ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強...の画像はこちら >>

7月28日(月)の『週プレ』32号に約6年ぶりの甲本ヒロト×ゆでたまご嶋田対談掲載されるにあたり、2019年の記事をWeb配信!!

1987年、ひとつの伝説が生まれ、もうひとつの伝説が少し休憩をもらった。

その後、紆余曲折を経て、そのふたつは今、"伝説"でありながら、"現役"であることにこだわり続けている。

そして、彼らのその強い意思の横にはいつも"相棒"がいるのだ。
(*本記事は2019年11月29日に発売された「週刊プレイボーイ増刊『キン肉マンジャンプvol.3~「キン肉マン超人総選挙2019」TOP10の名シーンを振り返る~』」より転載したものです。ジャンプ酒場は現在閉店しております

■甲本ヒロト、ジャンプ酒場に降臨

ゆでたまご嶋田隆司(以下、嶋田) 実は今日(10月28日)、僕の誕生日なんですよ。59歳になりました(笑)。

甲本ヒロト(以下、甲本) そうだ、おめでとうございます! 先生はいまだに若いし、巨匠感みたいなものも一切出さないのがすごい。

嶋田 ヒロト君と出会ったのは僕らが『蹴撃手(キックボクサー)マモル』を描き始めた頃だから、たしか29歳くらいだったんですよ。

甲本 じゃあ、あれから30年ってことかあ。昔は僕の家でよく一緒に飲みましたよね。

ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強の相棒"がいるからできること」

嶋田 ヒロト君の家でのうちに僕が春(一番)ちゃんとプロレスごっこをやって(笑)。

甲本 それでうちのテーブルが真っ二つに割れたこともあった(笑)。

嶋田 ごめんなさい...(笑)。一緒にメキシコ行ったよね。

甲本 ルチャリブレ観に行った! あのとき、初日に成田空港で藤原組長(プロレスラー・藤原喜明)にバッタリ遭遇して僕らにビールをおごってくれたんですよ。

嶋田 そうそう! ヒロト君はその前の日もアニマル浜口さんの店に行って飲んでたでしょ?

甲本 スゴかったんだよ。飲んでたら浜口さんガラッと店に入ってきて「おお、今日は知らない顔もいるなあ」って。それで僕が「明日、ルチャリブレを観にメキシコに行くので前祝をしてるんです」って言ったら、「プロレスが好きなのか。わかった!」って、スーパーのチラシの白い裏面に「明日旅立つ若者たちへ。夢、夢、夢、夢!」ってメッセージを書いてくれて(笑)。

嶋田 アハハハハ! ちょこっと遊びに行くだけやのに(笑)。

甲本 当時、メキシコにはAAA(トリプレア)という新興団体があって、「潤沢な資本を持っていて、いい選手をいっぱい引き抜いて華々しく打ち出しているらしいから観に行こう」となって行ってみたら、なんかボロい会場でね。

それでも一応演出でスモークとか焚いてるんだけど、よく見たら段ボールみたいな箱にドライアイスを入れていて、水をちょろちょろっと入れながら後ろでうちわで扇いでる二人組がいて「なんだこれ!?」って(笑)。

嶋田 そうだった(笑)。しかも向こうって誰でも楽屋に入れるんだよね。

甲本 バリバリに売り出し中のスーパースターでオクタゴンってヤツがいるっていうんで「写真を撮ってもらおう!」って会いに行って、あとで写真を見たら鼻の穴の両方からすげえ量の鼻毛が出てて「バカボンのパパじゃん!」って(笑)。

嶋田 アハハハハ。

大小いろんな会場でルチャを見てね、どれも楽しかった。

■ヒロトとマーシー、よき"相棒"とは

甲本 そんな感じで僕はプロレスが好きだったんですけど、漫画も子供の頃から大好きで高校生の時に『キン肉マン』と出会ったんですよ。最初は「面白いギャグ漫画が始まったな」と思って読んでたんだけど、途中から泣ける漫画になってきたんですよね。

自分でも気づかないうちにそのモードに引きずり込まれていて「あれ? 俺、いつの間にかめちゃくちゃ好きになってる!」と気づいた瞬間があって驚いたんですよ。

嶋田 僕らはギャグが得意なんだけど、もともと泣かせる話というのも好きなので。

甲本 先生が子供の頃から描いていた『キン肉マン』は純粋なギャグ漫画ですか?

