田家秀樹(以下、田家):こんばんは、「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは岡村靖幸さんの「少年サタデー」。4月1日に発売の最新アルバム『操』の収録曲です。テレビ番組『王様のブランチ』の主題歌でもありました。今月の前テーマはこの曲です。
田家:今月2020年4月の特集は近藤雅信。史上最強A&Rプロデューサー。今はこの岡村靖幸さんの事務所、V4inc.の社長さんであります。近藤さんはアルファレコードを皮切りに東芝EMIの制作部長、ワーナーミュージック常務取締役、ユニバーサルミュージックのレーベルヘッド、そういうキャリアの中で岡村靖幸さんに出会って今の会社を立ち上げました。1957年生まれ。
近藤雅信(以下、近藤):こんばんは。よろしくお願いします。
田家:1週目はアルファレコード時代、2週目は東芝EMI時代の話を伺いましたが、今週はその先、ワーナーからユニバーサル時代ということになりますね。今週も近藤さんに曲を選んでいただいたんですが、1曲目が今まで出て来なかったユーミンだった。1985年のアルバム『DA・DI・DA』に収録されていた「青春のリグレット」ですね。これは1984年に麗美さんに提供した曲のセルフカバーです。東芝時代は抱えているアーティストが両手では足りないくらいの数を担当されていたわけですね。
近藤:はみ出しちゃいましたね。
田家:売っていいんですか(笑)。
近藤:「どうしてですか?」って訊いたら、「だって品質がいいんだからどういう風に売ってもいいのよ」って。その言葉が僕にとってはその後の仕事をやる上でも印象的で。だからと言って何をやってもいいわけじゃないんですけど、それくらいの自信がないといけないっていうことをユーミンに教えられましたね。
田家:なるほどね、良いものだからどんな風に売ってもいいんだと。
近藤:当時はプロモーションで1日5,6誌の取材を受けるんですよ。
田家:(笑)。同じテーマでも少しづつニュアンスを変えて話をするっていうのは、そういうキャリアの人がうまいですよね。
近藤:ですし、言われてみればユーミンのファンは色々な雑誌のインタビューを読むわけで、答えが違う方が楽しめるじゃないですか。キャンディは一つの味じゃないっていうことをユーミンが実践していたので、それはすごく勉強になりましたね。
田家:それがスーパースターの一つの凄みなんでしょうね。
近藤:他にも色々なエピソードがあるんですが、ユーミンのエピソードで言うと、岡村(靖幸)君に関わる話なんですけど、5,6年前にユーミンのコンサートに岡村くんを連れて行ったんですよ。で、「ユーミンご無沙汰してます、今事務所をやっているんですけど、そこでやっている岡村靖幸です」って紹介したんですよ。そしたら、またニヤッとして「お化け屋敷からお化けが出ないないよね?」って言ったんですよ(笑)。
田家:二人ともお化けだと(笑)。流石ですね。お聴きだいたのは、松任谷由実で「青春のリグレット」でした。
田家:続いて2曲目。小沢健二さんで「強い気持ち・強い愛」。先週「今夜はブギー・バック」を流しましたが今週はこれです。1995年2月発売、「それはちょっと」との両A面シングルでした。
近藤:これは「今夜はブギー・バック」ととても関わりがありまして。ある日、フジパシフィックの朝妻一郎さんからお電話をいただいたんですよ。筒美京平さんが「今夜はブギー・バック」にとても興味を持ってんだよね、「今夜はブギー・バック」を作った人に会ってみたいと言ってて、近藤くん会ってみない? って言われたんです。で、筒美京平さんは僕もとても好きな曲いっぱいあるし、是非お願いしますって言ってお会いしたのがきっかけなんです。
田家:近藤さんも初めてお会いしたんですか?
