スティーリー・ダン(Steely Dan)がいま再び熱い。ローリングストーン誌US版が彼らの発表した全84曲をランキング化。
上位20曲は選評つきで紹介する。

音楽の歴史の中で、スティーリー・ダンのような物語は他にない。70年代のジャズ・ロックを牽引した彼らは、時期によって評価が揺れ動いたものの、今ほど人気と影響力、そして文化的な執着の対象となっている時代はないだろう。ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは、当時のコカインまみれのヨット・ロック的スムースサウンドを皮肉りながらも、そのサウンドを極めていた、まさに時代の先を行く存在だった。

そして、ひとつだけはっきりしているのは——彼らほど議論のネタになるバンドは他にいないということ。スティーリー・ダンのファンは、あらゆる細部を語り尽くすのが大好きだ。全曲、全ドラムブレイク、全サックスソロまで。アルタミラの洞窟(「The Caves of Altamira」)からアナンデイルのキョウチクトウ(「My Old School」)まで、すべてが議論の的になる。というわけで、真のスティーリー・ダン愛好家のための議論の火種、全84曲を網羅した究極のランキングをお届けしよう。

いま、彼らの重要性はこれまで以上に増している。フェイゲン/ベッカーの世界を徹底的に探求した名著『Quantum Criminals』でアレックス・パパデマスはこう書いている。「究極にスムースな音楽を作ることに取り憑かれた、不機嫌そうな2人の男」と。


スティーリー・ダンを巡る議論も時代と共に変化してきた。以前は、より複雑で尖った初期作品が”通好み”とされていた。X世代を代表するダン好き、スティーヴン・マルクマス(ペイヴメント)は2001年にローリングストーン誌でこう語っている。「ヴァリウム漬けのLAに冷たくツッコミを入れるようになる前の、初期の曲がいいんだよね」。しかし今では、多くのファンが『Aja』や『Gaucho』の豊潤なグルーヴを最高傑作として挙げる。

どちらにせよ、この音楽を祝福しよう。クエルボ・ゴールドと極上のコロンビアンで乾杯を(「Hey Nineteen」)。永遠の天才フェイゲン&ベッカーに捧げて。——君たちがどこにいようと、きっとスモーキングしてるよね。

スティーリー・ダンの名曲ベスト20選

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84位「Negative Girl」(2000年)
83位「Blues Beach」(2003年)
82位「Gaslighting Abbie」(2000年)
81位「Green Book」(2003年)

80位「Through With Buzz」(邦題:いけ好かない奴 1974年)
79位「Lunch With Gina」(2003年)
78位「Two Against Nature」(2000年)
77位「With a Gun」(邦題:銃さえあればね 1974年)
76位「Jack of Speed」(2000年)
75位「East St. Louis Toodle-Oo」(1974年)
74位「Chain Lightning」(1975年)
73位「Pixeleen」(2003年)
72位「Turn That Heartbeat Over Again」(1972年)
71位「Cousin Dupree」(2000年)

70位「Your Gold Teeth」(1973年)
69位「Change of the Guard」(1972年)
68位「Everything Must Go」(2003年)
67位「Almost Gothic」(2000年)
66位「Throw Back the Little Ones」(1975年)
65位「Fire in the Hole」(1972年)
64位「I Got the News」(1977年)
63位「Monkey in Your Soul」(邦題:君のいたずら 1974年)
62位「West of Hollywood」(2000年)
61位「Third World Man」(1980年)

スティーリー・ダンの名曲ベスト20選

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60位「Everything You Did」(邦題:裏切りの売女 1976年)
59位「Rose Darling」(邦題:可愛いローズ 1975年)
58位「Kings」(1972年)
57位「The Bear」(1980年)
56位「Green Earrings」(邦題:緑のイヤリング 1976年)
55位「Slang of Ages」(2003年)
54位「Pearl of the Quarter」(1973年)
53位「Godwhacker」(2003年)
52位「The Fez」(邦題:トルコ帽もないのに 1976年)
51位「The Last Mall」(2003年)

50位「What a Shame About Me」(2000年)
49位「Barrytown」(邦題:バリータウンから来た男 1974年)
48位「Everyone's Gone to the Movies」(1975年)
47位「My Rival」(1980年)
46位「Things I Miss the Most」(2003年)
45位「Brooklyn (Owes the Charmer Under Me)」(邦題:ブルックリン 1972年)
44位「Parker's Band」(1974年)
43位「Only a Fool Would Say That」(邦題:愚か者のひとこと 1972年)
42位「Janie Runaway」(2000年)
41位「Night by Night」(邦題:ナイト・バイ・ナイト(夜ごと歩きまわるのさ) 1974年)

