2024年5月8日、京都府警木津署は、薬物依存からの回復を支援する「木津川ダルク」において入寮者3名を覚醒剤取締法違反で逮捕した。そのニュースをマスコミ各社が一斉に報じた。
報道に対し、複数の依存症支援団体が配慮を求める声明を出した。
薬物依存で虐待サバイバーの女性32歳が語る“薬なしでは生きら...の画像はこちら >>
 その中の1団体であるNPO法人 ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)の社会対策部に所属していて、母親からの壮絶な虐待経験により薬物依存症になった風間暁氏(32歳)に話を聞いた。

納戸に閉じ込められ紙やティッシュで腹を満たす

 風間暁氏は東京都で生まれ育った。父は精神的に不安定な母に怯え、いつもアルコールを飲んでいた。専業主婦の母は、小学生の風間氏の両手・両足をビニール紐で縛り、納戸に閉じ込める・ガムテープで口をふさぐ・折檻するなどという虐待をした。食事はロクに与えられず、その間、母はスーパーファミコンで遊んでいた。

「納戸に閉じ込められていると暇なので、関節を外す練習をしていました。
縛られた手をほどこうと手を動かすと皮膚が削れて血がでます。血でぬるぬるしたところで関節を外すと、紐から抜けられました。母に内緒で抜け出して、水を飲みました。食材がなくなると抜け出したことがバレるので、紙やティッシュでお腹を満たし、自分から納戸に戻ると、紐の中に腕を入れ直すのです

 小学校4年生くらいまではそんな環境だったため、小学校には行ったり、行かなかったりした。もちろん学校自体が嫌いだった。

「家での暴力や折檻は日常だからつらくなかったのですが、母に『お前なんか産まなきゃよかった』と泣きながら言われるのはつらかったです。
『お前のせいで私はこんなに辛い思いをしている』という訴えには、生まれてきちゃってごめんなさいという気持ちになりました

「被害者ぶってんじゃねーよ!」という思い

薬物依存で虐待サバイバーの女性32歳が語る“薬なしでは生きられなかった”ワケ「依存的に使う人の背景にあるもの」
風間暁氏
 小学生の頃から、大人に意見をする子だった。そんな態度に対し、母をはじめとして、泣きながら自分の気持ちを訴えてくる大人が多かった。

「たまに小学校へ行ってみて、教師のおかしな発言に反論すると、教師は泣きながら『もうどうしたらいいかわからない』『お願いだから言うこと聞いて』と言っていました。子どもとの対話を放棄しておいて被害者ぶってんじゃねーよ!と思いました。私の周りにいた大人は、泣きながら子どもの私を加害者にしてくる大人ばかりだったんです」

 小学校4年生のとき、父が飲酒運転で事故を起こし、大人への不信感はマックスとなった。被害者はICUに入り、母は風間氏をその被害者の病室に一緒に連れて謝罪に行った。

「家では常に偉そうで頭を下げたことがない母が、被害者のご家族に頭を下げました。
その時、被害者のご家族に『その子が代わりに轢かれればよかった』と泣きながら言われました。今考えれば、それくらいつらくもなるだろうと思えます。だけど、当時は、世の中の大人は母も含め、私がいなくなればいいと思っているんだと衝撃を受けました」

 その経験はトラウマとなり、風間氏は二度と大人に頼らないと心に誓った。

「犯罪者の娘だから」といじめられる日々

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風間暁氏
 その事故で父は交通刑務所に入所し、両親は離婚。風間氏は母子家庭で育つことになる。それが薬物に依存していく最初のきっかけともなる。

5年生で転校するまで、学校や地域では『犯罪者の娘』と指をさされ、いじめられていました
転校先にはやんちゃな同級生たちがいましたが、彼らとはすぐに打ち解けました。それぞれ家庭が複雑で、大人に期待していないような子たちだったからでしょう」

 子どもなのに、自立して生きていかなければ生きられない。だけど、現実の社会では、小学生にお金を稼ぐ手段はない。

「基本的には、親がいる子の家でご飯を食べていました。私たちに優しくしてくれるのは、刑務所に出入りしているようなアウトロー寄りの大人だけでしたね。まともな大人は、不良だとレッテルを貼る。
アウトロー寄りの大人のほうが自分たちの気持ちに寄り添ってくれました


