中国では、三峡ダムが「核攻撃」などで決壊する危険性あると懸念する声が続いている。中国水力発電工程学会の張博庭副秘書長はこのほど、三峡ダムが核攻撃を受けた場合、「大きな穴が開いたとしてもダム全体が決壊することはない」、「下流で極めて大きな洪水が発生することはない」と説明する文章を発表した。
中国メディアの観察者網が報じた。

 張副秘書長は、三峡ダムは設計時から安全性について何度も討論と実験を重ね、結論を出したと紹介。重要なのは、同ダムが「重力式コンクリートダム」の方式を採用したことであり、「他の方式だったら、核攻撃を受けた場合、大規模な崩壊が発生する問題が出てくる」と説明した。

 重力式コンクリートダム以外の方式の場合、ダムの一部に穴が開いて強烈な水流が発生した場合、数分でダムが決壊する恐れがあるという。

 しかし重力式コンクリートダムの場合、力学的に、ダムの各部分がそれぞれ自らの重量で水をせき止めているので、一部に大きな穴が開いたとしても、「ダム全体が崩れてしまうことは絶対にない」という。張副秘書長は「下流で極めて大きな洪水が発生することはない」として、水利事業の専門家ならば、三峡ダムの方式として必ず重力式コンクリートダムを選択したはずと強調した。

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◆解説◆
 多くの中国人にとって大河川のダムや堤防の決壊は、想像するだけでも「現実味を帯びた恐怖」を伴う。まだ「記憶に残る過去」の事例があるからだ。

 日中戦争期の1938年、国民党軍は日本軍の進軍を食い止めるために、河南省・花園口で黄河の堤防を爆破して決壊させた。蒋介石も承認をした「作戦」だった。日本軍に知られないため、住民にも作戦実施を教えていなかった。国民党政府の発表では同作戦で89万3000人が死亡した。
また、390万人が住む家を失った。耕作が不能になったり、黄河の流れが変わって農業用水が不足したため、数年にわたり累計数百万人が餓死したとの見方もある。

 日本軍は、被災者をできる限り助けたという。その後に起きた「イナゴの大発生」でも、日本軍は食料を放出した。このため、河南省では多くの人が日本軍に協力するようになったという。

 戦後では1975年8月に、河南省・駐馬店で、淮河に築いたダムの連続倒壊事故があった。台風の影響で大雨が続いたところ、最も上流にあった板橋ダムが倒壊。濁流が発生し、下流の大小62基のダムが、次々に倒壊した。

 同事故では、約2万6000人が溺死し、数万人が死傷。救助に時間がかかり、数日間も水に浸かったまま取り残された人も多く、数十万人が感染症や飢えで死亡したとされる。

 ダムの連続倒壊の原因となった板橋ダムは1953年6月に完成。住民を動員しての「人海戦術」で、約2年間で完成させた。
その後もダムの規模をやや拡大するなどで、ダムの高さは24.5メートル、長さは1700メートルにした。同ダムは近代的なダムの工法も知らぬまま作られたとされる。決壊事故は「人災」だった。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:CNSPHOTO)


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