―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
願いは今日も「すこしドラマになってくれ」

寿司の過大評価を許すな【神田駅・立ち食い寿司 大松(寿司屋)】vol.26

 寿司を食いたい、と思ったことが一度もない。油そばやモスバーガーを食べたいと思うことはしょっちゅうあるのに、寿司だけはない。

 味や見た目の違いが、本当にわからない。ネタによって、食感が少しずつ違うことはわかるが、しかし、結局はナマの魚であって、なんなら醤油とワサビがないと料理として成立していないのではないかとさえ思っている。

 それでも、大人になれば寿司屋に行く機会は増える。寿司が回っている店もあれば、回っていない店もある。コロナ禍を挟んでからは、回っている雰囲気はありながら、実はほとんど寿司は回っていないような店にも出合う。

 どの店でも、同席している客たちに疑問を抱く。本当に美味しいと思ってんのか? 高級っぽさに騙されてないか? 尋ねはしないが、疑っている。

 そんな私が、ひとりで立ち食い寿司に行く。それが今回の罰ゲームもとい取材である。

 千代田区、神田駅前。
ガード下にある「立ち食い寿司 大松」は、値段の割に味がよく、コスパに優れた良店として古くから愛されているらしい。

 平日の昼下がり、L字のカウンターテーブルにはスーツ姿の人が目立って、全員が手慣れた様子で黙々と口に寿司を放り込んだり、海鮮丼を頬張ったりしていた。

 その様子に、早速、圧を覚える。私は一人であることを告げ、入り口近くのカウンターに立った。

 さて、何を食べようか。

 メニューを見るが、もちろん行き詰まる。

 私が持っている寿司の知識は、「マグロは赤。鯛は白。赤から白くなってるやつがブリ」くらいのものである。こんなやつが寿司屋に行っても本当に捕まらないんですか?

 盛り合わせがあればいいのに、店にはあいにく存在せず、自分でネタを選ぶしかない。どれがどんな味かもわからないのに頼む寿司は、怖い。

 ウジウジと悩む私に、店員さんが「決まりました?」と催促する。
ほかの客も、こちらを見ているような気がする。いよいよテンパった私は、端から順に「なんか美味しそうなもの」を頼むことにした。

「マグロと、タコと、イワシと、ツナサラダください」

 お子様メニューか。しかし、今のは110円コーナーのネタにすぎず、その隣に220円~440円コーナーも存在していることに気付く。慌てて「カンパチとブリ、サンマもお願いします!」と叫んだ。

 これだから寿司は嫌。しかもカウンターの向こう側にいた大将は「あ、ごめん、カンパチが仕込み中だから、ハマチでいい?」と無慈悲にこちらのオーダーを変更してきた。

「Aがないから、Bにする」で許される料理なんて、そんなの絶対におかしい。でも私は、笑顔で頷くほかなかった。

 そうしてすぐに運ばれてきた寿司下駄を見て、もう一度ショックを受ける。

 全ネタが、同時に出てきている。

 先述したとおり、私は寿司のビジュアルを全く覚えられない人間だ。
それなのに、頼んだ7品は仲良く肩を寄せ合うように一列に並んでいて、私に新手の神経衰弱を挑んできている。

 あ、今のやつ、美味しかった。でも、こっちも似てる味。え、これ、イワシと、サンマと、サバか? 見た目、似すぎじゃん。苦しめられ、不意に周りを見回す。すると、ほかの客は、多くとも2ネタくらいずつしか注文していないことに気付く。

 あー、これが大人の嗜みってやつかあ。目の前の寿司下駄が賑やかであることが、途端に恥ずかしくなる。美味しかったはずなのに、覚えているのは、その恥ずかしさだけだったりする。

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<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>

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【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。
そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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