ルーカス・バスケスは1991年7月1日生まれの現在34歳。ガリシア州ア・コルーニャ県クルティスの出身ながら、16歳だった2007年夏に、レアル・マドリードの門を叩いた。カンテラ(育成組織)入団後は、順調に各カテゴリーを踏破。カスティージャ(Bチーム)では主力としての立ち位置を確立しながら、トップチームでは出番を得ることができず、2014年夏にエスパニョールへレンタル移籍へ出ると、2014-15シーズンは公式戦通算39試合出場4ゴール7アシストを記録するなど、主力として活躍。同シーズン終了後には完全移籍へ移行したものの、シーズン開幕前に買い戻しオプションが行使され、1年間の武者修行を経てレアル・マドリードへの“帰りの切符”を掴んだ。
レアル・マドリード帰還後、2015年9月には念願のトップチームデビューを飾る。以降は元ウェールズ代表FWギャレス・ベイル氏やブラジル代表FWロドリゴらの存在によって、絶対的主力としての立ち位置を確立していたわけではないが、信頼できるバックアッパーとして10シーズンにわたって活躍。2016年6月にはスペイン代表デビューも飾り、EURO2016やFIFAワールドカップロシア2018などの国際舞台も経験した。
当初は右ウイングを主戦場としながら、直近では右サイドバックとして新境地を確立。“ラストイヤー”となった2024-25シーズンは、スペイン代表DFダニエル・カルバハルの長期離脱もあり、公式戦では過去最多タイの53試合、時間にして単独最多の3,357分間出場を果たした。レアル・マドリードでは公式戦通算402試合のピッチに立ち、38ゴール73アシストを記録。獲得したタイトルの数は「23」にものぼる。
長きにわたってレアル・マドリードに貢献した功労者の退団セレモニーには、フロレンティーノ・ペレス会長だけでなく、ホセ・マルティネス・サンチェス名誉会長、フットボールディレクターを務めるサンティアゴ・ソラーリ氏、そして数多くのクラブ役員も出席。同時に、チームメイトであるウクライナ代表GKアンドリー・ルニンとフランス代表FWキリアン・エンバペ、そしてかつてのチームメイトである元ブラジル代表DFマルセロ氏も姿を見せた。
セレモニーの中で、ペレス会長は「あなたはレアル・マドリードの選手としてあるべき姿の模範だった。個人の関心よりも、まずはチームのことを考える選手であり、第一にエンブレムを守ることを考えていた」などと、ルーカス・バスケスが見せた貢献に多大なる感謝を述べただけでなく、「このクラブに在籍するすべてのカンテラーノが目指すべき姿、鏡のような存在だ」と称賛。金とダイヤモンドで作られたクラブの徽章も贈呈された。
ペレス会長の後には、ルーカス・バスケス自身がスピーチを披露。「これは僕の人生において、最も重要な日の1つだ。ファンの皆様の変わらぬ支援に感謝したい。タイトルを獲得する特権に恵まれ、伝説の選手たちとロッカールームを共有し、忘れられない夜を過ごしてきた。僕は幸せ者だった。価値を認められ、尊重され、愛されてきた。フロレンティーノ・ペレス会長に、夢を叶える機会を与えてくれたことに心から感謝する。
「両親に対しても、毎日献身を尽くしてくれたことに感謝したい。諦めることは選択肢はないと教えてくれた。そして兄に対しても、サッカーへの情熱を僕に伝えてくれてありがとう。そして、マカ(妻のマカレナさん)、あなたは重要なタイミングで現れ、常にそばにいてくれた。あなたは私に世界で最も美しいものを与えてくれました。僕らの子どもたちだ。ルーカス、マカ、ベンジ、みんなは僕の最大の誇りだ。いつか、このユニフォームを着る意味を、父がどれだけ大切に思っていたかを理解してくれたら嬉しいよ」
最後に、ルーカス・バスケスは率直な心境を告白。世界中からスター選手が集まるレアル・マドリードにおいて、カンテラーノがトップチームで実績を残し続けることは並大抵のことではないが、そんな偉業を成し遂げた彼だからこそ、次のような言葉を残した。
「僕は清々しい気持ちでここを去る。すべてを捧げたのだからね。
【画像】L・バスケス、ルニン&エンバペと記念撮影!