近藤:もちろんです。それまでお会いしたこともないし筒美京平さんは表に出てこない人だから、すごい光栄に思って。でも初対面で僕は大失敗しちゃったんですよ。何を失敗したかと言うと、「筒美さんの曲は僕もすごく好きで影響も受けています」と。「特に好きなのは郷ひろみさんの「ハリウッド・スキャンダル」という曲なんですよ」って言ったんです。そしたら一瞬沈黙があって、筒美京平さんが「あれは僕の曲じゃありません」と(笑)。僕は顔面蒼白となり、沈黙が流れて。「あの曲はね、都倉(俊一)くんの曲なんですよ。でもあの曲を僕って思う人はとても多いから大丈夫ですよ」って言ってくださって。
田家:優しいお方ですね。
近藤:そこからお付き合いが始まって、毎月食事に誘ってくださったんですよ。
田家:小沢さんにその話をする時に、彼は嫌って言うかもしれないということも踏まえながら訊くんですか?
近藤:嫌だってことは踏まえながら訊かないですね。嫌だって言っても言わなくてもどちらでも良いというか。とりあえず僕は球を投げてみると。この人に会わせたら面白いだろうなっていうイメージは湧いていたので。もちろん本人が嫌だって言えば無しになるでしょうし、やりたいって言えば良いものになるんだろうなっていう。
田家:なるほどね。とりあえず自分がいいなって思ったことは投げてみると。それがどう返ってくるかはその後の問題だと。
近藤:そうですね。色々な関わり方がある。ミュージシャンによっては自分の中で枠を嵌めていくタイプ、フィル・スペクターみたいなやり方もあれば、アーティストが持っている物の中のパーツと誰かのエッセンスを結びつけることもあるし、その人がやりたい物を120%形にしていくっていう色々なやり方があると思うんですよ。
田家:そういう話を頭に置きながら改めて聴いていただきたいと思います。小沢健二さんで「強い気持ち・強い愛」。先ほど、フィル・スペクターのお話も出ましたが、洋楽の色々なプロデューサーの仕事の仕方ということは参考になったり勉強されたりもしたんでしょうか?
近藤:そうですね、ミュージシャンの周りの人のことには今でもすごく興味がありますし、最近はグリン・ジョーンズ、デイヴィッド・フォスター、クインシー・ジョーンズとか色々なプロデューサーの自伝本も出ているじゃないですか。そういう人たちの自伝本を読んでみると興味深いこともたくさん書いてあるし、スタジオで作っている音と、ちょっとスタジオから離れてA&Rが聴く行為ってちょっと聞こえ方が違ったりするのは、どこでもあることで。どういう風にしたいのかっていうのも関わる人によって違ってくるんだなっていうのは今でも思いますね。
田家:つまり、A&Rっていう仕事のポジションややり方が、アメリカに先例があると。
近藤:基本は、アメリカとイギリスですね。ポピュラー・ミュージックって20世紀に入って、さらに変わってきたものではありますけど、いずれにせよある種のお手本だった国だと思います。
田家:日本だとそういうお手本になる人はいない?
近藤:日本でもいっぱいいますよ。プロデューサーでは、ジャニー喜多川さんとかライジングプロダクションの平哲夫さんとか、ソニーの須藤晃さんとか、エピックの小坂洋二さんとか、ビクターの高垣健さんとか、ポニーキャニオンの渡辺有三さんとか、他にもたくさんいますね。
田家:日本でもそういう人たちがいたということを番組をお聞きのみなさんも念頭に置いていただけると。やがてそういう人たちの特集があるかもしれません。お聞きいただきましたのは1995年のシングル『強い気持ち・強い愛』でした。
田家:続いて3曲目。コブクロで、2001年3月発売になった「YELL~エール~」。この曲はワーナーミュージックからリリリースになりました。
近藤:この前ミュージックステーションに、岡村靖幸さらにライムスターの「マクガフィン」で出演させてもらった時に、コブクロの二人と15,6年ぶりくらいに会ったんですよ。その時のMステの特集が卒業記念ということで「YELL~エール~」を。
田家:観ましたよ。
