対談前に - クロダセイイチコメント
一店舗目の千歳烏山ロフトオープンから50周年を迎えたLOFT。そのLOFTを作った平野悠氏と対談をする機会をもらった。
10代後半に上京し、毎月欠かさず読んでいたLOFTのフリーペーパー「Rooftop」で連載していた平野氏のコラム「おじさんの眼」のファンであったが、実際にはどのような方か分からずにいた。この対談を前に平野氏著の『ライブハウス「ロフト」青春記』を読み返した。山下洋輔、坂本龍一、山下達郎、鈴木慶一、矢野顕子、忌野清志郎、サザンオールスターズ……読めば読むほど関連するアーティストの凄さに今回の対談が怖くなってくるのを感じていた。しかし始まってみると、とても楽しい対談で1時間があっという間。気づくと予定時間をゆうに越えていた。
今回の対談は平野氏がLOFTを続けていく中で起こったいろいろな出来事への感情や、私と平野氏が共通に持つ悩みについて気持ちをぶつけてみた。対談を終えて感じたのは、平野氏の持つ懐の深さだった。是非最後までご覧下さい。
天下を取りたかったけど、一軒の店を守ることにもうらやましさがある
クロダ:実は、平野さんが週1回配信していたClubhouseのリスナーでした。ライブハウス「ロフト」の歴史はもともといろいろなところで目にはしていましたが、そのときどきにどういう思いで制作をしてきたか、という平野さんご自身のお話しがとてもおもしろくて。音楽関係者でも聞きたい方がたくさんいると思ったので、今回、対談をお願いさせてもらいました。
平野:Clubhouseを聞いてくれてたの?俺自身もなんでライブハウスを作っちゃったのかよくわからないんだよな(笑)。50年前にはライブハウスなんて日本に一軒もなかったから、ジャズ喫茶「烏山ロフト」の常連が、「今、ライブができる場所を作ったら天下取れるよ!」なんて言うから乗せられて、「おもしろそうじゃん!」って思っちゃったんですよ。
クロダ:本にはお店のレコードは300枚って書いてあったんですけど、枚数を盛ってたんですか(笑)?
平野:そうだよ、本当は50枚しかなかったんだよ(笑)。それでも平気な顔してジャズ喫茶って名乗ってるんだから、そりゃお客さんも怒るよね。だけど、「あなたの好きな作品を教えてください、次までに勉強しておきます」ってひとりひとりとコミュニケーションをとってさ、それでだんだん人が遊びに来てくれるようになったの。顔と顔を合わせてコミュニケーションをとる時代だったんですよね。お客さんからいろんな音楽を教えてもらっているうちに、日本のフォークもおもしろいなと思ったんだけど、どこに行ったら見られるんだと思ったらどこにもないんだよな。
クロダ:当時のフォークミュージシャンって、どこでライブをしてたんですか?
平野:自分たちのコミュニティだけだったね。一方ではメジャーフォークも流行っていたけれど、そこから外れた人は手弁当で自分たちでどこでも行くしかなかったんだよ。だから、「じゃあ俺がライブができる場所を作るか」って思ったんですよ。マイクスタンドの立て方もわからなかったのに。
クロダ:50枚のレコードでジャズ喫茶をオープンするとか、マイクスタンドの立て方がわからないけどライブハウスを作るとか、平野さんが突き進むときにサポートする人がまわりに必ずいるっていうのもすごいですよね。
平野:とにかく常連に助けられたね。ただ、それは日常での地盤があったからかな。普段からみんなと政治問題・学校・音楽とかいろんなことを話していると、だんだん人が集まってくるんだよ。その人たちに、「今はなにがおもしろいの?」って聞いて、じゃあその人を呼ぼうかって盛り上がるのが楽しかったですね。でも、そこが原則ですよ。
クロダ:ピュアなあり方ですよね。
平野:でも、当時はライブなんてとにかく人が入らなかったし儲らなかったから、ライブは週末しかやってなくて。平日に始発までやっていたロック喫茶が儲かったんですよ。体力的には大変だったけど、自分の店だからなんでもやりますよ。そうやってライブを続けていたら、深夜放送に取り上げられ始めたわけ。それがおいしかった(笑)。

クロダ:俺は茨城県出身なんですけど、上京前はネットもなかったから紙媒体で東京の音楽情報を収集していました。でも紙だと音がわからないから、深夜テレビのコアな音楽情報はとても重要でした。20年前に東京に出てきて、「ロフト」の名前はもともと知っていて憧れのアーティストもたくさん出演していたので自分のなかで敷居が高かったですね。これだけ長い間、続けられたのってなぜですか?
