太平洋戦争に従軍してフィリピンのルバング島でゲリラ戦を展開し、上官の「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ」との命令を守り、終戦から29年目になる1974年までジャングルに立てこもった小野田寛郎さんが16日に死去した。
中国メディアも小野田さんの死と略歴を報じた。旧日本軍の軍人に対しては「どんな行いでも非難で炎上」することが多い中国のインターネットだが、小野田さんについては、称賛のコメントが目立つ。

 人民日報系で愛国論調が「売り物」であり、中国版ネット右翼とも言える読者の書き込みが多いニュースサイトの環球網も、「話題:第二次世界大戦の日本軍少尉が死去。連合国軍の投降命令を無視して29年間、頑強に抵抗」との見出しで、小野田さんの死を報じた。

 記事は、小野田さんの経歴を「1922年3月に日本の和歌山県海南市で生まれた。1944年に陸軍中野学校二俣分校に入学し、ゲリラ戦と情報戦の訓練を受けた。卒業後はフィリピンのルバング島という小島で任務を遂行」、「1945年に日本が降伏したとの米軍のビラを見たが、内容と日本語がおかしいとして信じず、米軍の投降勧告を拒絶して、作戦を堅持した」などと小野田さんの経歴を簡単に記載。

 1974年に日本人冒険家の鈴木紀夫さんに発見された際にも「指揮官の命令がなければ投降はしないとの姿勢を貫いた」と紹介した。

 日本時間の17日午後10時までに同記事に寄せられたコメントは十数件とそれほど多くないが、大半が小野田さんを称賛するものだ。

 「この方は、すばらしい日本人だ」、「敵ではあるが尊敬せずにいられない」、「29年頑張った老兵。ジャングルを探検する勇者(中略)これらのひとつひとつが日本の強大さを構成しているのだ」、「政治や戦争という要素を別にして、これは尊敬するに値する軍人だ。われわれには、このような人物が欠けている。
日本の武士道精神は本当に、恐るべきものだ」などの書き込みが見られる。

 なお、中国人が日本人にまつわることについて「恐るべき」との形容をする場合には、日本人が持つ責任感や公共心について「どうやったら、そのような状態を達成できるのか。中国人にとっては、極めて困難」との気持ちをあらわす場合が多い。

 同記事には、「私は日本人を心から恨むが、この老兵は心から尊敬する!!! われわれの相手に敬意をはらうことは、われわれ自身を尊重することでもある!!!」とのコメントも寄せられた。手放しに称えたのでは他の読者が反発すると考えた上での書き込みとみられ、やはり小野田さんを称賛する気持ちを表明したものと考えてよい。

 新華社、中国新聞社、環球網など中国の複数のメディアが、小野田さんの死を報じた。(編集担当:如月隼人)


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