近藤:すごい久しぶりに会って、リハ中に僕がスタジオ入ったらたまたま二人がいて。本当久しぶりだねってお互いすごい熱いものがありました。今日「YELL~エール~」を聴けて嬉しいよって話しましたね。
田家:近藤さんは東芝EMIを離れてしばらくロンドンに行っていましたね。
近藤:1年くらい行ってましたね。ロンドンではヴァージン・レコードっていうところに行ったんですけど、その前に年に4回くらい(忌野)清志郎さんとか布袋(寅泰)くんのレコーディングで行く機会があって。行く度にレコードビジネスのオリジナルというものにタッチしたいなって思うようになっていったんですね。やっぱ、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンだなと思っていましたね。その中でもロンドンが自分の肌に合うなと思って、ヴァージン・レコードには用もなく結構行っていたんですよ。行く度に、向こうのA&Rのヘッド兼マネージングディレクターで今はCapitalの社長をやっているアシュレイ・ニュートンっていう人がいて、その人のところにブロークンイングリッシュで話をしに行っていて。俺を置いてくれないか、1年間くらいここにいたいんだよねっていう話をしていたんです。そしたら東芝EMIの社長にその話が伝わって、そんなに行きたいなら一年間行ってきなさいということで行かせてもらったんですよ。
田家:ヴァージンにデスクがあって。
近藤:ヴァージンのA&Rって一人一部屋あるんですけど、そこで一部屋あてがわれて1年間いましたね。
田家:何をされていたんですか?
近藤:英語はそんなに喋れないし、日本人は僕一人だったんです。人事部長に、あなたの英語はひどいから語学学校に行きなさいって言われて、最初の頃は午前中は英会話学校に通って、午後は会社で会議に出たりしてるんですけど、全く何言ってるか分かんないんですよ。でも、へこたれずに会議に出ていると、少しづつ分かってきて。インターナショナルの会議に行くと、例えば日本なら関西地区は何枚、東北地区は何枚ってデイリーで数字が出てくるんですけど、イギリスだと全世界の数字が出てくるわけですよ。ノルウェーで何枚、アメリカで何枚とか出ていてすげえなと思って。
田家:スケールが違いますね。
近藤:それで会議に出ている人は所属しているアーティストのプロモーションで、各国とコンタクトを取るんですよね。A&R はA&Rでミーティングがあるんですけど、それを見て学んだりもしたし。ちょうど日本が注目を浴び始めていた頃でエヴリシング・バット・ザ・ガールがアルバムジャケットに日本語を使ってみたりしたし。僕が行ったのは1996,97年くらいなんですけど、ドラムンベースがすごい流行り始めた時期で。ヴァージン所属のフォーテックっていうアーティストが、宮本武蔵の二天一流からとった「二天一流」っていうトラックを作ったんですよ、ドラムンベースで。
田家:へえ。
近藤:日本でサムライに出てもらってPVを作りたいって言われて。それをコーディネーションしたり、当時スパイス・ガールズがちょうどデビューする時期だったので、彼女らは日本向けのプロダクトだからどの曲がシングルにいいと思う? っていう相談に乗ったりしていましたね。
田家:そして、日本に帰ってきて東芝EMIからワーナーに行かれるわけですよね。その話はこの曲の後に伺おうと思います。近藤さんが選ばれた3曲目。2001年のコブクロのデビュー曲「YELL~エール~」です。
田家:この曲は最初どういう風にお聴きになったんですか?
近藤:デビュー曲なんですけど、インディーズ時代にはなくて。その頃から彼らは「桜」とかいい曲をいっぱい持っていましたけど、この曲は契約してからできたものです。例えば、ワーナー・ブラザーズにレオナルド・ワーロンカーっていう敬愛しているプロデューサーがいて。その人はリトル・フィート、ランディ・ニューマン、ライ・クーダーなどをやりながらも、フリートウッド・マックとかロッド・スチュワートなどメインストリームの音楽をやっていてバランスの取れた人なんです。僕にとってはコブクロっていうプロダクトはフリートウッド・マックみたいなきちんとした作品を作るアーティストなんですね。
田家:路上は観に行かれたんですか?
