1924年11月5日、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が紫禁城(皇宮)を退去した。

 1911年に起こった辛亥革命によって、約300年にわたる清朝の歴史は幕を閉じ、中華民国が成立した。


 溥儀は皇帝の座を退いたものの、中華民国が制定した「清帝辞位後の優待に関する条件」によって、引き続き「大清皇帝」の尊号を与えられ、それまで通り大勢の宦官とともに紫禁城の内廷に住まうことを許された。また、年金として毎年400万両が支給されたほか、皇室の私有財産の保護も約束された。

 しかし1924年秋に第二次奉直戦争が起きると、直隷派軍閥の馮玉祥が、敵の奉天派に内応して北京で軍事クーデターを発動。この際に馮玉祥は溥儀を紫禁城から追い出した。

 11月5日午前、馮玉祥が派遣した「国民軍」が紫禁城を取り囲み、皇室に対する優待条件の破棄を伝え、3時間以内に退去するよう要求。溥儀らは大慌てで荷物をまとめて紫禁城を後にし、後海のほとりにある生家「醇親王府」に戻った。

 その後、溥儀は日本公使館の庇護を受けることとなる。3カ月後には天津の日本租界区に移り、やがて満洲国皇帝として復活する激動の人生を歩んでいく。(編集担当:梅本可奈子)

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