スティーリー・ダンの名曲ベスト20選

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40位「Haitian Divorce」(邦題:ハイチ式離婚 1976年)
39位「Charlie Freak」(1974年)
38位「King of the World」(1973年)
37位「The Second Arrangement」(1980年)
36位「Razor Boy」(1973年)
35位「Home at Last」(邦題:安らぎの家 1977年)
34位「Show Biz Kids」(邦題:ショウビズ・キッズ 1973年)
33位「Any World (That I'm Welcome To)」(1975年)
32位「The Boston Rag」(1973年)
31位「Josie」(邦題:ジョージー 1977年)

30位「Here at the Western World」(1978年)
29位「Don't Take Me Alive」(邦題:最後の無法者 1976年)
28位「Midnight Cruiser」(邦題:真夜中のクルーザー 1972年)
27位「Time Out of Mind」(1980年)
26位「Daddy Don't Live in That New York City No More」(邦題:親父の嫌いなニューヨーク・シティ 1975年)
25位「The Royal Scam」(邦題:幻想の摩天楼 1976年)
24位「Pretzel Logic」(1974年)
23位「Black Friday」(1975年)
22位「Glamour Profession」(1980年)
21位「FM (No Static at All)」(1978年)

20位「Bodhisattva」(邦題:菩薩 1973年)

「Bodhisattva」は、アルバム『Countdown to Ecstasy』を象徴するすべてを詰め込んだような楽曲だ。鋭角的なピアノ、冷酷な皮肉、そしてジャズを纏ったロックンロールバンドの躍動感。”ストリートではジャズ、ベッドではモータウン”なバンドの鼓動がそこにある。
この曲は、”Me世代”のナルシシズムに対する手厳しい風刺でもある。他の70年代ロックスターたちが東洋の導師に悟りを求めていた頃、フェイゲンは、スピリチュアルな満足を手っ取り早く金で買おうとする金持ちの素人たちを観察していた。彼らは日本と中国の違いさえ知ろうとしない。〈ボーディサトヴァ、街の家を売っちまうぜ〉——痛烈すぎる一撃。この曲には、スティーリー・ダン屈指のギターバトルも登場する。最初にソロを弾くのはデニー・ディアス、そして続く第2ラウンドにはジェフ”スカンク”バクスターが登場。ディアスはジャジーな音色と完璧な作業着で勝利、バクスターはコメディ的狂気とマペット風のヒゲで勝利。勝敗は……引き分けとしよう。 —R.S.

19位「Sign in Stranger」(邦題:狂った町 1976年)

「Sign in Stranger」は、ゆったりしたビートと爽やかな空気感に包まれていて、最初はイージーリスニングのように感じる。しかし、ポール・グリフィンのピアノが放つ鋭い一撃、エリオット・ランドールのギターの切れ味を聴いた瞬間、その印象は一変する。フェイゲンは、ふわりとしたボーカルラインでサビへと誘い、最後には鋭い唸り声で締めくくる。この曲のテーマは、過去から逃れようとする銀河系の無法者たち。
快楽と野蛮さという音の両極を行き来しながら、彼らは”最終フロンティア”へと旅立つ前に、ひとときの享楽にふける。まさにその物語にふさわしい音世界がここにある。 —J.B.

18位「Your Gold Teeth II」(1975年)

「Your Gold Teeth II」は、ラウンジ風の前作「Your Gold Teeth」(『Countdown to Ecstasy』収録)の名ばかりの続編だ。前作との共通点は、わずかな謎めいた歌詞と、漠然とした実存的な虚無感のみ。それでも、この曲はスティーリー・ダンの中でも最もジャズ的完成度の高い瞬間だ。フェイゲンのピアノはビル・エヴァンスを彷彿とさせ、デニー・ディアスのギターソロはジャンゴ・ラインハルトへの粋なオマージュ。そしてジェフ・ポーカロは、チャールズ・ミンガスのドラマー、ダニー・リッチモンドにインスパイアされた”流れるようなワルツ”を叩き出す。この若干20代に入ったばかりのドラマーによる演奏は、「Aja」のドラムソロと並んで”スティーリー・ダン史上最高のドラム・モーメント”として語られるほどの驚異的な名演だ。 —J.D.

