台湾メディアの聯合新聞網は14日、高雄市山間部の六亀区に残る、日本人が戦前に残した「駐在所」の保存運動を掲載した。日本の統治下で樟脳生産のために使われていた駐在所で、53カ所あったため東海道五十三次の宿場の名がつけられたという。
現在も、同じ名で呼ばれている

 六亀区にある、日本統治時代に作られた樟脳生産のために作られた道は現在、山歩きの格好の場所として、人気が高まっている。全長71キロメートルで、1キロメートル強ごとに「駐在所」がある。山間部に住む台湾先住民が作業員を襲撃することもあったため、「対応」と「警戒」「避難」のために作られた警備道とその施設だ。

 避難所は53カ所あり、それぞれが「東海道五十三次」の宿場の名がつけられた。現在でも同じ名が使われている。聯合新聞網は「(駐在所名にある)日本橋でも、藤枝でも、沼津でも大津でも、日本には同じ地名が必ずある」と紹介した。


 東海道五十三次の名が用いられた理由については「日本人の望郷の念だろう」、「日本人にとって覚えやすかったのだろう」との見方を紹介。台湾の地で日本の地名が用いられたことについて、特に違和感を示さななった。

 聯合新聞網は「沼津駐在所」の現状を紹介。堅牢な檜造りで、周囲には耕作地だった平らな土地もある。しかし長年にわたり放置されたために建物は傷みが激しいという。12日から13日にかけての週末は、有志が集まって建物と周辺の整理を行った。
呼びかけ人は、「山歩きをする人は、悪天候の際の避難小屋として使う場合もあります。皆できちんと整理と保存をせねばなりません」と述べた。

 さらに「六亀警備道にある遺跡は、だんだんと消えています。とにかく古い建物を少しでも長く残したいのです。社会が広く重視してほしいですね。歴史は忘れてはならないのです」と述べたという。
(編集担当:如月隼人)(写真は聯合新聞網の14日付報道の画面キャプチャー)


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