言葉遊びがお好きなのですね。
タル:そうね、普段あまり音楽というものを聴かないし、それよりもコメディのスポークン・ワードを聴くことが多い。デイヴ・シャペルは”コメディ界のマイルス・デイヴィス”的な存在よ。ビル・バーが”コメディ界のミック・ジャガー”かな。だから言葉の使い方に興味を持つようになったのかも知れない。それに普段は哲学や神経科学の講義のトラックを聴いたりしているわ。
時間に余裕があるときは、いろんなことを学びたい。
ー音楽を聴き始めた頃、トゥールやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを愛聴していたそうですが、現在でもヘヴィなロックを聴くことはありますか?
タル:レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『イーヴィル・エンパイア』は今でも聴くし、本当に凄いアルバムだと思う。トゥールからも影響を受けた。アメリカに来て、最初にライブを見たのがトゥールだったわ。ドラマーのダニー・キャリーとは友達で、パーティーとかにも顔を出してくれる。彼らの新しいアルバム(『フィアー・イノキュラム』)はまだ聴いていないのよ。早く時間を見つけて聴きたいんだけどね。トゥールは妥協のない音楽をやって、それでアリーナ規模の会場でライブをやる支持を得ているのは素晴らしいと思う。ダニーもそうだけど、トゥールには奇妙なユーモアがあるのよね。それが面白いんだけど(笑)。
ーあなたは90年代の音楽を聴いて育って、プロとしては60年代あるいは70年代から活動するアーティストと多く共演していますが、自分のライブでは80年代イギリスを代表するバンドのひとつ、ザ・スミスの「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」をプレイしているというのが興味深いですね。
タル:ザ・スミスのことはポールとジェレミーのステイシー兄弟から教えてもらったんだっけな? 短期間のあいだにあまりに多くの音楽に晒されたから、覚えていないのよ。「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」をカバーしたのは、歌詞が自分と関連づけられるものだったからだった。ステージに上がったり、人前に出る仕事をしていると、周囲の人たちに違った風に見られる。でも私だって普通の人間なのよ。”私は人間、どうしても愛されたい/他のみんなのように”という一節がハートを直撃したわ。
ー「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」の歌詞は、ゲイの主人公がゲイ・バーに行っても誰からもナンパされず、一人寂しく帰宅して泣く……というものですよね?
タル:その部分は私の日常生活とは少し異なっているけど、周囲に溶け込むことが出来ず孤立する経験は誰にでもあると思うし、共感をおぼえるわ。私自身もソングライターとして、聴く人が自分の人生と関連づけられる歌詞を書こうとしている。
Photo by Hana Yamamoto
ー”普段あまり音楽というものを聴かない”とのことですが、これまでどんな音楽遍歴を経てきたのですか?
タル:私はオーストラリアのシドニーで育ったけど、親が厳しくて、テレビを見るのもラジオを聴くのも禁止されていた。子供の頃はジミ・ヘンドリックスとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ハービー・ハンコックの3枚しかCDを持っていなかったわ。それでも自分はアートの道に進みたかったし、1人でアメリカに向かうことにした。一気に音楽の絨毯爆撃を受けたわ。ジャズにハマったからニューヨークに来て、ビバップもフュージョンも聴いてみた。その時点ではロックのことはまったく知らなかった。だからオールマン・ブラザーズ・バンドと一緒にやるようになったとき、彼らが何者だかも知らなかったし、ジェフ・ベックも誰だかも判らなかった(苦笑)。
ーそれなのにオーストラリアから単身アメリカに渡るというのも凄いですね。ご両親から反対はありませんでしたか?
タル:心配はしていたけど、反対はしなかったわ。うちの祖父母は現代正統派ユダヤ教を信奉していて、保守的な家庭だったし、両親も私を大学に行かせて、医者か弁護士にしたかったと思う。ミュージシャンは不安定な職業だし、心配だったと思うけど、私は自分の信じる方向に進むしかなかった。私が自分の居場所を見つけて、生活しているのを見て喜んでいるし、応援してくれるわ。
ーアメリカに来て大物ミュージシャンと共演したりして、緊張はしませんでしたか?
タル:あまり緊張はしないわね。そもそも大物ミュージシャンだと知らなかったりするから(笑)。あるときマディソン・スクエア・ガーデンでジェフ・ベックと一緒にプレイして、バックステージで知らない人に「良いプレイだね!」と声をかけられた。「どうも有り難う! あなたのお名前は?」って訊いたら「ミックだよ」って。その場にいた友達がみんな笑っているから「どうしたの?」と言ったら、「ローリング・ストーンズのミック・ジャガーだよ」だって。その後、また知らないおじさんが「やあ! 僕、ブルースっていうんだ」と話しかけてきたから「こんにちは」と握手したら、それがブルース・スプリングスティーンだった。ジャクソン・ブラウンと初めて会ったのもその日で、友達になって、ベンモントのことを紹介してもらったわ。彼らとはボブ・ディランの「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」のカバーをレコーディングしたけど、その曲も実は知らなかった。
ー……それも凄いですね。
タル:ボブ・ディランの曲で知っていたのは「見張り塔からずっと」だけだった。ジミ・ヘンドリックスがやっていたからね。実際のところ、みんなそれを面白がっていたんじゃないかな。彼らの常識だと当然知っていることを、私は知らないんだからね。「ちょっと来い!」ってCDショップのアメーバ・レコーズに連れていかれて、いろいろ買ってくれたわ(笑)。いろんなアーティストの曲をプレイするのは楽しいけど、単に過去を模倣するのではなく、自分の直感に基づいてプレイするようにしているわ。
ープライマスのレス・クレイプールともお友達ですよね。彼とベース・バトルをしたことはありますか?
