ザ・ローリング・ストーンズが1973年に発表した『山羊の頭のスープ』が9月4日に新装リリースされる。本作とバンド自身の今だから見える魅力、新しいリスナーを獲得しうるポテンシャルを、音楽ディレクター/ライターの柴崎祐二に解説してもらった。


いきなりネガティブな話からスタートしてしまうが、例えば現在、日々熱心に国内外の最新ポップ・ミュージックを追いかけて「アクチュアル」な音楽ライフを送っている主に若年リスナーのうち、ローリング・ストーンズも積極的に聴いています(or大ファンです)、という人はどれくらいいるのだろう。あくまで管見の及ぶ範囲内なのでもちろん断言は避けなければならないけれど、私個人の感覚だと、はっきりいって相当に少ないような気がする。いや、それをもって「ストーンズも聴いてないなんてなっとらん!」とロックおやじ風の伝統的マウンティングをカマしたいわけでなく、むしろ、たしかにまあ現在の音楽シーンの潮流からして、いまストーンズの音楽に現在的な視点から「批評性」を見出すのは難しいのかもしれないのかも?とは思う……。思うのだが、いや、そんなことないでしょう!という気持ちも、ここ数年ずっとあるのだ。これは単に、今から20年ほど前のいわゆる「ロックンロール・リヴァイヴァル」期に青春期を過ごし、ストーンズ(や彼らから影響を受けたバンド)のカヴァーをしまくった経験を持つ初期中年たる私の贔屓目でなくて、つとめて冷静な視点からもそう思うのだ。

ローリング・ストーンズというのは、そのロング・スタンディングな活動歴自体に冠された栄光や、輝かしい名盤の数々とそれへの揺るぎない評価、あるいはメンバーのド派手なライフ・スタイルやスキャンダラスなエピソードなど、これまで数多の言説をぼこぼこ産出してきた大ロックンロール・マシーン(ロック・アイコン)であり、だからこそスゴいわけであるが、そのスゴさがある種の巨大な煙幕になっているおかげで、もはやなにがしかの新しい評価や視線を浴びせようとするのも困難になってしまっているというのはあるだろう。たぶん、その固定化こそが彼らがいまだ定期的にロック雑誌の表紙をドドンと飾っている要因なのだろうし、旧来のファンを安堵させることにもなっているわけだが、同時にそれは、新規参入者の興味を著しく挫くものとしても機能してきたように思う。

では、そういうこととはなるべく離れてストーンズを語ろうとする時、いったいどういう切り口が良いのだろうか……と考えていたところ、今回実にタイミングよくとある作品の大規模なリイシュー企画の情報が入ってきた。それが、彼らが1973年にリリースした『山羊の頭のスープ』である。

60年代半ばの荒々しくパンキッシュな演奏、サイケ期の実験とポップネス、70年前後の激動にまみれた黄金期、ロン・ウッド加入後のアンサンブルの深化、80年代以降のフレンドリーなスタジアム・バンドっぷり、あるいは先日リリースされた新曲「Living In A Ghost Town」での艶めかしい現役感など、今語るべき視点は少なくないわけだが、この、ときにオールド・ファンからもやや見過ごされがちな『山羊の頭のスープ』をじっくり聴くことで、彼らの今日的な魅力に迫ってみたい。

このアルバムは、上述の通り70年前後の黄金期以降、特に『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)、『メイン・ストリートのならず者』(1972年)という歴々たる名盤の後に、ストーンズが名実ともにロックの頂点へ登りつめたあとに届けられた作品だった。時流と共振しながら米国南部のルーツ・ミュージックとより深く結びつくことで後のパブリック・イメージ(=ストーンズ節)を作り上げた前二作からの次なる一手であるがゆえ、当時はファンや批評家からの期待も特別に大きいものがあったようだ。
実際、前作に続き英米チャートで1位を記録し、各プレスでのレビューでも概ね好評だった。しかし、一部にはやや肩透かしであるという評価や、前作と比してのトータル性の乏しさなどに厳しい意見もあったようで、こうした見方は、その後歴史が下るうちにおいても、本作を「いいアルバムだけど、なんとなく散漫」という立ち位置に落ち着かせていったように思う。私が90年代末にはじめて触れたときも、だいたいそんな論調だったと記憶しているし、もしかしたら現在に渡ってずっとそうかもしれない(多分に逆説的ではあるだろうが、オーストラリアのwebマガジン「Daily Review」における意地悪な企画「51 Disappointing Albums」にピックアップされてしまってもいる)。しかし、私個人的な感想としては、初聴時からかなり好ましく思った、というか、数多あるストーンズのアルバムの中でも多分ベスト3に入るくらいフェイバリットな一枚だったし、その認識は変わらないなと、今回のニュー・ステレオ・ミックス版を聴いて再確認した次第だ。

