秦の始皇帝は中国の歴史上で初めて「皇帝」を名乗った人物として非常に有名だ。その始皇帝が不老不死の妙薬を求めて東へと遣わしたとされる「徐福」という人物について、中国では「徐福とその一行が日本人の祖先に違いない」と信じている人が存在する。


 中国メディアの百家号は11日、「日本人は徐福とその一行の末裔に違いない」と主張し、末裔でなければ「徐福が引き連れていたとされる3000人の青少年たちはどこへ行ったのか」と問いかける記事を掲載した。

 記事は、不老不死の薬を求めていた始皇帝が遠方へと頻繁に使者を遣わしていたのは歴史文献にも残されている事実であるとし、徐福は始皇帝に対して「東に仙人が不老不死の薬を持っている」と主張し、自分を遣わすよう自ら願い出た人物であると説明。当時、徐福は始皇帝の絶大な信頼を得ていたとされ、一度目の渡航は失敗に終わったものの、再度東へと遣わされたと伝えた。

 しかし、ここで着目すべきなのは「徐福が2度目の渡航で3000人もの青少年を伴っていたこと」であり、その後は始皇帝のもとに戻らず中国の歴史上から忽然と姿を消したことであると主張。ゆえに現在に至るまで徐福が辿った道については様々な説が語られ、「徐福がたどり着いたのは日本だった」という説が最も信ぴょう性のある説として信じられていると伝えた。

 結局のところ、徐福と3000人の従者の末路について真偽を確かめる術はないが、記事は「もし徐福がたどり着いて定住したのが日本であったとするなら、1人の中国人が日本の歴史にもたらした影響は多大なものになるだろう」と主張した。
また、徐福にまつわる話は少なくとも始皇帝の持っていた権力の大きさと、秦の航海術がいかに優れていたかを示す証拠になっていると論じた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


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