トレーニングや食生活を根本から見直し、八巻建志が導き出した結論とは?
【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第47回
立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。
前回に続き、極真空手でグランドスラムを達成したレジェンド、八巻建志(やまき・けんじ)をフィーチャー。著者が構成を担当した『八巻建志自伝 真、未だ極まらず』のハイライトを再構成してお届けする。
■「根本的に全てを見直さなければならない」
八巻建志は2000年から20年ほどアメリカに滞在した。その中で最も大きな転機といえば交通事故だろう。驚いたことに2011年には立て続けに3度も遭遇している。
その一回目の事故の後、病院で診察を受けると、外傷性頸部症候群、つまりむち打ち症と診断された。おまけに長年、体を酷使してきたせいか、腰椎の4番と5番がひどい圧迫骨折を起こしていることがわかった。首の調子が悪いと、四六時中調子が悪い。丹田(たんでん)から気を引き出そうと思っても、痛みに負け無気力になってしまうのだ。アメリカの医療費はべらぼうに高いので、入院して治療に専念するという選択肢はなかった。
交通事故のダメージで腰の調子も悪かったので、日課となっていたウエートトレーニングは自粛せざるをえなかった。ただ、空手の指導の代役はいなかったので、指導中だけコルセットを外して必要最小限の号令をかける方法でその場を凌いだ。
食生活にも大きな変化が起きた。鶏肉を中心に摂取していた肉類を食べられなくなってしまったというのだ。それ以前に八巻は専門家から「一日の食事で500gのタンパク質を摂ったほうがいい」というアドバイスを受け、一回の食事で鳥のムネ肉を200g、卵は白身だけで一日20個ばかり摂取するという生活を、規則正しく続けていた。
「肉でタンパク質を過剰に摂り続けていたので、肝臓が悲鳴をあげ、体が受け付けなくなってしまったんだと思います。さらに百人組手をやったせいか、腎臓のほうのダメージも深刻でした」
タンパク質を摂りすぎると老廃物をたくさん排出するため腎臓に負担をかけ、腎機能を低下させる可能性がある。
「体から『もう過剰なタンパク質は受け付けない』というシグナルが送られていたんでしょう」
その2ヵ月後、さらに7ヵ月後も、八巻は交通事故に巻き込まれた。
全て被害者というべき立場だったのだから運が悪いの一言では片づけられない。中でも3回目の事故のダメージは大きく、八巻は自分で車を運転することすら怖くなってしまった。
「肉を食べないので、体重は自然と落ちていく。もう根本的に全てを見直さなければならない時期に来ているのかもしれない」
八巻は食生活の改善を図る。
「事故に遭う前は『俺はマシンだ』と信じ込み、過剰なまでにタンパク質を摂取していました。それゆえトレーニングジムに足繁く通う格闘家やボディビルダーからも一目置かれるような肉体を手に入れた。でも、心身共に悲鳴をあげるようであれば変えていくしかない」
八巻は成長過程から何度もトレーニングメニューを変えたり、肉体改造でも試行錯誤を繰り返していたので、このときも食事や練習のメニューを変えることに躊躇はなかった。格闘技界には伝統や歴史にとらわれすぎる者もいるが、八巻は練習や食生活にも断捨離が必要だと思っている。
現在は帰国し、極真会館に復帰。池袋の総本部など都内で後進の指導にあたる
■「軽く当たっているのに倒れるのはなぜ?」
その結果、八巻は筋肉信仰を捨て「骨」に行き着く。そこに至るまでの過程にはケガの巧妙というべき、ケガとの対話があった。むち打ちによる首の痛みが長く中、八巻は立禅(立った姿勢で行う禅の鍛錬法。心身を鍛え、集中力を高めることを目的とする)しようとしても痛みが邪魔をして仕方なかったという。
「どうやったら、気持ち悪くなることなく立禅をすることができるのか」という疑問を突き詰めていくうちに、自分の体の基礎となる骨格に着目するようになる。
