記事はまず、日本がかなり長い間「倭」と呼ばれてきたと紹介。中国の古い歴史書には日本のことが一貫して「倭」と記されているとし、卑弥呼について書かれた魏志倭人伝などを見ると、中国の当時の王朝などでは日本を「倭」と呼び、日本自身も「倭」を自称していたようだ。
では「倭」から「日本」に変わったのはいつなのだろうか。記事は、日本は「倭」を嫌い、国号を変えたいと思っていたものの隋が同意しなかったと主張。推古天皇が隋への国書に「日出づる処の天子」と称した際にも、隋の皇帝を怒らせただけで国号が変わったわけではなかったと指摘した。
ところが唐の則天武后の時代に、日本が再び国号を「日本」に変えようと使者を派遣したところ、折よく則天武后が酔っていたため同意を得ることができ、晴れて堂々と「日本」を名乗れるようになったと主張した。
記事の主張の細かい部分は推測の域を出ず、しかも、中国人の視点に過ぎない。だが、隋の時代は日本という国号ではなかったのは正しいようで、国号が「より早く太陽が昇る」という意味合いの「日の本(ひのもと)」から、「日本」になったのは唐の時代の頃ということで間違いはないようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
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