なぜ、これだけ働いても豊かにならないのか。その理由は、個人の努力不足ではなく、そもそもの「仕組み」にあるのかもしれない。

 資本主義とは、労働によって生み出された価値のすべてが労働者に還元されるわけではない構造を前提としている。さらに、政治と資本の関係、そして失われた30年の中で進んだ賃金抑制――。

 日本社会に根付く“報われにくさ”の正体を生物学者の池田清彦氏が読み解く。

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※本記事は、池田清彦氏著『人はなぜ働かなくてもいいのか』(扶桑社新書)をもとに再構成したものです

資本主義とは正当化された「ピンハネ」で儲ける仕組み

資本主義とは「正当化されたピンハネ」である。働いても豊かにならない仕組みの正体
※画像はイメージです(以下同)
 資本主義とは、資本(お金や土地や設備など)を持つ者(資本家)が労働力を雇い、その成果を市場で売って利潤を得る仕組みである。

 たとえば労働者に1万円の賃金を支払い、その商品が1万5000円で売れれば、差額の5000円が利潤となる。

 もちろん利潤のすべてが資本家の懐に入るわけではないにせよ、労働によって生み出された価値のすべてが賃金として還元されたりしないのは紛れもない事実である。

 農家が育てた米が3000円で出荷され、店頭で3500円になる場合も同様だ。

 500円という差額には輸送や保管、販売といった機能が介在しているが、生産者が最終価格の全額を受け取っていないというのは明らかだろう。

 ごく単純な言い方をすれば、資本主義というのは正当化された「ピンハネ」で成り立っているのだ。

 つまり、働いた人が生み出した価値のすべてが本人に帰属するわけではなく、別の主体の取り分として配分されるという構造自体は、弥生時代以降の社会と本質的に変わっていない。

 余剰の帰属先が国家から資本家へと移ったというだけで、その仕組みは資本主義のもとでより洗練された巧妙な形に再編成されただけなのである。

国家の政策が金持ち優先になるのが必然である理由

資本主義とは「正当化されたピンハネ」である。働いても豊かにならない仕組みの正体
ベルクール広場のルイ14世
 資本主義が勃興するまでは、最大の富の所有者は基本的に国家であった。

 フランス国王ルイ14世(在位1643‐1715)は「朕は国家なり(L’État, c’est moi)」と語ったと伝えられるが、それは国家と権力と富がほぼ一体化していた時代を象徴する言葉だと言えるだろう。

 しかし現代においては、政治的な統治権を握る者と、経済的な富を蓄積する者とは必ずしも一致しない。


 むしろ巨大企業を率いる資本家や経営者のほうが、国家の指導者よりもはるかに多くの資産を保有している場合もある。

 たとえばビル・ゲイツやイーロン・マスクの資産は、多くの国家指導者の個人資産を大きく上回るとされている。

 トランプのような富裕層出身の政治家も存在するが、国家を統治する権力と、純粋な資産規模の大きさとは別の次元の話である。

 日本でも同様に、柳井正や孫正義といった大物経営者の資産は、時の総理大臣のそれをはるかに超えている。

 こうした状況のもとでは、政治と資本が無関係でいられるはずがない。建前はいろいろあるにせよ、政治は理想だけで動いているわけではないからだ。

 資本を多く持つ企業に擦り寄れば、政治資金というかたちでの見返りが期待できる。

 一方で、資本を持たない層をいくら支援しても、献金が増えるわけではない。そう考えれば、政策がどちらに向きやすいかは自ずと見えてくるだろう。

 実際、日本においても、長年政権を担ってきた自民党が大企業や経済界との結びつきを重視してきたことは広く知られている。

 特に第二次安倍政権以降は、法人税の引き下げや金融緩和など、大企業や株主を優先する政策運営がより明確になったのは周知のことであろう。

資本主義のテーマは「利潤の獲得とその最大化」

資本主義とは「正当化されたピンハネ」である。働いても豊かにならない仕組みの正体
稲作
 農耕が始まった当初は、たくさん働いて多くの作物を生み出した者が、そのぶん多くの余剰(富)を得て、おそらく一番尊敬される存在だっただろう。人間は食物がなければ生きていけないのだから、これは極めて真っ当な話だと思う。


 しかし階級社会が成立して以降、威張っているのは必ずしも生産者ではない。

 実際に汗水流して働く者より、作らせる者、管理する者、上から指示を出す者のほうが上位に立ち、より多くの富を得るという構図が生まれる。

 そしてこの倒錯は、資本主義のもとでも基本的には変わっていない。今日でも、農業や漁業といった一次産業に従事する人々がいなくなれば、私たちは食べ物を手に入れることができず、生きていくこともできないだろう。

 それにもかかわらず、一次産業に従事する人たちが日本で一番稼いでいるのかと言えば決してそうではない。

 情報を仲介するとか、金融市場でお金を右から左へ動かしたりする職種のほうがむしろ高収入であることが多い。

 なぜこうした逆転が起きるのか。

 それは、生産そのものよりも「利潤の獲得とその最大化」が資本主義の目的として設定されているからである。

 つまり、何を提供したかより、どれだけの利潤を得たか、どれだけそれを最大化したのかのほうに価値があるとするのが、資本主義社会の論理なのだ。

資本主義が素晴らしい仕組みに見えた高度経済成長期

 もちろん労働者の立場からすれば、資本家から受け取る賃金こそが生活の基盤であり、働くことの直接的な目的となる。

 だから、たとえ自分たちが生み出した価値のすべてが賃金として支払われるわけではなく、その一部が雇用主の利潤となるのだとしても、受け取る対価が十分に生活を安定させ、将来への希望を抱かせるに足るものであるならば、労働者にとっても資本主義は必ずしも不幸な仕組みとは言えないだろう。