ニューエイジ/トライバルへの早すぎた接近

まず、本作の魅力その1は、そのダークな色彩だろう。(これは、後追いで歴史をみる者のズルさでもあるとおもうのだが)当時の彼らにどれくらいの自覚があったかはわからないが、前作『メイン・ストリートのならず者』における絶頂を経て、何やらどこからか退廃の影が忍び寄っていることを嗅ぎ取ってしまうのだ。具体的な状況としては、段々と重くなるキース・リチャーズのドラッグ禍や、『ベガーズ・バンケット』(1968年)以来バンドのスタジオ・ワークを支えてきたプロデューサーのジミー・ミラーが同じくドラッグ癖で不調に陥っていたことなどがあるわけだが、ジャマイカの地でベーシック・トラックを録音したにも関わらず(だからこそというべきか?)どこかしら鬱々とした倦怠が漂っているように聴こえる。

オープナーの「ダンシング・ウィズ・ミスターD」は、「悪魔を憐れむ歌」(1968年)にも通じる彼らが得意とするデーモン讃歌の系統を継いでいるが、同曲にあったような躍動的/革命的な気配よりも、重苦しいギター・リフや地を這うようなヴォーカル、妖しげなミックスなどが配合されることで、どこか「革命の後の荒廃」的な陰鬱とした雰囲気が漂い、他のアルバムでは得難い本作ならではのドープネスに引きずり込んでくれる。また、一般的にファンからスルーされがちな曲だが、金属系パーカッションに導かれてレズリー・スピーカーを通したギターとミックのヴォーカルがヌメヌメと這い出てくる「全てが音楽」などは、「ストーンズ流プレ・ニューエイジ?」といいたくなるような抹香臭漂う珍曲なのだが、このあたりの味付けも本作固有の面白さと言えるだろう。

いうなればこれは、「黒くぬれ!」(1966年)などを端緒とするストーンズのサイケデリック・サイドの70年代版の深化といえるだろうし、その後のロック・ミュージックがニューウェイブ時代を経て「ワールド・ミュージック」と接近していった流れの先駆的実践として捉えてみても興味深い。また、昨今の音楽シーンにあって、ニューエイジ・テイストの復興と並行して再び立ち現れているように思う「トライバル」のひとつの雛形としてみても面白いかもしれない。このあたりは、アルバムのタイトルや、オリジナル・アートワークにおけるおどろおどろしい実際の山羊の頭のスープ写真などにも見られる彼らのキッチュなブードゥー趣味と照らし合わせると一層理解しやすいだろう(もちろんこうした視点はオリエンタリズムの問題も引き寄せるだろうし、一概に称揚すべきものでないことも言い添えておく)。


先鋭的なブラック・ミュージックとの共振

魅力その2。ジャマイカ録音というロケーション上の要素や上述のような「第三世界的」色付けにも関わらず、具体的な音楽的特徴としてまず耳を惹くのが、そのソウル・ミュージックっぽさだろう。もちろん、ストーンズといえばデビュー以来様々なブラック・ミュージック要素を取り入れて自らの血肉としてきた人たちなので、ソウルの要素がある、といっても特段驚くに値しないかもしれないが、今作に置いては、それまで彼らが主に参照先としてきたブルーズやリズム・アンド・ブルースの範疇を越えて、同時代のいわゆるニュー・ソウル的要素をかなり取り入れているのだ。

具体的には「ドゥー・ドゥー・ドゥー…(ハートブレイカー)」などにおけるパーカッションを伴った16ビートのニュアンス、ワウをきかせたギター、コーラスのリフレイン、キレのいいホーン・セクションの林立…などを挙げることができるだろう。この曲は、ストーンズともなにかと縁の深いソウル・シンガー/ギタリストのボビー・ウーマックの同時期作品に通じる洗練されたニュー・ソウル的スリルが横溢しているように思う(ボビー・ウーマックの名曲「Across 110th Street」と是非聴き比べてほしい)。そういう意味で、この時期バンドと蜜月関係にあった本物のソウル・ミュージシャンたるビリー・プレストンが、本曲をはじめとしてクラヴィネット等で大活躍しているのも見逃せない。

また、上述の「ダンシング・ウィズ・ミスターD」にしても、チャーリー・ワッツら(この曲ではミック・テイラーがベースを弾いている)リズム・セクションを取り出してみると、同時代のアル・グリーン等のモダンなメンフィス・サウンド=ハイ・サウンドを彷彿させたりもする。いつの時代でも、ポップ・ミュージック(特にロック)にとって先鋭的なブラック・ミュージックは大きなインスピレーションで有り続けており、今現在もそこからの感化と習合はあらゆる場面で進行しているといえるが、ストーンズこそが常にその運動のもっとも良質な一例を担ってきたということが、こうした例からもはっきりとわかるのだ。

