『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『生活力』について語った。
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★今週のひと言「仮のひとり暮らしを満喫していつも思うこと」
いい年したおっさんが自分で言うのもなんだけど、俺は生活力が低い。正確には低いのかどうかもわからない。
なぜならひとり暮らしの経験がないからだ。
大学へも実家から通っていたし、卒業してフリーターになる頃には彼女が実家の近くでひとり暮らしを始めてくれたので、そこへまんまと転がり込ませてもらった。
そこで5年間の同棲(どうせい)を経て、そのまま結婚して今に至るので、転がり込んだというかおびき寄せられたのかもしれない。
俺のおやじは絵に描いたような昭和の男で(そういうことが許される時代はすでに終わっているのは承知している)、子供の頃からおやじが家事らしい家事をしている姿は一切記憶にない。
営業職だったのもあって、まともな時間に家族で食卓を囲むなんてこともめったになかった。夜遅くに酔っぱらって帰ってきて、そのまま酔い潰れて眠るイメージだ。
その分母親はよくできた人で、すべての家事をひとりでやってくれていた。
今考えると、俺ら兄弟も手伝うなりなんなりしていればよさそうなもんだが、少なくとも俺は実家にいる間、なんの家事スキルも習得しないままだった。
そして俺の嫁さんもよくできていて、令和の今頃、おやじほどではないにしろ、ほぼ何も家事ができない俺に文句を言いながらも、なんやかんやすべてやってくれている。
俺がやるのは、ペットと水槽の世話ぐらいだ。
人間関係なんてデコとボコで、できないヤツにはできる女がくっつくのだろう。
何しろ俺が何もできないことは5年の同棲期間にイヤというほどわかったはずなのに、嫁に来たのだから。
正確には彼女の名義の部屋でそのまま新婚生活が始まったので、嫁に「来た」という表現も怪しい。しかも籍を入れたタイミングでは、俺は地方の売れないアングララッパーで、身分はフリーターだった。
今考えてもよく結婚できたものだ......。
そしてそれはその逆もしかりで、もし俺が数年でもひとり暮らしを経験して、それなりに生活力を獲得してしまっていたら、今の嫁さんではなかったかもしれない。
なんの家事もしない、顔がかわいいだけの巨乳輪を選んでいたかもしれないだろう。
それゆえ、俺は自分が何もできない代わりに、嫁のすることには一切逆らわない。そりゃあ、身の程をわきまえているからだ。
そして、それなりにこだわりを持った神経質男だったら嫁も大変だよ、と何もできない自分を正当化したりする。
でも、実際全部自分でできる男はパートナーを必要とせず、案外独身でいたりするのも確かだろう。
そんな俺が珍しくひとり暮らしのマネごとをやるタイミングがある。
盆や正月の嫁さんの島根の実家への帰省だ。島根は遠いので頻繁には帰れない代わりに、一度帰ると10日ほど戻ってこない。
俺も一緒に帰省できるといいのだが、この仕事はそんなにヒマではない。
冠婚葬祭でもない限りは、なかなか一緒に帰れないのだ。そこで毎年、仮初めのひとり暮らし期間があるというわけだ。
いつでも食べたいときに食べて、シコりたいときにシコって、しかもTENGAだろうがなんだろうが使いたい放題。片づけもせずに寝落ちしたって平気だ。
そして痛感する。
俺みたいなヤツがひとり暮らしをしてこなくて正解だったのだ、ということを。
撮影/田中智久