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古屋:中国で、民間資産の85%が人口の10%である富裕層や中間層によって占められている、というショッキングなデータが最近発表されました。
――それほどまでに富が偏在したのでは、大きな不満を持つ人も増えるでしょう。
各地で反政府暴動が頻発しています。10月末、ウイグル族の反乱が北京でありましたが、この事件の重要なポイントは、いままで新疆の自治区内で起きたことが、とうとう自治区外で起きてしまったという点です。
ウイグル族の反乱が新疆の地方区から全国区になったということは、今後もっと大変な事態が起きる可能性をはらんでいることを意味します。事件が、5年に1度の共産党中央の重要な会議である三中全会(注1参照)開催(11月9-12日)の直前を選んで起きたと新聞では報道されています。
もちろんそうした側面もあるでしょうが、もっと重要な点は「暴動の全国区化」でしょう。
北京で起きたことで今回の事件は全国区になりました。重要会議を狙ったのであれば一過性の事件になってしまいます。事件後、党執行部は類似の事件の再発と拡散を念頭によりいっそう警備を強化しています。
――なんで、そういうことになってしまったのでしょうか。
古屋:成長という名の一本道をわき目もふらず驀進(ばくしん)し、後を振り返ることがなかったからです。まさに「向前看」(シァンチェンカン=前を見る、注2参照)ですね。
前しか見ない民族はどこか危うい感じがします。成長の過程でマイナス面が出てきたことは誰の目にも明らかでしたが、党や政府は充分に配慮しなかった。共産党による一党独裁の政治システムをチェックする健全な野党勢力が存在していないことにも一因があります。
中国には共産党以外に8つの政党がありますが、みんな共産党の補助機関。
富の分配が不公平な構造になっていることが大きな背景にあります。既得権益層など党や政府、大企業の幹部などに富が一極集中し、彼らが成長の果実を独占してしまっているのです。
中国がどうして大国になったのかといいますと、それは輸出と投資の二人三脚が効を奏したからです。好調な欧米経済に支えられて中国の安価な工業製品が大量に輸出された結果、中国は巨額の外貨を手にすることが出来ました。
それに加え、鳴り物入りの公共投資を大々的に行うことで富の増量を図った結果が世界第2位の経済大国です。しかし、こうした輝くような時代はいまや過去のものとなりました。
まず輸出ですが、欧米諸国が中国の工業製品をかつてのように大量に買ってくれなくなりました。彼らの経済が変調を来したからです。リーマンショックやギリシアショック以降、外需に依存した経済成長に限界が来たということです。
投資も転換期を迎えています。ずさんな投資が多くなっています。高速道路や鉄道、飛行場など無駄な投資が最近目立つようになりました。借金してこうした公共事業を行ってきた地方政府は借りた金の返済に苦しんでいます。
以前と比べ投資効率が著しく低下していることも投資依存の政策に限界が来たことを示しています。公共事業はまた、役人の腐敗の温床でもあります。
当初の予算が100%事業に使われるとは限りません。途中でお金の一部が“蒸発”して役人の掌中に落ちる。最近では地方政府の資金源となってきた影の銀行問題が明らかとなり、公共事業の不透明性が明らかになっています。
なぜ地方の役人は公共事業に手を染めるのか。それは、公共事業をやれば手っ取り早く経済成長できる。それによって自身の出世をもぎ取ることが出来るし、自分の懐にカネが入ります。
――それでは、中国経済に出口はないと……
古屋:いや、そんなことはありません。中国に残された「最後の切り札」は個人消費を核とする内需振興です。輸出と投資が頼りにならなくなった現在、中国政府は個人消費を増やすことに力を入れなければなりません。政府はこのことに気付いて、努力をしているのですが、実効があがっていません。
どこの国だって消費が伸びないと経済は成長しないし、それどころか逆に停滞します。日本だってそうだったでしょう。過去20年間、消費が低迷し、デフレスパイラルに落ち込んで苦しみもがいたではありませんか。中国だって隆々たる消費がないと、先進国の仲間入りはできません。個人消費の伸びこそ、成長の持続性を担保する鍵なのです。
成長モデル転換の必要性を痛感して、全力で取り組もうとしているのが李克強首相です。その政策はリコノミクスと呼ばれています。
――うまく、いくでしょうか?
古屋:5分5分ですね。内需拡大の足かせがいくつもあるからです、これらを1つ1つ解決していかねばなりません。それには先ず、貧しい人々の所得の底上げを図らなければなりません。そして、人々の将来への不安を払拭(ふっしょく)する必要があります。(つづく)
●注1:
<三中全会>
中国共産党は5年に1度、秋に開催される党大会で中央委員会を選出する。中央委員会は選出直後に全体会議を開催する。これが第1次中央委員会全体会議で「一中全会」と呼ばれる。翌年3月の全国人民代表大会の前に共産党中央委員会は再び全体会議を開催(二中全会)。同年秋には「三中全会」を開催する。「三中全会」は前年秋に発足した政権が政策の方針を示す、極めて重要な政治イベントだ。
●注2:
<向前看(シァンチェンカン)>
中国語で「前を見るの意」。
【プロフィール】
古屋 明(ふるや・あきら)
1947年生まれ/1972年3月 東京外国語大学中国語科卒業
72年4月 伊藤忠商事(株)自動車第二部/80年4月 中国室機械チーム/84年5月上海事務所副所長(兼)機械部長/89年10月中国室機械チーム
92年9月 大連工業団地投資(株)取締役(東京駐在)/93年10月 伊藤忠商事(株)大連事務所長/1994年8月 大連事務所長(兼)伊藤忠(大連)有限公司総経理
97年4月 海外市場開発部アジア・中国・大洋州室長代行/98年7月 海外・開発部アジア・中国・大洋州室長/2001年4月 海外市場グループ長代行(兼)中国室長
06年10月 伊藤忠中国総合研究所 代表
07年4月 亜細亜大学非常勤講師(-現在)
08年4月 中央競馬会・競馬国際交流協会評議員(-現在)
11年10月 日中経済貿易センター特別顧問(-現在)
13年4月 伊藤忠商事(株)伊藤忠中国総合研究所顧問(-現在)
(聞き手・構成:如月隼人)