さらに、「ウィンター」(隠れ名曲!)については、メロウとすらいえる領域に立ち入っているように思う(この路線が後に「ブラック・アンド・ブルー」(1976年)などで一層花開くわけだが、ここでは導入期であるがゆえのフレッシュさがある)。この曲は、どちらかというとアフロ・アメリカンによるソウルというよりは、アイリッシュ・ソウル=ヴァン・モリソンの世界のようでもあり、改めてミック・ジャガーが優れたホワイト・ソウル・シンガーであることを知らしめている(ニッキー・ホプキンスのリリカルなピアノも素晴らしい)。

ミック・テイラーの繊細なギターワーク

他にも、ニック・ハリスンによる、大ヒット曲「アンジー」や「ウィンター」におけるストリングス・アレンジの面白さや(はっきり言ってミスマッチなのだが、その妙味が面白い)、マッチョなロック・バンド像をセルフ・パロディーしたような「スター・スター」など、いつもながらの小気味よいロックンロールも素晴らしいし……と、ここまで書いてきて、ストーンズ・ファンの方から、最も重要なトピックがすっかり抜け落ちているじゃないか!というお叱りの声が聞こえてきそうだ……そう、やはり何はなくとも、本アルバムに限らず、この時期のバンドにとって、ミック・テイラーの存在は本当に大きいと思う。これが魅力その3。


ミック・テイラーは、よく知られている通り、ブライアン・ジョーンズのサブスティテュートとしてストーンズに加入した、「年下のギタリスト」だ。元はジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズでエリック・クラプトンやピーター・グリーンら歴々たるギター弾きの後をついでプレイしていた新鋭で、その時期からモダン・ブルースの奏法を習得した丹精で切れ味鋭い演奏をウリとしていた。キース・リチャーズがロックンロール・リズム・ギターの精髄ともいうべきスタイルを深化させていく傍らで細やかなリード・プレイを提供するテイラーという構図は、明らかに後世までつづく象徴的なストーンズ像のオリジンといえるものだろう。もちろん本作においても彼の存在感は抜群で、シャープな単音プレイからスライドを駆使した演奏まで、丹精ながらも情感の籠もったギターを聴かせている。 

もしかすると、このように「ギタリストに注目をして音楽を聴く」という行為自体今や覇権的なリスニング方法ではないのかもしれないが、個性豊かなアンサンブルの中にあって、その引き締め役として機能するかのようなミック・テイラーのプレイがあってこそ、本作のトライバルな要素やソウル的な要素が際立ってくることに気づくだろうし、本作において(というかストーンズ作品全般において)そのような聴き方は、古い/新しいというより、アンサンブルの個性や微細な音響的妙味を味わうことと同義のデリケートな歓びに導いてくれるだろう(その意味で、今回のリイシューで発掘された、ジミー・ペイジらとミック&キースのセッション曲「スカーレット」も必聴だろう。ギター・アンサンブルというものの面白さを知るにこんな適した曲もそうそうないように思う)。

また、こうした聴き方こそは、たとえばアラバマ・シェイクスのギタリスト、ヒース・フォッグによるプロジェクト、サン・オン・シェイドや、このところの八面六臂の活躍で評価を高めつつあるブレイク・ミルズなど、ルーツ志向をもちながらも繊細なフレージングとトーン・コントロールをもってギター表現の拡張を試みる新鋭たちの作品を我々が新鮮に味わうときの態度にも通じるのではないだろうか。実際、さりげない傑作というべきミック・テイラーのソロ・アルバム『ミック・テイラー』(1979年)を聴いてもらえれば、今日の新鋭たちとの表面上の音楽的差異は抜きにしても、彼が単なるブルース・キッズではなくかなり理知的で繊細な感覚を蔵したトータル・ミュージシャンであることが理解されよう。

ローリング・ストーンズ。その名だけで、ただ巨大に屹立する一個の存在として神格化され、それがために様々な「聴き方」が封じられてきてしまったように思う彼らの音楽を、今一度固定された評価から引き剥がそうとしてみること。そこから見えてくるのは、「王道こそもっとも雑食的で、ときには非正統的でもある」ということだろう。それは、よくよく考えてみればロック・ミュージック自体が、そもそも規範やイデアのごときものから浮遊した雑種として発生してきたものだったことも教えてくれる。
ロックの絶対的フォーマットらしきものを作り上げたローリング・ストーンズは、同時にそのフォーマットを揺さぶることにかけてももっとも優れた集団であり続けた。この『山羊の頭のスープ』は、その事実がひときわ鮮やかに表出している作品だと思う。

●ローリング・ストーンズ、ビル・ワイマンが撮った知られざる素顔(写真ギャラリー)

ローリング・ストーンズの卓越した先進性とは? 今の視点で捉え直す『山羊の頭のスープ』

ザ・ローリング・ストーンズ
『山羊の頭のスープ』
2020年9月4日発売
アルバム購入・試聴:https://umj.lnk.to/goats-head-soup
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