元巨人の松井秀喜氏(50)=ヤンキースGM特別アドバイザー=が4日、米ニューヨークから緊急帰国して、肺炎のため3日に89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの都内にある自宅を弔問した。約2時間20分の滞在中、長嶋さんと2人きりで“会話”したという松井氏は「一番は感謝。
長嶋さんに会うには、これしかないと思った。3日の涙雨がやみ、都内の空が白んできた4日午前4時57分。ニューヨークから緊急帰国し、都内の長嶋さんの自宅を弔問した松井氏が着ていたのはあの紺色のスーツだった。「本当は黒にしようとも思いましたが、監督と会うのならばこのスーツがいいと思って」。13年にそろって国民栄誉賞を授与された際、長嶋さんに提案して、都内のテーラーで仕立ててもらった思い出の詰まったものだ。
早朝の訪問にも「松井さーん!」と迎えてくれた次女・三奈さんから「2人きりでお話ししてください」との計らいで、長嶋さんと“会話”を交わした。「今にも目を開けそうなぐらい意志のあるというか、そのように感じました。2人きりで、ずっといろんな思い出を呼び起こしながらずっと過ごしていました」
対面したのは、現役時代に何度も呼び出されて素振りに励んだ地下室ではなく、練習後、長嶋夫人の亜希子さんがうどんや旬の果物を振る舞ってくれたリビングルーム。「ドラフトの時に私を引いてくださった。まずそのスタートのことを思い浮かべて」と、92年のドラフト会議の思い出から“会話”は始まり「今、説明しきれないぐらい話をさせていただきました。
「ひと言でこういう存在でしたと表すのはちょっと難しい。私からしたら、たくさんの顔を持つ方だった。長嶋監督といろいろな時間を過ごせて、本当に私は幸せ者です。素振りで会話したというか、素振りを通じて、松井秀喜という野球選手に最も大切なことを授けてくださいました。そのことが私の中では一番幸運で、一番感謝している部分ではないですかね」
日米通算507本塁打を放ち、ヤンキース時代の09年はワールドシリーズでMVPに輝くなど球史に名を残せたのも、長嶋さんとの鬼気迫る素振りがあったから。
「私にたくさんのことを授けてくださいました。今後、どういう形で次の世代に継承していくか、はっきりとした形は見えませんが、長嶋監督と生前、約束したこともあります。ここでは今はお話しすることができませんが、その約束を果たしたいなと思っています」
将来の巨人監督就任など指導者として長嶋イズムをつなぐことも、子供たちに野球の魅力を伝えることも、ミスターは望むだろう。約束を実現するその日まで、松井氏は研さんを積む。(阿見 俊輔)
◆長嶋さんは「たくさんの顔を持つ存在」…松井さんに聞く
―長嶋さんはどのような存在か。
「いろいろな意味でたくさんのものを与えてくださった。そういう意味で、たくさんの顔を持つというとおかしいですが、そういう存在だと思います」
―一番の思い出は。
「一番は難しいですね。本当にいろいろな長嶋さん、監督として、選手として、また監督をお辞めになった後、今度は私がまだ選手を続けていたときの関係性もありますし、また私が引退した後の関係性もありますし、その時、その時に、いろんな関係性もあったと思いますけど。何ですかね。何か難しいですね、言葉にするのは」
―直近で会ったのは。
「今年の1月上旬にちょっと帰国する機会がありましたので。その時にお会いしたのが最後ですかね」