いつの世もボブ・ディランの音楽は実に多くのアーティストを惹きつけ、カバーされてきた。彼が才能あふれるオリジナル・ソングライターであると同時に、彼の歌い方には「自分のほうがもっとうまくやれる」と思わせる部分があるからだ。キャリアの初期にはピーター・ポール&マリーが「風に吹かれて」をややスウィートにアレンジして大ヒットしたし、現在もカバーされ続けている。今回のプレイリストのトップバッターも、今年リリースされた『ラフ&ロウディ・ウェイズ』の収録曲「アイ・コンテイン・マルチチュード」をはじめ、ディランのカバー曲を集めた最新アルバムからの1曲だ。
今回のプレイリストはディランの歴代カバー曲の中から、オリジナルでははっきり表現されていなかった側面や感情をうまく引き出したものを中心に15曲をセレクトし、もっとも有名で耳なじみのあるカバーは除外した。なのでジミ・ヘンドリックスも、ザ・バーズも、ガンズ・アンド・ローゼズも入ってない。もっとも、これらの代表的カバーをお聞きでない方はぜひ一度聴いてみてほしい。さらに、今回のリストに載ってもおかしくないカバー曲は他にも山ほどあるので、決して決定版というわけではない――あくまで、彼の作品を別の角度からとらえたアプローチのひとつにすぎない。
●【写真&プレイリスト】ボブ・ディランの魅力を再発見、珠玉のカバー15選
エマ・スウィフト「スーナー・オア・レイター」
今年8月にリリースされたスウィフトの『Blonde on the Tracks』に収録。今回エントリーされた中でもっとも新しいカバー曲だ。ナッシュビルのシンガーソングライターは、アルバムに収録されたディランの曲のすべてにおいて奥に隠れがちな心情を見つけ出し、辛辣な「アイ・コンテイン・マルチチュード」のとげを和らげ、「運命のひとひねり」を涙を誘う作品にした。ここに挙げた「スーナー・オア・レイター」のカバーは特に素晴らしい。
※『Blonde on the Tracks』は主要ストリーミングサービスでは配信されていないが、Bandcampで購入する価値は十分ある。
Blonde On The Tracks by Emma Swift
オデッタ「ロング・アゴー、ファー・アウェイ」
オデッタはディランの音楽人生の初期に大きな影響を及ぼした人物だ。本人も自叙伝『Chronicles: Volume One』の中で、大学生時代にミネアポリスのレコード店で彼女のアルバムに出会ったときのことを回想している。「レコードの収録曲をほぼすべて、あの場ですぐに覚えちまった。(ギターの)ハンマリングのやり方も拝借したよ」。数年後、偉大なフォークミュージシャンにして公民権運動の活動家だったオデッタは、1965年のアルバム『Odetta Sings Dylan』でディランに敬意を表した。彼女のカバー曲はどれも堂々としているが、ディランの1962年の『ウィットマーク・デモ』に収録されているこのプロテストソングはとくに際立っている。オデッタは何世紀にもわたる憎悪、抑圧、暴力、不平等について歌いあげ、ばしっと辛辣にこう締めくくる。”今はもうはるか昔/今じゃありえないことばかり”
ブラザーズ&シスターズ「マイティ・クイン」
60年代後期、LAのプロデューサーだったルー・アドラーは飛ぶ鳥落とす勢いだった。ちょうどママス&パパスで成功をおさめ、キャロル・キングの『つづれおり』制作にも手を貸していたころだ。彼は業界のコネを生かして名だたるレコーディング・ヴォーカリストを招集し、1969年に『Dylans Gospel』を制作。
ジョーン・バエズ「ゴーイング・ノーホエア」
この曲は、先にバーズが『ロデオの恋人』でカントリーロック調にカバーしたが、後からカバーしたバエズのほうが上だった。1968年、ディランのカバー曲を集めた最高傑作『Any Day Now』に収められた、『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』からの1曲。個人的には、ディランのトリビュートアルバムの中でもピカいちだ――元カレのミスを暗にほのめかし、彼の言葉を寛大に読み取ってそれを修正した2枚組アルバム、とみることができるのも理由のひとつ。ナッシュビル風のストリングスと、気持ちの入った「ウーウィー」も相まって、彼女は「ゴーイング・ノーホエア」は幸せな家庭の賛歌へと変えた。大半の人々がゴーイング・ノーホエア=どこにも行けない中、この1年もっとも心に響く1曲だ。
ジュディ・コリンズ「ダディ・ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」