平野:ライブハウスがあることによって、いつも新しい音楽を知ることができたからかな。僕らがやっていることって、20人から多くても500人くらいの人数しか集められない。でもそれで十分。僕らが支持する音楽を、腰を据えて聴けたし、この場所から新しいものが生まれるんだっていう信念を持ち続けてきたから。「ロフト」がなぜ50年も続いたかっていうと、楽屋もない時代からミュージシャンと一緒に手作りでライブを作り続けてきたし、ライブ後のセッションからバンドが作られていくのを見てきたし、客が数人しか入らなかった時期を一緒に越えてえてきたっていう自負があるからかもしれないな。
クロダ:自分もミュージシャンなので、コロナ禍でライブハウスがどんどん閉店していくなかで箱を維持してくれるっていうのはとてもありがたくて嬉しいです。ただ、今の「新宿ロフト」くらいの規模になってしまうと、当時の平野さんのスタイルはなかなか難しくなってきませんか?
平野:難しいよ、できないもん。「ロフト」は大きくなりすぎたの。
クロダ:これだけライブハウスを大きくしても、やっぱりうらやましいと思うんですね。
平野:そりゃ、うらやましいよ! 出演者との信頼関係があって、一軒の店をずっと守り続けてるんだから。でも、俺はやっぱり天下を取りたかったんだよな……一時期は「新宿ロフト」に出なくちゃロッカーじゃないって言われた時代もあったし、たしかに天下を取ったけれどさ。でもうらやましいんだから、矛盾してるよな(笑)。その落とし所としてトークライブハウスを作ったっていうのは大きかったかな。ミュージシャンとか知識人に出てもらって音楽ライブではなくてトークをするっていうのは、俺だからできたんだってちょっと思っていますよ。ライブハウスはさ、やっぱり演者とコツコツ仲良くなり続けていくしかないんだよ。
クロダ:今はタブーが多くて、これを言ったらまずいっていう制限が多すぎる気はしています。タブーのなかにこそおもしろいことが含まれているのに。そういった意味では「ロフトプラスワン」と同じくらい、平野さんのClubhouseはリスナーとしてハラハラしておもしろかったです。各店舗の家賃を言っちゃって、社員の人が慌てる様子とか(笑)。
平野:あはは(笑)。Clubhouseは全部消えちゃいますからね、なんだって言えますよ。でもさ、なんでビクつかなくちゃいけないんだって思うんだよ。「これは書かないで」なんて前置きをしてトークをするのはやっぱりつまんないんだよな。とにかく「新宿ロフト」を作る前まではロックで飯が食えるかって感じだったし、客より演奏者のほうが多いなんて日もたくさんあった。そもそも日本にライブハウスなんてなかったんだから、オープンしてからも、なにそれ?って思われるし、有名人が最初から出てくれるわけもない。
クロダ:日本で初めての場所を作ったんですもんね。運営していくうえでのジレンマってありましたか。
平野:うーん、僕たちにとっていちばんおいしいのは中途半端に売れる人ですね(笑)。だって売れたらいなくなっちゃうんだから、売れたら困るんだよ。ライブハウスは満員にするけど、ホールには移動しないバンドはずっと出演してくれますから、ライブハウスの宝は売れすぎない人!(笑)

日本の音楽の第一線にいたい
クロダ:『ライブハウス「ロフト」青春記』を読み返したんですけど、その中に出てくる音大生とのやりとりがすごくおもしろいんですよね。平野さん、その子のことを好きだったんですか?
平野:お手紙のやりとりをしただけだから、惚れた腫れたはないですよ。でもあのやりとり部分いいでしょ(笑)? ああいう書き方をしてしまったから、まわりからも、「平野さんってあの人と結婚するんだと思った」って言われたりもしちゃったけどね。僕たちはただの音楽好きだったんですよ。
クロダ:当時の平野さんは1年ごとにお店を作っていてそのたびにその音大生にお手紙を書いているんですけど、お返事のなかで、「平野さんは急いでいる感じがする」って言われてましたよね。
平野:僕はね、やっぱり天下を取りたいっていうのがあったし、日本の音楽の第一線にいたかったから。「西荻ロフト」を作ったときに、ここでは大きな音が出せないぞって焦って、ちゃんとロックができるような「荻窪ロフト」を作って、そこから新しい音楽がガンガン出たらもうそこでは人が収容しきれなくなって、そして下北沢に進出したんだけど、その頃って他のライブハウスが渋谷や銀座とかのターミナル駅にたくさん進出しだしたんですよ。僕はすごく焦ったわけ。俺たちは中央線沿いでずっとやってきたわけだから、このままだと「ロフト」は軽く負けるぜって。それで借金をして、焦って新宿に進出したんです。「新宿ロフト」を作ってやっとここだなと思いました。
クロダ:すごい勢いでお店を増やしていましたよね。音大生の方からは、「離婚されたつらさから逃れたいんじゃないか」とも指摘されていましたが……。
平野:それはありましたね、自分が悪いんだけど(笑)。男と女の関係は一回冷めちゃうともうだめだから。だから、仕事に集中するしか自分の気持ちの持って行き場がなかったんだよ。そこでがむしゃらになるしかないぞ、と。店を作るたびに借金をして、生涯でいちばんきつかった時代だね。