17位「Any Major Dude Will Tell You」(邦題:気どりや 1974年)

スティーリー・ダンの楽曲を思い浮かべると、不穏なテーマや辛辣な皮肉がまず頭に浮かぶ——そんな中にあって、「Any Major Dude Will Tell You」はふんわりとした心地よいアレンジに包まれた、意外な”慰めの歌”だ。これは、彼らなりの乾いたユーモアをきかせた「Youve Got a Friend」(キャロル・キング)のようなもので、アルバム『Pretzel Logic』における思わぬご褒美のような一曲。当時の典型的なシンガーソングライターたちとは一線を画す存在であったベッカーとフェイゲンは、甘ったるく聞こえることなく、そっと前向きな助言を差し出してみせる。 —D.B.

16位「The Caves of Altamira」(邦題:アルタミラの洞窟の警告 1976年)

スティーリー・ダンといえば、鋭いアイロニーや謎めいた不安感で知られるが、「The Caves of Altamira」では純粋な畏敬の念が描かれており、まるで夢のようなひとときに感じられる。
とはいえ、この曲に物悲しさがないわけではない。舞台はスペイン・カンタブリアにある、有名な壁画が残されたアルタミラの洞窟。そこを訪れた孤独なアウトサイダーが、ベッカー自身がいうところの”無垢の喪失”とも言える啓示を得るという物語だ。失われたものの代わりに得られるのは、深い芸術的な感動。フェイゲンはこう歌う。〈彼らは呼び声を聞き/それを壁に記した/君と僕はそれを理解した〉――芸術と創造性が時を超えて共鳴しあう瞬間を、美しく描いている。 —J.B.

15位「Reelin in the Years」(1972年)

「Do It Again」の方がチャート順位は上だったが、スティーリー・ダンの初期を決定づけた代表曲は、間違いなくこの「Reelin in the Years」だろう。フェイゲン扮する語り部が皮肉たっぷりに言い放つ〈ダイヤを手渡しても、それが何かわからないだろ〉というセリフは、どうしようもない元恋人への中指のような一撃。エリオット・ランドールの灼けつくようなギターソロ、デニー・ディアスとジェフ”スカンク”バクスターによる俊敏なハーモニーのブリッジは、スティーリー・ダンが最もギターヒーロー的な瞬間に近づいた場面だ。しかしこの曲の”いかにもダンらしい”真髄は、荒々しく歪んだロック的リフと、優しく揺れるピアノ主導のヴァースとの間にあるコントラストにある。結成間もないバンドでありながら、その音楽的なスケールの大きさをすでに見せつけていた。 —H.S.

14位「Hey Nineteen」(1980年)

”ヨット・ロック”の代表曲を1曲選ぶとすれば、この軽快で風通しのいい「Hey Nineteen」だろう。
そして、その船はどこへ向かうのか?行き先は……スリージータウンUSA(※いかがわしい街、の意)。『Gaucho』の中心をなすこの曲は、若さをとうに過ぎた中年男性が、アレサ・フランクリン=”ソウルの女王”を知らない19歳の若い女性に手を出そうとする姿を描いている。「Hey Nineteen」は「Peg」や「Rikki Dont Lose That Number」と並んで、スティーリー・ダンの中でもチャート滞在期間が最も長かったヒット曲のひとつだ。だが、こうした曲の中で〈クエルボ・ゴールドと極上のコロンビアンで、今夜を最高に〉というリフレインを持っているのは、この曲だけだ。 —A.M.

13位「Bad Sneakers」(1975年)

『Katy Lied』の2曲目に収録された「Bad Sneakers」は、スティーリー・ダンのキャリアにおいて大きな転換点となった曲だ。まるで彼らにとっての「ノルウェーの森」のような存在。イントロのギターはシタールのような音色で、「Do It Again」を思わせるが、それはあくまで1972年当時からバンドがどれだけ変化したかを示すための比較に過ぎない。『Katy Lied』の時点で、彼らはもはやロックバンドではなく、ベッカーとフェイゲンの創造性を表現するための、より洗練されたスタジオプロジェクトへと進化していた。「Bad Sneakers」は、スティーリー・ダンの楽曲でマイケル・マクドナルドが初めて参加した曲でもある。歌詞の面でもこの曲は、ニューヨーク出身の彼らがロサンゼルスに取り残されたような、超現実的な疎外感を見事に描き出している。その狂気はあまりにも深く、主人公がまるで精神病棟の中から歌っているかのようにすら感じられる。 —J.D.