嶋田 そうです。

甲本 じゃあ、僕らが最初に読み始めた『キン肉マン』はその頃からの流れなんだね。初期に「シゲル」ってヤツいましたよね。

嶋田 いました。キン肉マンには王子の資格がないとキン肉大王から追い出されて、代わりにシゲルくんっていうのを連れてきたっていうオチで。

甲本 そうだ。よくそんな面白いことを思いつくなあ!(笑)。

ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強の相棒"がいるからできること」

嶋田 ヒロト君はマーシー(真島昌利)さんとずっと一緒にバンドをやっていて、お互いに"相棒"という存在がいますけど、僕はたぶんひとりだったら漫画家になっていなかったと思う。

中井君は僕がいくらめちゃくちゃな話を書いても、それを絶対に絵にしてくれるんですよ。たとえばアシュラマンの腕が6本あるとか、自分で絵を描くとなったらあんな難しい設定には絶対しない(笑)。

甲本 ひとりでやる場合とはリミッターの上限が違うんですね。

嶋田 とはいえ、デビューしたころは大阪で共同作業をしていたんですけど、相棒といえども一緒に暮らすのがしんどくて、僕が1週間で「もう実家に戻る。漫画家も辞める」って言ったんですよ。

そうしたら当時の担当編集だったアデランスの中野さんが東京から飛んできて、「共同作業だからそうなるんだ。嶋田君はストーリーを作るのがうまいから原作担当、中井君は絵がうまいから作画担当に分担したら?」って。それで中井君だけ先に東京に行って、僕はしばらく大阪に残っていたんですけど、そうしたら仕事がうまくいくようになった。

甲本 中野さんのおかげだったんですね。中野さんとは立場は違うけど、僕らにもいろんなことの相談に乗ってくれる仲間がいますね。それはエンジニアの川口聡(さとし)さんであったりとかするんですけど、何しろ僕ら、音楽は好きだけどちゃんと教育されたわけじゃないから技術的なことがてんでなってないでしょ。なのに全部自分たちでやろうとする僕らにアドバイスをくれたり手伝ってくれるのが川口さんで、もう『情熱の薔薇』(1990年)から今日に至るまでずっと僕らのそばにいてくれている。

今のクロマニヨンズのメンバーにしたって、僕とマーシーが突然またバンドをやりたがっていた時に「じゃあ、ドラムとベース、俺の知ってる人をちょっと紹介するよ」って動いていただいたのがカツジ(桐田勝治)、コビー(小林勝)で。そういう人がいなかったら僕らの活動もまた違う形になってたと思う。
*川口聡...レコーディングエンジニアとしてザ・クロマニヨンズのほかにもOKAMOTO'S、THE BAWDIESなども担当。甲本ヒロト、真島昌利とはTHE BLUE HEARTS時代からプライベートでも親交がある

嶋田 僕らもまさにそうで、友情パワーですよね。

甲本 友情パワーです!

■いつまでもウンコはチビる

嶋田 今年で40周年といっても、ずっと連載に追われて忙しかったから、正直、「あっという間」でしたよ。並行して『闘将!!拉麵男(たたかえラーメンマン)』(82年~89年)を描いてた時期もあったし。

甲本 『闘将!!拉麵男』もクオリティ高かったもんなあ。40周年といえば僕も『超人図鑑』を購入させていただきました。あの学研の図鑑シリーズに超人という実在するかしないかわからないものが並ぶっていうのは痛快だなあ。あと29周年のときは『キン肉マニア』(2009年)も会場まで観に行かせてもらいましたし。面白かったなあ。

嶋田 あれは最高ですよ。あのあと、僕はしばらく燃え尽き症候群に陥(おちい)りましたから(笑)。

甲本 僕はあのときに「ここに日本のプロレスが行き着いてほしかった」って思ったんですよ、あのイベントは僕の思うプロレスの理想形だった。それはほかのファンのみなさんもそう思っただろうし、リングで戦ってる人たちのモチベーションみたいなものも理想的だった。あの日の会場には「楽しむ」「楽しませる」の両立があったような気がするんです。

それは手前味噌かもしれないけど、僕たちがステージで楽しんでもらう、そしてみたお客さんにも楽しんでもらってって、という両立ができなければつまらないなという感覚と同じなんだと思います。

嶋田 ちなみに、ヒロト君と出会った頃の僕たちは漫画家として少し調子の悪かった頃なんですよね。ヒロト君たちはブルーハーツでパーッと世に出てきたときで、そこでヒロト君から「僕らとあまり歳の変わらない人が『キン肉マン』を描いてるんだと思って奮起しました」って言われたのは嬉しかったな。

甲本 詰襟を着ていたことに夢中になって読んでいた漫画の作者が、自分とそんなに歳が変わらないことにびっくりしましたもん。『キン肉マン』ってカッコいいところはとことんカッコよく描くじゃないですか。ミートくんが冷凍保存状態から覚める瞬間なんてめちゃくちゃカッコよかった。