 実際、日本の高度成長期はそうした時代だった。

 戦後復興という経済の拡大局面とも重なり、若年人口も多く、作る人も買う人も増え続けた。
そのおかげで企業はおおいに利益を伸ばしたが、労働者のほうも賃金の上昇という恩恵を十分受けたと言ってよい。

 また当時は累進課税が今よりずっときつかったことが格差拡大を抑えたこともあり、「一億総中流」と呼ばれる社会が形づくられた。

 たとえば1970年代の最高税率は課税所得8000万円超で75%で、住民税を含めると90%に達した。ちなみに現在の最高税率は課税所得4000万円超で45%、住民税は課税所得の10%である。

 あまり稼ぎすぎると税金でその大部分を取られるとはいえ、高度成長期は確かに「たくさん働けばたくさん稼げる」時代だった。だから労働者の収入は着実に増え、生活水準も上がっていったのだ。

資本主義の前提が過去のものになった「失われた30年」

資本主義とは「正当化されたピンハネ」である。働いても豊かにならない仕組みの正体
トイレットペーパー買い占め
 1970年代には二度にわたるオイルショックが起き、エネルギーコストは大きく跳ね上がった。

 原油価格が4倍になり、物価上昇と不況が同時に進むスタグフレーションが起こり、経済はそれまでとまったく異なる局面に入った。トイレットペーパーの買い占め騒動が起きたのもこのころである。

 しかし1980年代になると日本経済は立ち直り、家電や自動車の輸出が急増する。景気は回復して、物価上昇率は年1~2%で推移した。

 一方賃金も右肩上がりに上昇し、1980年に292万円だった平均年収は1989年には414万円になった。伸び率で言えば約42%増である。


 この9年間の物価上昇は19%弱だったので、年収の伸びは物価上昇を大幅に上回っている。

 だからこそ人々は、ちゃんと働きさえすれば自分たちの生活が徐々に豊かになっていくのだという夢を信じることができたのだ。

 ところが市場の膨張は、やがてその勢いを失っていく。

 1985年のプラザ合意(アメリカの貿易赤字を減らすため、ドル安・円高に誘導した国際協調政策)後の円高不況対策として実施された金融緩和を背景に、1980年代後半は株価や地価が異常に高騰し、バブル経済の様相を呈してきた。

 幸か不幸か1990年代に入るやバブルは崩壊したが、日本はその後「失われた30年」と呼ばれる景気低迷に陥った。

 家電や自動車といった耐久消費財はすでに多くの家庭に行き渡り、「まだ持っていない人に売る」という拡大余地が小さくなっていたのもその一因である。

 経済成長というのは単に努力の問題ではなく、未開拓の市場がどれだけ残っているかにも左右されるのだ。

 さらに、高度成長を支えた若年人口の増加はピークを過ぎ、若年労働力人口(15~34歳)も減少していった。

 作る人も買う人も自然に増え続けるという前提はもはや過去のものになったのだ。

高い付加価値で利幅を維持する戦略が取れなかった日本

 もちろんそれでも、資本主義は利潤を確保し続ける必要がある。

 繰り返しになるが資本主義とは、「利潤の獲得とその最大化」を目指す運動なので、その目的を達成するには、いかにして生産コストを抑えるか、いかにしてたくさん売るかというのが資本家にとって大きなテーマになる。

 生産コストを下げるために発展途上国に工場を移転したり、たくさん売るために日本国外にまで市場を広げようとするのも、すべて「より多く、より効率的に」利潤を得るためなのである。


 もちろんそれ以外にも圧倒的に便利な新製品を生み出したり、独自の技術やブランド力で高い付加価値をつけるという道はある。要するに、「高く売る」ことで利幅を維持しようという戦略だ。

 しかし日本はこの点において成功したとは言いがたい。

 1990年代以降、インターネットやデジタル技術が経済の中心になっていく中で、世界市場を支配するプラットフォーム企業はそのほとんどがアメリカから生まれ、それに続いたのは中国である。

 日本企業は圧倒的な技術力を誇りながらも、世界に誇れる斬新なサービスを主導することはできなかった。

 その結果、多くの分野で価格競争に巻き込まれていくことになり、むしろ「安く作る」方向に圧力がかかる。その結果もたらされたのが、賃金の抑制や非正規雇用の拡大なのである。

【池田清彦】
1947年、東京都生まれ。生物学者。東京教育大学理学部生物学科卒、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。山梨大学教育人間科学部教授、早稲田大学国際教養学部教授を経て、現在、早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。高尾599ミュージアムの名誉館長。
生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。
フジテレビ系『ホンマでっか!?TV』などテレビ、新聞、雑誌などでも活躍中。著書に『騙されない老後』『平等バカ』『専門家の大罪』『驚きの「リアル進化論」』『老いと死の流儀』(すべて扶桑社新書)、『SDGsの大嘘』『バカの災厄』(ともに宝島社新書)、『病院に行かない生き方』(PHP新書)、『年寄りは本気だ:はみ出し日本論』(共著、新潮選書)など多数。また、『まぐまぐ』でメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』を月2回、第2・第4金曜日に配信中。
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