クロダ:それで突き進んでいくのに、最後には「自分は孤独願望症」とも書いていて。自分もそういうところがあるので、わかるなと思いました。でも平野さんって、いろんなことをやっていろんな人に会っているのに、それでも孤独に感じるナイーブなところがあるんだなと感じました。
平野:ひとりでいるとさみしいから人と会ったりするんだけど、ワイワイしたところにいると1時間で嫌になって逃げちゃうんだよ。結局、孤独でいるのがさみしいのに好きなんですよ。ひとりでポツネンとしているのがいい。ひとりで音楽を聴いて、酒を飲む。寂しいけど、ヒロイズムみたいに気持ちいいんです(笑)。


もうやめてくれと思いながらも、予定調和を超える衝撃がおもしろかった
クロダ:「新宿ロフト」ができたときはパンクが流行っていましたけど、実際の会場も異常な盛り上がりをしていて。無茶をする人ほどすごいものを作ったりするけれど、そこに向き合って付き合い続けていく大変さっていかがでしたか。
平野:俺は適当だからさ(笑)。うちの個性になっている白と黒の市松模様の床だって、黒いタイルが1つ足りなくてしょうがないから白と黒を順番に並べてればいいだろって適当にやっただけなんだよ、それがライブハウスの床は市松模様ってイメージが勝手についただけで。パンクも同じだよ。最初は単なるイギリスとかアメリカのモノマネだろって思って見ていたし。でも、それまで「ロフト」に出ていたニューミュージックの人たちがみんなメジャーに行って「ロフト」でライブをやる必要がなくなってきた時期なんですよ。そこで埋まらないスケジュールでパンクをやりだしたら……おもしろかったんだよな。しかも客が入る。もうやるしかないよ(笑)。もしかして、借金がなかったら「ロフト」でパンクはやっていなかったかもしれない。純粋に、好奇心と借金。
クロダ:「ロフト」のスピーカーがよく飛んでるっていう話しは聞いてました。スピーカーってそんなに飛ぶのかなって(笑)。
平野:あはは、よく飛んでたね(笑)。音を出しすぎてめちゃくちゃなの。1発直すのに4万とかかかるのにさ。
クロダ:自分で払っていたんですか?!
平野:そうだよ、ミュージシャンにお金なんて請求したくないし自分のポケットマネーからはらって。まぁ当時はライブハウス黎明期だったよね。パンクの連中に店が壊されていくのも腕組んで楽しく見てたよ。「おいおい机壊すなよ」って思いながら。すごいんだから、スピーカーは飛ぶし机はなんども壊れたしコップは割れるし(笑)。

クロダ:自分自身もいろいろな方と作品制作やライブをしているんですけど、みなさんいろんな意味でパワーがすごくて(笑)、大変なことが多いです。でもその反面、パワーのある人って自分のイメージを超えるような新しくて感動するものを持っている。そういうところに触れると、大変だけど頑張るか……って思ってしまうんですよね。
平野:そうだよな。あまりにもめちゃくちゃなライブの翌日なんてさ、店員がみんないない日もあったんだから!もうこんなところでは働けませんって(笑)。俺はもう頭かかえちゃって……。でもやっぱり、「なんじゃこりゃ!」っていつも驚いていたいわけ。だからもうやめてくれと思いながらも、結局はどこかでおもしろく思ってたね。
クロダ:その覚悟を持てるかどうかですよね。作品を作ることと、ライブハウスを続けることは少し似ているのかなと思いました。
平野:やっぱりね、はみ出してしまうようなやつらがライブできる場所がないとだめだよ。予定調和だけじゃつまんないから。
クロダ:西新宿はその当時のイメージが強くて、とにかく危ない場所っていう印象でした。でも、それが町全体のカルチャーになっていきましたよね。
平野:そうそう、今はもうないけど、当時は周辺にレコード屋さんが40軒くらいできたからね。
クロダ:音楽が文化になっていく道すじを「ロフト」が作ってきたんだなと思います。
平野:日本で一台もないスピーカーを輸入して、ちゃんとしたステージのある大型ライブハウスとして、「新宿ロフト」を作ったことで、「ロフト」というかライブハウスとロックバンドがやっと市民権を得たと思うんですよ。日本のロックの雰囲気を変えたっていうのは自信を持っている……なんて、また偉そうに言っちゃった。まぁ、何度も言うけど単なる好奇心だよ(笑)。
クロダ:その好奇心がライブハウスの基盤を作ったんですね。今のライブハウスに思うことはありますか?
平野:今の若い人がロックを聴かなくなってきたし、YouTubeで十分だから生のライブなんて必要ないって人も増えて、ライブが見てもらえなくなって……ネットだけで音楽が成立してしまう危機感はもっていますね。そんなばかなって思いますよ。だってさ、音楽は音圧を体感して自分の心に打ち込んでいくことで始まる世界だから。いくらいいイヤホンやいいヘッドフォンでひとりで音楽を聴いても、それがどんなにいい音だろうが僕はやっぱりライブに行きたくなるんですよ。むしろ、今はハードなロックが聴きたい。ライブは耳じゃなくて体で受けるものだから。それで、舞台とフロア、それからライブ後にバーカウンターや喫茶店に寄り道してその日のライブのことを話す。音楽には、ライブのことを振り返る時間っていうのが必要なんですよ。
