――訪中を重ねられているそうですね。
海部:最近では、4月中旬に江蘇省の南京市に行ってきました。日本と南京市の結びつきといえば、いわゆる南京事件が原点のように扱われる。事件の記念館がある。日本人としてはひっかかるが、あるものはしかたない。ただ、他にもなにか、心が通いあうものがあるべきです。
実は、5年前に、南京市内に桜の山を作ろうとの計画が始まりまして、南京出身で、日本在住の書道家である劉洪友という方が努力されている。日本側としても何かしなければということで、協力することにしました。
名称は和平友好桜花園で1万本の桜を植える計画です。現在までに8000本を植えました。
この和平友好桜花園には10棟ほどの建物をつくって、日本の茶道や武道、舞踊などを紹介する予定です。これまで日本文化を発信する機会が多いとはいえなかった。よい試みだと思います。
南京から帰った2週間ほど後には、北京を訪れました。万里の長城で観光スポットになっている八達嶺の下の方で、1993年に100万本の植樹計画が始まりまして、それが今年、完了しました。日本も協力していて、私は93年の開始時に招かれ、1本目を植え、計画完了の今年にも招かれ、最後の1本を植えました。ここでも、題字を頼まれました。自分の文字が石に刻まれるというのは、ちょっと恥ずかしいですがね。
中国との関係では、1990年代の早い時期から、環境問題に力を入れています。1992年に日中環境シンポジウムがあり、その際北京大学に環境にかんする書籍を寄贈しました。海部文庫という形になっているはずです。当時の中国では、関連資料が乏しかったのです。そんなことから、北京大学の名誉教授にしていただきまして、日本語を学ぶ学生などを対象に、講演することがあります。
質問を受けつけると、昔は盛んに手があがった。山一証券が破たんした際など、かなり専門的な質問もあった。株式などについて、関心が高かったのですね。ただ、最近はあまり質問が出ない。そこで、こちらから質問をすることにした。辛亥革命を成功させた孫文を支援、応援した日本人がいたことを知っているかと聞いたんです。ところが、知らないのですね。
――日本人としては、知っておいてほしい話です。
海部:台湾ではもちろん、中国大陸でも孫文は評価され、尊敬されています。1911年に勃発し、数千年続いた帝政が集結した辛亥革命といえば、日本の明治維新に相当する。そして、孫文の「大アジア主義」に共鳴し、革命を応援した日本人も多かった。
口先だけで応援したのではありません。梅屋庄吉という実業家は、今でいえば1兆円以上の金を資金として提供した。「こういう話があるのだが、知っているか?」と尋ねても、学生は「知らない」、「聞いたことがない」という。
中国人が誇りとする孫文を支援した日本人がいた。互いにわだかまりなく話せる歴史の逸話です。日本の政治家も、こういう話を知り、もっと語ればよいと思うのですがねえ。中国でスピーチを求められる際、私はこういった、話をするようにしています。
日本と中国が仲よくするには、身をもって示すことが必要なのです。
南京訪問中、雲南省が干ばつで、相当に困っているという話を聞いたので、旅先のことで持ち合わせの分だけだったが、ポケットマネーで義援金も出しました。大きな顔で自慢できるほどではないかもしれないが、個人的にでもできることはしましょうというのが、私のやり方ですね。(編集担当:如月隼人 聞き手:有田直矢 サーチナ常務取締役 共同制作:人民網日本株式会社)
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