12位「Do It Again」(1972年)

「Do It Again」は、スティーリー・ダンにとって2枚目のシングルであり、初めてチャート入りを果たしたヒット曲。
チャチャ風のスムースなビート、フェイゲンの煌めくキーボード、そして創設メンバーであるデニー・ディアスによるエレクトリック・シタールの切れ味鋭いソロが、6分間じっくりと燃え上がるようなグルーヴを生み出している。この曲は、当時のポップミュージックの常識から大きく外れた、彼らの特異なセンスを世に知らしめるものだった。それだけでなく、どうにも運に見放された無法者を描いた、二人称の語りによる気まぐれな物語構成も異色。とはいえ、何もかもが信じられないほどクールに響くのがこの曲のすごさであり、それこそが、スティーリー・ダンという20世紀屈指の”あり得ない音楽的成功物語”の始まりとして、あまりにもふさわしい。 —H.S.

11位「Babylon Sisters」(1980年)

スティーリー・ダンのファンなら誰もが一度は自問することになる——「『Gaucho』で、ベッカーとフェイゲンはやりすぎたんじゃないか?」。その問いへの答えは、このアルバムの冒頭曲「Babylon Sisters」が278回もミックスし直されたという事実が雄弁に物語っている。だが、彼らの完璧主義は見事に報われた。「Babylon Sisters」は、ジャジーで奇妙、だけどクセになるイントロダクションだ。ドラマーのバーナード・パーディによるシグネチャー・グルーヴ”ハーフタイム・シャッフル”と、パティ・オースティンとレスリー・ミラーによるコーラスが、あの悪名高いサンタアナの風の危険を警告する。フェイゲンはこう歌う。〈友だちが言うんだ/”あんな綿菓子みたいなのはやめとけよ/火遊びしてるようなもんだぜ”〉——誘惑と過剰が支配する『Gaucho』という作品全体を象徴するような一節だ。 —A.M.

10位「Black Cow」(1977年)

恋人がドラッグに溺れて堕ちていく姿を嘆く——そんな暗いテーマを、ここまでゴージャスかつファンキーに仕上げられるのは、スティーリー・ダンだけだ。この曲のグルーヴはシルクのように滑らかで完璧。のちにLord Tariq & Peter Gunzの全米トップ10ヒット「Deja Vu (Uptown Baby)」でサンプリングされたことでも知られ、その際フェイゲンとベッカーは著作権使用料100%を冷徹に主張した。バックボーカルにはクライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズ、シャーリー・マシューズ、レベッカ・ルイスといったセッションの名手たちが参加し、さらにトム・スコットのソウルフルなテナー・サックスが物語に深みを加える。舞台はニューヨーク・ヘルズキッチンの場末のバー「ルディーズ」。〈とてもハイな〉一夜の出来事が、ニューヨークのきらびやかさと泥臭さを併せ持つサウンドで描かれる、スティーリー・ダンならではの傑作。 —H.S.

9位「Gaucho」(1980年)

〈説明してもらえます?(Would you care to explain?)〉——これは語り手のセリフであると同時に、聴き手の心の声でもある。アルバム『Gaucho』のタイトル曲は、答えよりも疑問を数多く残す謎めいた一曲だ。”カスタードーム”の高みにて、〈スパンコール付きのレザーポンチョ〉を着たガウチョが登場し、奇妙な空気を運んでくる。その不可解さを中和してくれるのが、トム・スコットのサックスと、故ジェフ・ポーカロの繊細なドラムプレイ。この曲は、鍵盤奏者のキース・ジャレットとの訴訟問題にもなった。彼が1974年に発表した楽曲「Long As You Know Youre Living Yours」と酷似しているとして提訴されたのだ。それでも「Gaucho」は、謎めいた歌詞世界にどっしりと腰を据えながらも、楽曲としてはきらめくように美しい。これぞまさに、スティーリー・ダンの真骨頂。 —A.M.