近藤:僕が行った時は、既にZeppがいっぱいでしたね。知り合いに紹介されて見に行ったんですけど、大阪のZeppがいっぱいで。えーって言うくらいステージもきちんとしていたし、お客さんとのコミュニケーション能力も、作品制作能力も高くておしゃべりも面白い。僕らは彼らに何かそんな大きなことをしたわけじゃなくて、笹路(正徳)さんっていうプロデューサーを提案したくらいで。黒田君の表現力の高さと、それと小渕くんがすごい制作能力の高い人でしたね。
田家:で、狙ったような成果は出たというわけですね。お聞きいただいたのは3曲目、コブクロ2001年のデビュー曲「YELL~エール~」でした。
田家:この振り幅ですよ。近藤さんが選ばれた4曲目、坂本龍一さんで「energy flow」。1999年5月のマキシシングル『ウラBTTB』に収録の曲ですね。第一三共のCMソングで、シングルチャート2週連続1位だった。インストゥルメンタルの曲がチャート1位はこの曲が史上初めてだったという曲であります。
近藤:僕が関わったシングルで最も売れたのがこの曲なんですよ。これは当時180万枚くらい売れていますから。
田家:10週間連続でトップ10に入っていたんですよね。
近藤:僕はそんなにヒットシングルが多いタイプじゃないですからね。
田家:スタンダードは多いですよね。
近藤:そうなんですよー(笑)。一番売れたシングルですね。
田家:『BTTB』は移籍第一弾で、移籍の橋渡しをしたのはどなただったんですか?
近藤:移籍が実現したのは、当時の事務所の社長だった岡部(良夫)さんとの会話からですね。
田家:近藤さんと岡部さんが?
近藤:ええ、僕もとってもやりたいと思っていましたし。
田家:それは誘ったに近い?
近藤:そうですね、強引にお願いした感じですね。アルファ時代から敬愛している方ですし、『BTTB』という作品を作れたのは、その後の作品(「energy Flow」)に繋がっていきましたね。当時、マネージャーの方と、ちょっとした茶飲み話の時に、「次はどんなアルバムがいいですか?」って訊いたんですよ。そしたらその方が「坂本のファンは坂本のピアノが好きな人が多いから、ピアノの教則本のようなレコードが良いと思う」って言ったんですよ。そこで「まさにそうだな!」って思って。僕はそういう時にかなり直感的に反応するので、そこから始まったのが『BTTB』ですね。
田家:バック・トゥ・ザ・ベーシック。それでは改めて、坂本龍一さんで「energy flow」。
田家:何がそこまでのヒットにつながったと思ってらっしゃいますか?
近藤:…全く分かりません。すごく良い曲だなと思いますけけど。どういう風に売れていくのか見える作品と見えない作品がありますけど、「energy flow」が180万枚行くっていうのを分かる人がいるんでしょうか?っていう。
田家:結果から聴くと、癒し系のメロディだとか、坂本さんの最もポピュラーな面が出たんではないかっていう分析はできるんでしょうけど、本人はこの時どう思われていたんでしょう? その話はされました?
近藤:不思議だなって感じだと思いますよ。ずっと一緒にいたんですけど、オリコン一位でしたとか報告もしていましたし、本人も喜んでいたと思います。教授も僕も不思議だねっていう感じでした。嬉しいけど不思議っていう。
田家:坂本さんにとっては、この曲はそんなにハードルが高い曲ではないんでしょうか?
近藤:なんていうんでしょう。自然とできたメロディですし細工も何もないですよね。そこが逆に良かったと思います。
田家:続いては5曲目。2007年5月に発売の鬼束ちひろさんで「MAGICAL WORLD」。シングル『everyhome』のカップリングです。この曲を選ばれた理由は?
