シンガポール・カトン地区にある、「プラナカン」と呼ばれるシンガポールの文化を象徴する建物。ちなみに「シンガポール」とは、サンスクリット語で「ライオン」を意味する「Simha(シンハ)」と、「町、都市」を意味する「Pura(プーラ)」を組み合わせてできた造語であるらしい。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第171話
バンコクから「帰国」し、シンガポールでの長期滞在がいよいよ本格化。「住むように働く」日々のなかで、気候や言葉、生活の違いに向き合いながら、研究拠点としての手応えを探っていく。
* * *
【シンガポールに「帰国」】――バンコクから再びシンガポールへ。
モンスーン(168話)が抜けたようで、シンガポールでもようやく晴れ間が見えた。
しかし、シンガポールのチャンギ空港から外に出て押し寄せたのは、ものすごい湿気。空気が悪いとはいえ、乾季でカラッと過ごしやすかったバンコクとは大違い。ひとくちに「東南アジア」と言ってもさまざまである。
気温はシンガポールの方が5度ほど低いが(バンコクは35度、シンガポールは30度くらい)、体感温度はシンガポールの方がはるかに高い。体にまとわりつくような、一瞬で汗ばむ熱気と湿気で満ちている。
シンガポールは、華僑(平たく言えば中国人移民)がマレーシアから独立して作った国である。建国は1965年で、この訪問がちょうど建国60周年の節目にあたる。中国とマレーとインドが混ざり合った独特のカルチャーを持ち、基本的にみんな英語を話す。
......のだが、この英語がなかなかに厄介で、かなり独特なイントネーションを持つ。10年前に滞在したスコットランド・グラスゴーの「グラスウィージャン(Glaswegian)」(88話)にも苦労した経験があるが、このシンガポール独特の英語は「シングリッシュ(Singlish)」と呼ばれる。
難解さという意味では、「グラスウィージャン」と大差ないのかもしれない。しかし「シングリッシュ」の場合には、それを話すのが同じアジア人だからということもあるのか、排他的な印象は受けなかった。
むしろ日本人の私からすると、その英語は、「なまり」というよりも「非ネイティブの奇妙な発音の英語」のようにも聞こえ、英会話があまり得意ではない私にとっては、むしろ親近感に似た感情を呼び起こすのであった。
【キーワードは「住んでいるように」】バンコクからシンガポールに戻って、そこから17連泊の長丁場である。これからの研究の「ベースキャンプ」を構築するにあたって、「住んでいるように」「慣れるように」というのが、この出張の裏テーマでもあった。すこしでも馴染めるようにと、ホテルでは常に、「CNA」というシンガポールのNHKのようなニュース番組を垂れ流したりしていた。
ホテルにセットアップしたオフィススペース。外付けディスプレイもつけて、仕事がしやすいようにした。
私にとって、この「住んでいるように」を具現化するためのひとつのハードルが、晩酌であった。
シンガポールでは、酒の値段がめちゃくちゃ高い。
そこでまず思いついたのが、東京の自宅で晩酌に使っていた甲類焼酎の雄「キンミヤ」をシンガポールに持ち込み、現地で炭酸水を入手して、ホテルで酎ハイを自作する、という作戦だった。
――しかし。日本ならどこでも売っている「ウィルキンソン」のような炭酸水がどこにも見当たらないのだ。スーパーマーケットで「サンペレグリノ(イタリアの天然炭酸水)」や「ペリエ(フランスの天然炭酸水)」は見つけたのだが、どちらも1リットルで600円以上と割高で、とても日常的に買える・飲める価格帯ではない。
そこで苦肉の策として見出したのが、125話でも登場したことのある、東南アジアの微炭酸スポドリの雄「100PLUS」。キンミヤをそれで割って「微炭酸スポドリ酎ハイ」にする、という愚策であった。
「100PLUS」であれば、スーパーマーケットなら1.5リットルのペットボトルを300円弱で買える(しかし、シンガポールのコンビニは軒並み割高なので、これがコンビニだと600円を超える......!)。
そして言うまでもないことだが、「スポドリ酎ハイ」などが毎日の晩酌に適しているわけがないのである。結局これは定着せず、日本から別に持ち込んだ、日本のセブン-イレブンで売っているお気に入りの赤ワインをちびちびと飲むようになった。
......これはまったくの余談であるが、私はこの前年(2024年)の終わりに突如赤ワインに目覚め、好んで飲むようになっていた。どこに行っても基本的にビールしか飲まず、それまでの私にとってワインなど、赤も白もピンクもない唾棄すべきものの象徴だったのだから、嗜好とは歳とともに変わるものなのだな、と痛感した瞬間でもあった。
ちなみに、この日本のセブン-イレブンの赤ワインの価格は1485円。日本のコンビニで売っているワインの中では比較的割高である。
しかし、シンガポールのスーパーマーケットでいくら安い赤ワインを探しても、1本3000円はくだらない(しかも味や品質は不明)。飲食店で頼もうものなら、グラス1杯で3000円はザラである。シンガポールでは、アルコール度数の高い蒸留酒や醸造酒は、ビールなどに比べて特に輸入関税が高いらしい。
さらにシンガポールは、アルコールの持ち込み制限も厳しい。そのため私は、小さな「キンミヤ」に加えて、フルボトルの赤ワインを1本だけ持ち込んだ。そして、その翌週と翌々週に訪星(シンガポールは漢字一文字で「星」)した私のラボのポスドクたちに頭を下げて、彼らにも1本ずつ、同じ赤ワインを持ち込んでもらったのである。
おかげで私は、シンガポールの夜に、3本のセブン-イレブンの赤ワインを堪能することができた。
シンガポール最終日の夜。
文・写真/佐藤 佳
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