そして、かわいらしいところはかわいらしく、楽しいところは楽しく、面白いところはとことん面白く。そうやって場面をはっきりと主張されると読者としては安心して読めるんですよ。裏を読む気がなくなっちゃって没頭できる。

嶋田 いまだにキン肉マンは強敵が現れると、とりあえずビビッてオシッコを漏らすっていうのを必ずやる(笑)。本来なら主人公の成長物語としてどんどん強くなっていかなきゃいけないのに、キン肉マンって毎回ビビるんです。

最近はちょっと無双すぎる漫画が多くて、強さのインフレみたいなことが起きてる気がするんですよ。読者からは「いつまでウンコチビってんだよ」って言われるんですけど...(笑)。

ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強の相棒"がいるからできること」
ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強の相棒"がいるからできること」
ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強の相棒"がいるからできること」

甲本 でも、必ずさらに強くてカッコよくなったキン肉マンが現れるわけだけど、そこにはやっぱり仲間との作用があって、何かに気づいたキン肉マンがリングに上がってくる瞬間がむちゃくちゃカッコいいんだよな。

ラーメンマンの「誇りたいんだよォ~~っ、キン肉マンとの戦いを~~っ!」っていうセリフはファンの心でもありますよね。だけど、嶋田先生には作品を通じて若者に何か啓蒙(けいもう)しようとする雰囲気が特に感じられないですよね(笑)。作品から何かを教えてやろうという感じがいっさいなくて、それがいいんだよなあ。

嶋田 アッハッハッハ。「『キン肉マン』を読んで人生を狂わされました」とはよく言われるんですけどね。

甲本 絶対にいっぱいいますよ。

■気力ってたぶん「興味」

嶋田 ファンの期待も大きいから止め時は難しいんだけど、こうなったら中井君とふたりで、どっちかの体力が尽きるまでやり続けようと思ってますね。でも気力はあるんだけど、体力はふたりとも落ちてきたからなあ。

甲本 気力ってたぶん「興味」なんですよね。嶋田先生は、いまだに人間と格闘技とかいろいろなものに興味をもたれているからこれからもずっていけると思う。体力が落ちてくるのは人間も生き物だからしょうがないんですよ。

嶋田 お互い、この年になっても慌(あわ)ただしい生活を送れているのはいいことですよね。

甲本 子供の頃、「こんなことがやりたいなあ」って一番最初に思ったことが、ここにきてさらにできているような気がするんですよ。僕は有名人になりたかったわけじゃないし、芸能人になりたかったわけでもなかったし。

嶋田 お金持ちになりたいとか考えてなかったですよね。

甲本 昔はアルバイトをしながらバンドをやっていたわけで、それがだんだんとバイトをしなくてもよくなったけど、そうするために何かを変えたこともないんです。自然な流れでそうさせてくれたってことはラッキーなんですよね。

たぶん僕も先生もラッキーな人なんだと思う。子供の頃から思い描いていたことを、そのままずっとやっていても許される大人なんてあまりいないと思うから。

嶋田 漫画家を目指す人は何百人、何千人っているんだけど、その中で一番売れている『ジャンプ』で1位が獲れたっていうのは東大に入って一番になるのと同じことだから、僕らはすごい経験をさせてもらったと思いますね。

甲本 しかも先生はやりたいことをやっているだけでそうなったというのがすごい! 小学生の時にすでに「これが俺のやりたいことだ!」と描いていたわけじゃないですか。それって大人になってから自分が成功するために考えてしたことじゃないんだよな。その説得力は何物にも代えがたいですよ。『キン肉マン』しか持っていない説得力、大証明だと思います。

嶋田 じゃあ、これからもずっと証明し続けられるように頑張りますよ!

ゆでたまご嶋田隆司×甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)「"最強の相棒"がいるからできること」

甲本ヒロト(KOHMOTO HIROTO)
1963生まれ、岡山県出身。ザ・ブルーハーツ、ザ・ハイロウズなどを経て、ザ・クロマニヨンズのボーカリストととして活動。もともと『キン肉マン』が好きだったのに加え、プロレスという共通の趣味もあってゆでたまご嶋田先生とは大の仲良し。好きな超人はベンキマン。2025年9月17日には、28枚目のシングル『キャブレターにひとしずく』が発売される

ゆでたまご嶋田隆司(TAKASHI SHIMADA)
1960年生まれ、大阪府出身。ゆでたまごの原作担当。78年の赤塚賞準入選を樹に、79年『週刊少年ジャンプ』にて『キン肉マン』でデビュー。『ジャンプ』での連載が終わり、人と会う時間が取れるようになったころ、甲本ヒロトと出会った。カラオケでは、高頻度で『情熱の薔薇』を歌う

取材・文/井上崇宏 撮影/榊 智朗 撮影協力/バンダイ株式会社

編集部おすすめ