コリンズはフィル・オクスやレナード・コーエン、ディランなど、正統派男性フォークの解釈に長けた人物としてその名を知られるようになった。ディランの「ママ・ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」――『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』のころに作られ、お蔵入りになった別れの歌――を女性目線で歌ったこのカバーは、まさにその決定版。コリンズの澄み渡る高音は、当時のディランが世間に明かせずにいた優しい一面を伝えている。
リック・ネルソン「シー・ビロングス・トゥ・ミー」
TVの子役スターとして、その後はビートルズ前夜のポップアイドルとして、若くして名声を手にしたリッキー・ネルソンは、のちに「リック」と改名し、落ち着いた雰囲気のカントリー調フォークロックへ思い切って方向転換した。
フェアポート・コンヴェンション「二人のわかれ」
イギリスのフォークロック・バンドによる1969年の傑作『アンハーフブリッキング』には、不気味なほどに美しいコーラスで歌った哀歌「パーシーズ・ソング」など、ディランのカバーが3曲収められている。ここに挙げた曲は隠れディラン・カバーともいうべきか。フェアポート・コンヴェンションは60年代中期のロック「行ってもいいぜ」の歌詞をフランス語に書き換え、サンディ・デニーの陽気なリードヴォーカルにアコーディオンとフィドル、ハンドクラップをのせて、軽快なコンチネッタルパーティソングに再構築した。
リッチー・ヘブンス「女の如く」
1966年、『Mixed Bag』で華々しいデビューを飾ったヘブンスは、情熱的なアコースティックギターとディープな声で、至極のカバー曲やオリジナルソングを多数世に送り出した(『ウォッチメン』のルイス・ゴセット・ジュニアと共作した反戦歌「ハンサム・ジョニー」も収録)。アルバムの終盤でヘブンスは、当時リリースされたばかりの『ブロンド・オン・ブロンド』に収録された傑作を軽快なジャズにカバーした。すでにこの時点でディランは原点である場末のクラブから身を引いていたが、ヘブンスは「女の如く」を実に見事にそのルーツへ引き戻した。
ジョーン・バエズ「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レターワード」
そう、ジョーン・バエズの先のアルバムから2曲目が今回プレイリスト入り。それに値する人物は彼女を置いて他にいない。ディランがこの曲をオリジナルとしてリリースすることはなかったが、愛着を捨てることとは何か、果たしてそれが正しい決断かと葛藤するこの曲は、彼の作品の中でもとくに雄弁に胸中を物語っている。バエズは言葉の端々や行間ににじみ出る様々な後悔の色を、あますことなく表現する。”不思議だ、君が隣にいるなんて/何年もすったもんだを繰り返し/僕が悟ったことを全部話したら、君は驚くだろう”。
アル・クーパー、スティーヴン・スティルス「悲しみは果てしなく」
ときに偉大なカバーは、オリジナルの意味や雰囲気を完全にかなぐり捨てる。ここに挙げた意味不明の、それでいて底抜けに明るい曲がその好例だ。1968年、アル・クーパーがディランのバックバンド仲間だったマイク・ブルームフィールド、ハーヴェイ・ブルックスらと制作したアルバム『スーパー・セッション』のB面に収録された代表作。ブルームフィールドが制作から身を引いたため、スティーヴン・スティルスがリードギターを担当している。ディランの中でも1、2を争う切ないブルースを、2人は荒唐無稽なロックンロール・パーティへと変えた。スティルスがソロパートをかき鳴らし、どういうわけかクーパーがいきなり「ナ・ナ・ナ・ナ・イエー!」と叫び、とにかく楽しい。この2人はハメの外し方を心得ている。
ベティ・ラヴェット「悲しきベイブ」
いまや名作となった1964年のこの曲で、ディランは深い関係を求める女性に(あるいは抗議運動の救世主で居続けてほしいと望む全米のフォークファンに)別れを告げた。これは若い男性の歌、新たなスタートを切ろうとする青年の歌。2018年のディランのカバーアルバム『Things Have Changed』でも圧倒的な存在感を放っている。ソウルの偉人ベティ・ラヴェットがこの曲に人生経験を反映させたことで視点が変わり、さんざん辛い目に遭ってきたゆえに悲しい結末を予測する人物の曲になった。
ゼム「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」