近藤:単純に大好きな曲ですね。
田家:これはメーカーがユニバーサル・ミュージックですね。
近藤:会社がユニバーサル・ミュージックに変わってから色々なアーティストと仕事させていただきましたが、鬼束ちひろちゃんは特に印象に残る一人で。このアルバム『LAS VEGAS』は僕もどっぷりスタジオに入って、ディレクションした作品なので。
田家:4年10カ月ぶりの作品でしたね。
近藤:すごく意志の強いアルバムですね、この前に移籍してシングルを1枚出したんですけど彼女のコンディションが悪くて雲隠れしていた時期なんです。僕はレーベルヘッドとして関わったんですけど、復活しようっていう時期に僕がダイレクトにやろうと思ってコンタクト取って始めたんですね。マンツーマンで励ましたりしながら10数曲作って。彼女の場合は、最初のプロデューサーが、僕が東芝時代に一緒に仕事していた土屋くんっていう人で。制作スタイルが、デモの時点でそれぞれの曲の歌詞を完全に作るんです、2番3番まで。10数曲持ってくる時点でデモ(歌詞)が全部完成していた。これをどういう形にしようかなという時に、この叙情感は小林武史さんしかないな、と思って。彼女にも訊いてみたら「いいですね!」って始まって完成した作品なので、とても思い出深いですね。
田家:小林武史さんがプロデュースしている話が耳に入った時に、小林さんがやりたいって言ったのか、もしくは鬼束さんが小林さんを指名したのかなと思ったんですけど、近藤さんだった。これまで関わったプロデューサーの中で、小林さんはどういうタイプの方になりますか?
近藤:うーん。前々回くらいにデイヴィット・フォスターみたいな感じって例を出しましたけど、叙情的にならない叙情感っていうのが非常に上手い方ですよね。一見湿っぽいけど湿っぽくないっていうか、その辺はとりわけ上手いなって思いますね。
田家:感情に流されない。
近藤:そうですね、だからすごく動物的なタイプのミュージシャンとは合うんだろうなと思っていて。Mr.Childrenの時も聴いていて思ったんですけど、小林さんってロンドン感があるというかクールな印象がある。血の濃いアーティストとはすごく合うんじゃないかなと思いますね。
田家:それでは改めて、鬼束ちひろさんの2007年の曲で「MAGICAL WORLD」。このピアノは小林さんっていうことですね。 来週は岡村靖幸さんのアルバム『操』の話を伺うんですが、鬼束さんは岡村さんを神だと思っていたと。
近藤:うんうん。当時岡村くんも並行してやっていたし、ちひろちゃんからもその話を聞いていたので、『BARFOUT!』っていう雑誌で表紙と対談を二人でやりましたね。でも彼女は、コンサートには来ない人なので、岡村くんのライブは見た事ないんです。でもすごく好きって言っていましたね。
田家:”鬼束靖幸”とか”岡村ちひろ”でコラボしたいって言っていましたもんね。
近藤:タイミングがあればね、いいですよね。すごい人とやるのが僕は好きなので(笑)。
田家:エレファントカシマシ、2007年のヒット曲「俺たちの明日」。これもユニバーサル移籍第一弾でしたね。その前は東芝EMIでしたが、これはどういう関わり方だったんでしょうか?