骨の知識を深めていくと、ふと1995年に百人組み手に挑戦したときのことを思い出した。
「思い切り突いたり蹴ったりしても(相手が)倒れないときは倒れない。逆に軽くパーンと蹴ったときに倒れたりした。軽く当たっているのに倒れるのはなぜ?と驚くしかなかった」
急所を狙うにせよ、なにげなく当たった一撃の方が効く。ボクシングでいうと、肩に力の入っていないパンチだ。アゴを狙うにせよ、ガツンではなく、スッと当てるイメージか。空手界に前例があるわけではなかったので、八巻は立禅や基本稽古を行うときには骨の動かし方を意識するようにした。ときには生徒に押してもらったり、受けてもらったりしながら、立ち方も毎回検証するように努めた。
そこで八巻はひとつの結論を導き出す。
「力を抜いて打つと、骨と骨の間にすき間ができる。このすき間ができないと、骨と骨は連動しない。
肩甲骨と股関節にはいずれもジョイント部に球関節があり、受け皿となる肩甲骨と寛骨(骨盤の左右にあり、骨盤の側面を形成し下肢を支える骨)にハマる構造なっている。球状だからこそ、人によっては可動域の広い動きができるというわけだ。
「球関節、すなわち上腕骨や大腿骨の骨頭がつねに動いている状態をイメージしてもらえればいいです」
研究と実践を繰り返していくうちに、八巻は骨を意識した攻撃が目の前の相手だけではなく、全方位に向け有用であることを掴んだ。
「しかも構えず、歩きながら距離も関係なく攻撃する。この理論だと、つねにエネルギーがたまった状態からいつでも爆発させることができます」
八巻の骨を意識した組手は、治安の問題に直面するアメリカでは有効なスタイルといえる。もっとも骨を意識した動きはまだ発展途上で、数カ月後にはさらに進化している可能性が高い。
「練習方法でも食生活でも、僕はひとつのスタイルにこだわりはない。さらにいいものがあれば、遠慮なく今までやってきたスタイルを捨てることができる。常にアップデートしているということです」
2020年夏、八巻はロサンゼルスの道場を閉め、日本に帰国した。「アメリカでもっと理想とする空手を広めたい」という思いも強かったが、新型コロナウイルスの猛威には勝てなかった。人を道場に集め稽古するというスタイルが許されないのであれば仕方あるまい。
その後、極真会館に復帰。池袋の総本部など都内で後進の指導にあたる。復帰した当初、生徒と会話する中で、ショッキングな出来事があった。
「大山倍達総裁のことを知らない道場生がいたんですよ」。
かつて大山総裁の自伝的な要素が強い劇画『空手バカ一代』に影響され、ケンカに強くなるべく極真空手を始めた少年たちは全国にごまんといた。八巻もそのひとりだった。しかし現在、極真に入門している者の志望動機を聞いてみると、ジェネレーションギャップを感じざるをえなかった。「ネットで空手を検索したら、この道場が出てきたから」という動機が大半だったのだ。
これも、時代の流れなのだろうか。八巻は市井の人々が極真に「世界最強」より「生涯空手」(生涯にわたり長く続けられる空手)を求めていると肌で感じている。
「だったら自分がライトハウス(灯台)となり、生涯空手の水先案内人になれないか」。20年ぶりに母国に腰を落ちつけたレジェンドはそんな思いを抱く。
「空手の稽古を始めたら、始める前より強くなれるし、健康にもなれる。個人的には週2~3回の稽古を推奨したいですが、週1回でも数ヵ月続けたら間違いなく効果は現れます」
もちろん競技者として極真に接している者には包み隠さず、骨を軸にした全く次元の違う実戦空手を教えようとしている。すでに還暦を迎えたが、八巻は「空手家としての自分はまだ発展途上の身」と言う。
「生涯空手」を模索する一方で、一空手家としてはライフワークともいえる「最強」を追い求める。終わりはないだろう。それでも、八巻は自ら進む道を極めようと一歩ずつ前に進む。
(完)

『八巻建志自伝 真、未だ極まらず』 八巻建志/双葉社
取材・文/布施鋼治 撮影/長尾 迪