1966年、若きヴァン・モリソンはベルファストで結成したバンドとともに、あらん限りの力でこの曲をカバーした。オリジナルは別離の痛みを美しい言葉の羅列で包み込んでいたが、ヴァンはそうしたセンチメンタルな絆創膏を引きはがした。「ハイウェイはギャンブラーのもの、感覚を研ぎ澄ませ」と彼が叫ぶとき、脈打つ自らの心臓を抉り出しているかのようだ。他のバンドメンバーも素晴らしい。独自のベースラインとオルガンパートは、30年後にベックが『オディレイ』のシングル「ジャック・アス」で採用している。
ザ・ルーツ「戦争の親玉」
ストリーミングでは聞けないカバーの名作をもう1曲。ザ・ルーツの2007年のツアー映像か、同じ年のコーチェラ・フェスティバルの映像でないと聞くことができない。シンガー/ギタリストの”キャプテン”カーク・ダグラスが、アメリカ合衆国国歌をバックに曲の最初の歌詞を読み上げる。その後ヘヴィで激しいグルーヴに変わり、最終的にはダグラスのギター、クエストラヴのドラム、トゥーバ・グッディング・Jr.のホーンの上に、壮大なファンク・ジャズが炸裂し、ディランのオリジナルに凝縮された政治的怒りを新たな方向へと導いた。
ザ・ホワイト・ストライプス「コーヒーもう一杯」
リリース当時はほとんど注目されなかったが、ザ・ホワイト・ストライプスの1999年のデビューアルバムに収録された『欲望』からのカバーは、大半のディランのカバーとは真逆のアプローチをとっている。つまりオリジナルに音を足すのではなく、引き算で音をはぎ取っていくのだ。ジャックの唸るギターと声、メグのドラムだけを残し、錯乱した世紀末パンクのエネルギーがほとばしる。
ソニック・ユース「アイム・ノット・ゼア」
2007年、トッド・ヘインズ監督が手掛けたディランの伝記映画のサントラ――他にもジム・ジェイムズ、スティーヴン・マルクマス、キャット・パワーら他多数の秀逸カバーを収録――からのタイトルトラックに、ソニック・ユースはディランにとって多作だった1967年の中でも、あまり知られていない曲を選んだ。珍しく素直でまっすぐなこの曲は、自分を愛してくれる女性のそばにいられないと思う男が、きまり悪そうに謝罪する歌だ(そういう意味では、「悲しきベイブ」の悲しい続編ともいえる。俺はお前を悲しませるだけだ、と言って、男は本当にそうする)。カバーバージョンはサーストン・ムーアの打ちひしがれたボーカルを、ギターのフィードバックが包み込む決定版。なんとも胸が締めつけられる。
ボーナストラック:ディランを題材にした曲
ヨ・ラ・テンゴ「From a Motel 6」
ベル&セバスチャン「Like Dylan in the Movies」
ウィルコ「Bob Dylans 49th Beard」
カウンティング・クロウズ「Mr. Jones」
近代音楽におけるディランの影響力はあまりにも強く、称賛の証として彼を題材にしたオリジナルソングを作るアーティストのプレイリストが作れるほどだ。ここで挙げた4曲は、ディランの名を巧みに盛り込んだウィルコやベル&セバスチャンから、ディランの楽曲のひとつをもじったヨ・ラ・テンゴ、「やせっぽちのバラッド」へのオマージュで始まってアダム・ドゥーリッツが文字通り「ボブ・ディランになりたい!」と叫んで終わる90年代オルタナロックのヒット曲まで多岐にわたる。ポイントは正直さ(honesty)だ。
●【関連記事】ボブ・ディランのカバー人気ベスト10
From Rolling Stone US.
この投稿をInstagramで見るOur latest Music at Home playlist has 15 of the greatest Bob Dylan covers, from Joan Baez, Bettye LaVette, the Roots, Sonic Youth, and more. Check it out at the link in our bio. Photographs by H. Thompson/Evening Standard/Hulton Archive/Getty Images, Roberta Parkin/Redferns/Getty Images, GAB Archive/Redferns/Getty Images, Michael Ochs Archives/Getty Images, Paul Schutzer/The LIFE Picture Collection/Getty Images and CBS Photo Archive/Getty Images Rolling Stone(@rollingstone)がシェアした投稿 - 2020年 9月月25日午後12時45分PDT