近藤:この理由は2つあって。1つは、東芝EMI時代に長渕剛さんと仕事をしていて、「勇次」っていう曲がすごく好きなんですよ。あの歌が自分の中でリフレインしていた。ああいう曲を僕は男歌って呼ぶんですけど、男歌を作りたいなって2000年くらいからずっと思っていて。大体そういう時は妄想するんです。それが、ウルフルズのトータス松本さん、奥田民生さん、エレカシの宮本くんだったんですよ。その辺の人と男歌を作りたいっていうのがあった。で、前々からエレファントカシマシが所属する事務所に宮本くんのソロをやらせてくれないかっていう話をしていたんです。
田家:この前リリースされましたね。
近藤:そうですね。宮本くんの声が好きだったので、やらせてくれないかって話していたのと。もう1つは、僕が45過ぎてから中学の同窓会に出始めたんですよ。昔の友達と年に1回くらい会うようになっていくうちに、それぞれ分かれてきたけど元気にやっていて、こういう人達にエールを送りたいなって思ったんです。その2つがあって、提案してだいぶ経ってから事務所の社長から「じゃあエレファントカシマシでその企画やんないか?」って言われて、ぜひぜひという風になり、それから宮本くんと会って酒を飲みにいくようになったんですよ。こういう曲作りたいんだよっていうのを彼に熱心に酔っ払いながら話して。それで、宮本くんがしょうがねえなって作ってくれたのがこの曲なんです。
田家:近藤さんのために書きましたよみたいな(笑)。
近藤:そこまで言うんならと思ってくれたのか書いてくれたんですよ。それがこの曲です。
田家:でも彼もこの曲で一皮剥けた感じありましたもんね。エレファントカシマシもエピック、ポニー・キャニオン、EMIとレコード会社が変わる度に、新しい何かを掴みながらキャリアを積み重ねてきた。エピック時代も大変なことはありましたし。その中で、今までのキャリアの中で思うように結果が出なかった人たちに対してのプロデュース、ディレクションの仕方って独特なものがあるんじゃないですか。
近藤:苦労しているかどうかは、それぞれ事情が違いますけど、大事なのは僕が好きかどうかですね。作品は残るものだし、自分が聴きたいものを、僕が作れないからこういうの作ってってお願いしているうちに20,30年も経っちゃったなっていう感じですね。
田家:僕らも同じだなって僭越ながら思いましたね。自分が作れないからこそ聴きたい曲に出会いたいということだなと思っております。近藤さんが選ばれた6曲目、エレファントカシマシで「俺たちの明日」。
田家:さっき話に出た宮本さんのソロアルバムは、先日『宮本、独歩。』というタイトルでリリースされました。
近藤:宮本くんとは今年の頭にご飯を食べましたね。すごく良い顔してました。たまにそうやって会う人もいれば、コブクロみたいに15年ぶりにバッタリっていうこともありますけど。機会があれば皆会いたいですけど、みんな忙しいですからね。
田家:そのうち近藤フェスとかあったりするかもしれませんね(笑)。
近藤:前回、前々回を聴くと、もう総集編だなっていう気がしてしまうんですよ、俺もう終わってるかもって(笑)。
田家:終わっていないという証明が来週のトークテーマですね。お聴きいただいたのは、エレファントカシマシで「俺たちの明日」でした。
田家:「J-POP LEGEND FORUM」近藤雅信Part3。史上最強現役A&Rプロデューサー、株式会社V4Incの代表取締役である近藤雅信さんの軌跡を辿る1ヶ月。流れているのは竹内まりやさんの後テーマ「静かな伝説(レジェンド)」です。ロンドンは東芝EMIで行っていたわけでしょう? それほどの待遇があってもワーナーに移られたのは何故なんでしょうか?
近藤:うーん……。色々な理由っていうか、石坂(敬一)さんの存在がデカい。石坂さんが東芝をお辞めになったのは石坂さんが49歳の時。その頃よく一緒に飲みに行っていたんですけど、「近藤、人生は二毛作だ」、「男は40代で結論を出す」っていうことをよく言っていたんです。そのときはあまり意味が分からなくて、彼はその後ポリグラムに行かれたわけですけど、あれは業界もショックでしたしスタッフもショックでしたよね。当時、僕も含め部下は青天の霹靂だったんじゃないかと思いますし、それがその後に色々な影響を与えたと思うんですよ。それまで会社を変わるって僕は考えたこともなかったし、石坂さんが会社辞めた時に「会社って変わるもんなんだ」って思った。石坂さんの部下は、皆石坂さんの部下として一生を終えるもんだと思っていたと思うんです。それが石坂さんが辞められた時に、皆いろいろ考えましたし、僕も考えたんでしょうね。
田家:当時の常務っていう肩書よりも、ユニバーサル・ミュージックでレーベルを任されたりする方が面白かった。
近藤:うーん、一言で説明できない外資系の事情とか自分の意思もあるし、色々なものの結果ですよ。まあ最後には石坂さんともう一度一緒に仕事ができたので良かったですね。
田家:人生の決断はそんな簡単ではないですよね。来週もお話は続きます。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。
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