タル:レスがステージでプレイするのは数回見たことがあるし、朝食を一緒に食べたことがあるわ。あとショーン・レノンが共通の友人ね。彼とすごく親しいというわけではないけど、とても優しい人だわ。というか、私はベース・バトルなんてものには興味がないのよ。一度ヴィクター・ウッテン、オテル・バーブリッジと3人ベースでプレイしたことがあるけど、”バトル”なんて感じではなかった。マーカス・ミラーとも共演したことがあるけど、あくまでジャムの範疇よ。
ーあなたのベース・プレイのファンについてどう考えますか?
タル:私のベース・プレイを気に入ってくれるのはすごく嬉しいし、光栄に思うわ。「ホーンテッド・ラヴ」なんかは基本的にベース・ソロに歌を乗せたものだしね。でもアルバムの曲はどれもソングライターあるいはストーリーテラーとして書いたもので、ベーシストとして書いた曲は基本的にないわ。
ー『ラヴ・リメインズ』には現キング・クリムゾンのジェレミー・ステイシーが参加していますが、いわゆるプログレッシブ・ロックとはどのような意識を持っていますか?
タル:”プログレッシブ・ロック”といってもキング・クリムゾンとピンク・フロイドとイエスとジェネシスはまったく異なっているし、正直これといった意識はしていないわ。ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』は大好きだし、いつか音楽とコンセプト、ヴィジュアルが一体となったコンセプト・アルバムというものに挑戦してみたい。初めてキング・クリムゾンを聴かせてくれたのはトゥールのダニー・キャリーだった。彼の家に行ったとき、午前4時ぐらいに大音量で聴いたのを覚えている。どのアルバムだったか、忘れてしまったけどね。その後、キング・クリムゾンのライブにも行ったわ。
ープログレッシブ・ロックのミュージシャンと共演したことはありますか?
タル:デヴィッド・ギルモアがロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでやったライブに出たことがあるし、トレヴァー・ラビンのアルバム『Jacalanda』(2012年)でプレイしたこともあった。ガスリー・ゴヴァンやヴィニー・カリウタと一緒にやったことがあるけど、それが”プログレッシブ・ロック”かは判らない。
ー音楽をやっていて、”女性であること”を意識しますか?
タル:音楽をやっているときは自分の性別や年齢、国籍、人種などはまったく考えていない。もちろん生まれ育った文化などは自分の音楽に反映されているだろうけど、大事なのはソウルよ。共演するミュージシャンも自分と何歳離れているか、どこの出身かなんて考えることはない。ソウル・トゥ・ソウルの交流が何よりも大事ね。
ー2007年にあなたを迎えてから、ジェフ・ベックが女性シンガーやミュージシャンと共演する機会が増えました。ロンダ・スミスやカーメン・ヴァンデンバーグが良い例ですが、何故女性重視になったのでしょうか?
タル:私の前にジェニファー・バッテンもいたけどね。何故女性ミュージシャンと組むことが増えたのか、ジェフと直接話したことはない。ただ、彼が一緒にやってきたミュージシャンは男女問わず一流ばかりよ。それに私がジェフと一緒にやるようになったのは、私が女性だからではなかった。元々はピノ・パラディーノがクロスローズ・フェスティバルでベースを弾く筈だったけど、どうしても参加出来なくて、私に声がかかったのよ。ジェフは性別でミュージシャンを選んだりしないのだと思う。
ー今後はソロ・アーティストとしての活動をメインにしていきますか? ベテラン・アーティストのバックを務めたりもするでしょうか?
タル:最近、コメディアンでブロードキャスターのマーク・マロンとの共演曲でプレイして、プロデュースしたわ。もちろんセッション・プレイヤーとしてベースを弾くのも楽しいし、これからも続けるだろうけど、それよりもソングライターとしてキャリアを築いていきたい。他のミュージシャンと一緒に曲を書いたり、プロデュースしたりも興味があるし、自分の音楽をオーケストラと共演してみたいわね。「ホーンテッド・ラヴ」にオーケストラをフィーチャー出来たのは嬉しかった。いつかアルバム1枚をオーケストラと共演してみたい。
ージェフ・ベックの『エモーション・アンド・コモーション』(2010年)でもオーケストラとの共演が実現していましたね。
タル:あのアルバムでは私はベーシック・トラックを録音して、その後にオーケストラをオーバーダビングしていたから、あまり”共演”という印象がないのよね。スタジオ・ライブみたいな形でオーケストラと共演するのが、私の理想よ。
ー近年ではフルレンス・アルバムではなく1曲単位で発表していくアーティストも増えてきましたが、あなた自身は”アルバム”という単位にこだわりはありますか?
タル:「コーナー・ペインター」「アンダー・ザ・サン」はアルバムの前に1曲単位で発表したけれど、元々アルバムの一部として書いた曲だった。今後はどうなるか判らないけど、アルバムという単位で起承転結があるのが好きなのよ。ピンク・フロイド『ザ・ウォール』みたいにね。もしかして毎月1曲ずつデジタルで発表して、12カ月したらそれらをまとめてLPで出しても面白いかも知れない。
ー新しいアルバムはいつ頃聴けそうでしょうか?
タル:『ラヴ・リメインズ』の曲はもう何年も前に書いたものだし、既に新曲のインスピレーションが幾つもある。早く次のアルバムを作りたいわ。次のアルバムまでもう10年待たせることはないから、楽しみにしていてね!
Photo by Hana Yamamoto
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