 そんな環境の中で、同級生たちとともにお酒・薬物・喧嘩を繰り返す日々を送るようになる。だけど、その頃は、友だちと一緒にいるときに薬物を使用するだけだった。

ODを繰り返す…児童自立支援施設での生活

 そんな暮らしを送る中で、中1の頃に補導され、児童自立支援施設に入所することとなる。

「児童自立支援施設では、精神科に通院させられました。解離性障害(自己や記憶が分離する症状が見られる、トラウマ性の精神障害)と診断されました。記憶をなくしてしまうので、その間にしたことを覚えていませんでした。それなので、施設では『嘘つき』と言われ、いじめられました」

 いじめに対し、職員がフォローしてくれることもなく、厳しい決まりがある日々の中で病状は悪化。
そのたびに処方薬は増えていった。

「通常の処方薬の他に、頓服で、不穏時の向精神薬を処方されていました。飲んでいるふりをしてブラジャーのパットなどに薬を溜めて、一気に飲みこんでOD(オーバードーズ)をしました。目が覚めると病院でした。こうすれば自分を痛めつけるあのつらい施設から逃げられるんだ、と学習してしまいました

 何度もODを繰り返すうちに救急搬送もしてもらえなくなった。次第にハンガーストライキを決行し、同時にODをするようになる。ここで初めて、ODを繰り返さないと生きられない、薬物依存の状態になったのではないかと振り返る。施設は強制退所となり、中学校3年生の頃、母の元に戻ることになった。

「違法薬物のほうが気楽だから」と依存するように

薬物依存で虐待サバイバーの女性32歳が語る“薬なしでは生きられなかった”ワケ「依存的に使う人の背景にあるもの」
風間暁氏
 母の元に戻っても精神科への通院は続いたが、親に扶養されていることは受け入れがたかった。健康保険を使用し、処方薬を処方してもらうよりも、違法薬物を手に入れるほうが気楽だった。

「虐待やいじめのフラッシュバックが起きる頻度が増えていましたが、ある違法薬物を使用すると、フラッシュバックがピタっと治まった。医者よりよっぽど優秀じゃん!と思いました

 そこからは以前のように友だちと一緒にいるときだけ、薬物を使うのではなく、フラッシュバックから逃れるために、一人でも使用するようになっていった。「寝たい時はこの薬」「集中してパチンコするにはこの薬」と、シーンに合わせたり、なりたい自分でいたりするために、セルフコントロールの手段として薬物を使用するようになる。

「自己効力感を人生で初めて得られました。薬物の薬理作用ではなく、薬物を使って自分をコントロールすることに依存していた気すらします

 しかし、2010年頃から薬物を使用しながらでも生きていくことをバカバカしいと考えるようになった風間氏は、2011年に自殺を図る。

自殺未遂の後遺症で坐骨神経麻痺が残る

「薬を使うのは、コスパの悪い延命みたいなものだと思いました。誰からも存在を望まれていないし、生きていて楽しいわけでもなかった。死んじゃったほうが絶対に楽だなと

 そう考えた彼女は、家中のありとあらゆる薬物をODして、自殺を図った。昏睡状態に陥り、目が覚めた時には、ICUにいた。

「目が覚めた時は『生きちゃった』と思いました。『誰が助けろと言ったんだよ』と自殺を図る前よりも強い絶望を感じました

 自殺未遂は彼女の体に強烈な負担となり、カルテには横紋筋融解症(骨格筋を構成する筋細胞が融解・壊死すること)の文字があった。その後遺症で、今でも左下肢に機能障害が残っている。

子どもを妊娠したことがきっかけで立ち直る

 壮絶な半生を歩んだが、23歳の時に子どもを授かる。子どもを妊娠したことをきっかけに入籍もした。

「自殺を図ってから子どもを授かったとわかる直前まで、薬物はやめていたものの、タバコとお酒はやめていなかったんです。だけど、産婦人科の帰り道に、ポケットのタバコを握りつぶしてテーブルに叩きつけました。そうしたら、自分の性格上、もう引っ込みがつかなくなるかなと思って」

 長男を出産後、年子で次男を出産し、2人とも母乳で育てた。その間、たばこや酒・薬物は一切使用しなかった。子どもの送迎に車を使うことが増えたので、父のように飲酒運転で事故を起こしたくなかったこともあった。しかし数年後、離婚し、シングルマザーに。次男の授乳が終わり、飲酒と喫煙を再開したが、ある日、長男に言われた言葉で治療したいと思うようになる。