8位「My Old School」(1973年)

最近のスティーリー・ダン好きの中には、『Countdown to Ecstasy』を彼らの最高傑作だと考える人々を信じられないと思う者もいる。そんな懐疑派への最良の反論がこの曲、「My Old School」だ。この曲は、AMラジオのチープなスピーカーで爆音にしても映えるように設計されたグルーヴに、これでもかというほど頭脳的で毒舌な皮肉が詰め込まれている。フェイゲンとベッカーが大学時代(バード大学)のゴシップを題材に、過激でユーモラスな言葉遊びを炸裂させている。(エルヴィス・コステロのキャリアはこの曲から始まった?)。「My Old School」は、スティーリー・ダンがまだ”1960年代のジャズコンボ”ではなく、”1950年代のアトランティック系R&Bバンド”になりたがっていた初期だからこそ生まれたロックチューンだ。フェイゲンが〈スモーキン〉と唸るその瞬間、彼がボーカリストとしてもピアニストとしても最高に楽しんでいるのが伝わってくる。この曲の「古き学び舎」にはもう戻ることはなかったかもしれない。でも、彼らはそこでしっかり”卒業”している。 —R.S.

7位「Peg」(邦題:麗しのペグ 1977年)

フェイゲンとベッカーの伝説的なスタジオ完璧主義は、「Peg」で頂点に達した。特に有名なのは、ギターソロの録音に際して多数のスタジオの名手たちが挑戦したにもかかわらず、なかなか”決定版”が出なかったというエピソードだ。(「ギタリストたちは皆、即興はうまかった。でも僕たちは”完成された一節”が欲しかった」とフェイゲンは後に語っている。)最終的に採用されたのは、ジェイ・グレイドンによる勝ち抜きテイク。揺れるようなベンドや、すっとかわして回転するようなリックが決め手となった。そのソロにチャック・レイニーの跳ねるようなベースライン、マイケル・マクドナルドによる4重録音のコーラスが重なり、スティーリー・ダン史上最も”耳においしい”楽曲のひとつが誕生する。そしてスティーリー・ダンらしいのは、その極上のサウンドが、50年代ロサンゼルスの〈薄汚れたフォトセッション〉を舞台にした、名声の危うさを描く曖昧で不穏な歌詞と見事にぶつかり合っていることだ。 —H.S.

6位「Doctor Wu」(1975年)

「Doctor Wu」は、おそらく薬物による無気力をテーマにした楽曲の中で最も荘厳で美しい一曲だ。舞台は、マイアミのビスケーン湾に漂う薄汚れた光の中。そこに描かれるのは、絶望のなかにある優雅な静けさ。フェイゲンが歌うのは、男と女、そしてヘロインの三角関係。〈ケイティ〉が裏切ったのか、それとも〈クスリ〉がそうさせたのか——その核心はぼかされており、だからこそ痛々しい。内容は容赦なく暗いが、切迫した緊張感で描かれるその物語は、フィル・ウッズの圧倒的なサックス・ソロでクライマックスを迎える。この底知れぬ曖昧さと、異様なまでの普遍性の証として、「Doctor Wu」は1984年、L.A.のパンクバンド、ミニットメンによって1分45秒のポストハードコア風にカバーされても、その力強さをまったく失わなかった。 —J.D.

5位「Aja」(邦題:彩(エイジャ) 1977年)

『Aja』の壮大なタイトル曲について、ベッカーは「時空を超える旅」と評した。物語の主人公は、どこか異国趣味的に美化された避難場所——〈丘の上〉にあるその地を渇望している。語り手が語る〈バニヤンの木の下に流れる中国音楽〉や、〈角張ったバンジョーの音色〉といった描写には、スティーリー・ダンらしい”ゾワっとする感覚”があるが、音楽面ではジャズとプログレが絡み合う濃密な展開が続く。とりわけ、長大なブリッジ部分は、スティーリー・ダン楽曲の中でも屈指の衝撃的な音楽的瞬間だ。ウェザー・リポート全盛期のウェイン・ショーターによる堂々たるサックスソロに、スティーヴ・ガッドの畳みかけるようなドラム・フィルが応戦し、圧巻の音世界を築き上げている。 —H.S.

4位「Rikki Dont Lose That Number」(邦題:リキの電話番号 1974年)

