「16」はたった2人しかつけていない。他のどの番号よりも少ない人数。

川上哲治と、もう一人は水野忠彦という選手だ。

 水野は長野県出身、長野商から戦争中の44年に18歳で入団した右投右打の内野手。44年は背番号をつけずにプレーした1年で、選手の数はわずか16人だけ。監督は置かず、藤本英雄が投手兼監督代理という肩書がついている。

 この16人が阪神、阪急など6チームで各35試合の公式戦を行い、巨人は19勝14敗2分けという成績。阪神に8ゲームの大差をつけられた2位に終わっている。

 この年に水野は9試合に出場し、10打数0安打、三振が1、得点2という打撃成績が残っており、二塁で3試合、外野で2試合、守備についている。うち二塁での失策が1つ記録されている。

 45年は戦争で試合は行われず、46年4月27日にペナントレースが再開される。この年に水野がつけた「16」が、川上ではない唯一の年なのだが、川上が6月28日に戦列に復帰したことで「16」もまた川上の背に戻る。千葉茂も戦争から戻ってきており、水野に出番はなく、44年の成績が生涯記録となっている。

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