「長男に、『お酒を飲んでいるママがホントに嫌い』と言われました。自分が子どもの頃、周りの大人たちに意見を取り入れてもらったことがなかったので、息子に同じ思いはさせちゃいけないと思いました。だけど、1人でやめる自信がなかったので、初めて自分から必要だと思い、依存症専門外来を受診することにしたんです

 そこで出会った精神科医の松本俊彦氏や、風間氏が所属しているNPO法人ASK代表の今成知美氏をはじめ、信頼できる仲間たちに出会えたことで、薬物や酒を使わずとも自己効力感が得られるようになっていった。2023年5月には『専門家と回復者に聞く 学校で教えてくれない本当の依存症』も出版している。

「木津川ダルク」の実名報道に思うこと

薬物依存で虐待サバイバーの女性32歳が語る“薬なしでは生きられなかった”ワケ「依存的に使う人の背景にあるもの」
風間氏の著書『専門家と回復者に聞く 学校で教えてくれない本当の依存症』(監修・松本俊彦、田中紀子、合同出版)
 死んでしまいたいと思うほどの状態から抜け出した風間氏。2021年からはNPO法人 ASKの社会対策部に所属している。元当事者として昨今の薬物報道に強い失望を感じることがあるという。

「実名報道は必要だったのでしょうか。薬物を依存的に使う人の背景には、逆境的小児期体験や、胸の痛み、孤立感などがあります。たしかに、違法薬物を使うことは犯罪です。だけど、使った人たちは、その法という一線を超えてまで使ったほうがいいと思うほど苦しい状態だった、ともいえます。

 ダルクに入所している人たちの多くは、仲間と一緒に薬物を使わない人生を歩もうと立ち上がった人たちです。私はダルクに入所したことはありませんが、ダルクのおかげで立ち直れたと話す仲間たちに、多様な立ち直りの選択肢と希望を見せてもらえて、いつも勇気づけられています。だから、彼らがまるで極悪非道な犯罪者かのように報道されるのは私自身とても辛く、苦しいです。そして私もまた薬物依存症の当事者なので、そうした報道と痛みに突き動かされ、薬物を使用したい気持ちが顔を出します」

何をしてもいいと考える差別意識がある

薬物依存で虐待サバイバーの女性32歳が語る“薬なしでは生きられなかった”ワケ「依存的に使う人の背景にあるもの」
風間暁氏
「捕まったり、死にかけたからといって、薬物をスパッとやめられる人のほうがレアです。で、やめようと思っても、やめる準備や、一緒に頑張れる仲間との関係ができていない時期に再使用することは、回復過程ではよくあることなんです」と風間氏は話す。

「私はたまたま逮捕されずにここまで生きてこられました。逮捕されてしまえば、家を借りることや、就職することすら困難になります。その上に実名報道でデジタルタトゥーを残すことは、生きなおしの権利を奪うこと。それでどうやって、薬物をやめて生きていけと言うのでしょうか

 その背景には、「薬物使用者に対しては何をしてもいいと考える差別意識があるのではないか」と風間氏は指摘する。そして、「薬物を使わなくても幸せに生きられるような社会の役に立てるように」と現在は予防教育に尽力し、学校や福祉施設、医療機関などで講演活動を行っている。

 カフェインもアルコールも処方薬も合法だが、依存性のある薬物だ。そう考えると、誰もが依存症と無関係ではない。「依存症患者は怖い」ではなく、その背景にあるものに目を向けるべきではないか。

<取材・文/田口ゆう>

【風間暁(かざま・あかつき)】
特定非営利活動法人ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)社会対策部。ASK認定依存症予防教育アドバイザー。保護司。自らの経験をもとに、依存症と逆境的小児期体験の予防啓発と、依存症者や問題行動のある子ども・若者に対する差別と偏見を是正する講演や政策提言などを行なっている。2020年度「こころのバリアフリー賞」を個人受賞した。分担執筆に『「助けて」が言えない 子ども編』(松本俊彦編著、日本評論社、2023)など

【田口ゆう】
ライター。webサイト「あいである広場」の編集長でもあり、社会的マイノリティ(障がい者、ひきこもり、性的マイノリティ、少数民族など)とその支援者や家族たちの生の声を取材し、お役立ち情報を発信している。著書に『認知症が見る世界 現役ヘルパーが描く介護現場の真実』(原作、吉田美紀子・漫画、バンブーコミックス エッセイセレクション)がある。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1