この曲はマリファナのことを歌っているのか? 特に〈自分宛てに出す手紙〉の部分なんてそう思える。または、フェイゲンの大学時代の既婚女性への淡い恋心だったのかもしれない。『Pretzel Logic』に収録されたこの謎めいた詞の世界は、スティーリー・ダンのデビュー時の魔法を再び呼び戻した、彼らにとっての「Ode to Billie Joe」(※ボビー・ジェントリーによる1967年の謎めいた物語性を持った曲)とも言える存在だ。フェイゲンの声にほんのりと漂う鼻にかかった皮肉な響きがあっても、「Rikki」はスティーリー・ダンの中でも最も優しく、誠実な作品のひとつ。シンプルなピアノコードで始まるこのイントロは、ポップス史の中でも指折りに”すぐにわかる”導入部であり、その音楽的な魅力も計り知れない。当時のソフトロック的ななめらかさを持ちながらも、時代に縛られない新鮮さをいまだに保っている。謎に満ちた歌詞、そしてジェフ”スカンク”バクスターのギターソロが、この曲にミステリーと鋭さを添えている。そしてセッション・ドラマー、ジム・ゴードンが——彼が理性を失い、母親を殺める以前に——この曲で見せた演奏は、彼の最も繊細なプレイのひとつだった。 —D.B.

3位「Dirty Work」(1972年)

「Dirty Work」は、フェイゲンとベッカーがブリルビルディング系の職業作曲家としてのキャリアを歩んでいたかもしれない……そんな”別の可能性”を垣間見せてくれる一曲だ。初期フロントマン、デヴィッド・パーマーの滑らかな歌声は魅力的だが、それでもこの曲の根底にある”ダンらしさ”は隠せない。内容は、不倫関係における〈もう一人の男〉の視点から語られる、どこか哀しみと後悔に満ちた物語。〈中世の盤上ゲームの片隅にある城のように〉という、フェイゲンとベッカーにしか思いつかないようなマニアックな比喩。そして、ゆったりとしたテナー・サックスソロを吹くのは、ジャズ界の名手ジェローム・リチャードソン。発表から半世紀が経った今でも、「Dirty Work」はソフトロック系のラジオに流れてくるどんな曲よりも、心にしみる哀愁と静かな力強さを放っている。 —H.S.

2位「Kid Charlemagne」(邦題:滅びゆく英雄(キッド・シャールメイン) 1976年)

「Kid Charlemagne」は、LSD製造で知られ、グレイトフル・デッドのサウンドエンジニアでもあったオウズリー・スタンリーの逸話を下敷きにした、”アウトロー寓話”。1960年代カウンターカルチャーの栄光とその末路の恥辱を描いたスティーリー・ダン流の物語だ。曲は、活気あふれるロックナンバー。跳ねるようなクラヴィコードに乗せて、ラリー・カールトンによる殿堂入り級のギターソロが炸裂する。フェイゲンは、この物語をあたかも”ヒッピー・ノワール”として語る。〈ダイヤとパールが交差し、テクニカラーのキャンピングカーが滑稽に崩れていく〉——そんな映像的な描写の中、コミカルな混乱も垣間見える。〈車にガソリン入ってる? 入ってるよ!〉といったやり取りは、まるでブラックコメディだ。だが真に切ないのは、かつて”顔にペイントをしていたデイグローの奇人たち”が迎える結末だ。〈彼らもついに人類の一員になった/何も変わらないさ〉——これは、理想が崩壊し、時代が終わったことを宣告する冷酷な一節。スティーリー・ダンの中でも、最も鋭く、最も完成された「時代の終焉」の歌である。 —J.B.

1位「Deacon Blues」(1977年)

ウォルター・ベッカーはかつて「Deacon Blues」の主人公について、こんなふうに語っている——その人物は〈サックスを吹けるようになりたい〉と願っているが、実際にはミュージシャンではないのだと。「彼は”敗者としての神話的な生き方”のひとつとして、それに憧れているだけなんだ」とベッカーは説明している。スティーリー・ダンの楽曲の中で、「Deacon Blues」ほど自己欺瞞と自己破滅という、独特に男性的な感情の入り混じったカクテルを体現している曲はない。たとえば、〈一晩中スコッチウイスキーを飲んで/ハンドルの前で死ぬ〉といったセリフのように、笑えるようでいて、静かに心を打つ——そんな両義性こそがスティーリー・ダンの真髄だ。

この曲は、7分半にわたるエレジーのようなジャズ・ポップとして展開される。”ディーコン・ブルース”というヒップでスポーツチームのようなあだ名を名乗り、〈誰にも知られていない自分〉が永遠の存在になろうとする——そんな叶わぬ夢にすがる”なりたかった誰か”の最後の舞台。そして、実際にこのトラックでサックスを吹いたピート・クリスリーブは、後に「30分で終わったんだ。そのあと、世界中の空港のトイレで自分の音を聞くことになるなんてね」と語っている。それもまた、スティーリー・ダン的なオチかもしれない。 —H.S.

From Rolling Stone US.
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