3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの通夜が7日に、告別式が8日に東京・品川の桐ヶ谷斎場「雲」で執り行われた。8日の告別式で弔辞を読んだ、王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)は「日本にとって残念な日」と“盟友”との別れを惜しんだ。

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 ーきょうはどのような思いで弔辞を読まれましたか?

 「やっぱり、こういうふうな形で別れるというのはね、思いもしなかったですから。やっぱり、どっかしらに、お互いに動いていて。それぞれの動きを感じていましたからね。うん。やっぱり長嶋さんは、やっぱり特別な人で、日本の野球界だけじゃなくて、日本そのものに、なくてはならない人でしたからね。だから、ファンの人たちも、私たちと同じように落胆していると思うんですよね。だからまあ、こういう日だけは来てほしくないけれど、来てしまうということなんで。日本にとって残念な日でしたね」

 ー弔辞の中で、王さんが寝坊されたと

 「ああ、はいはい」

 ー寝坊のエピソードをきょう選ばれた理由は何かあるのでしょうか?

 「まあ、表にも出てなかったですしね、だからこそ、まあ、長嶋さんが偶像的になっているけれど、実際はそういう、人間味の多い素晴らしい人だったんだ、というところもね、私はちょっと皆さんに知っていただきたかったんで。ちょっと話しましたけどね」

 ー昨日、今日で色々なOBの方々ともお話しされたと思いますが、長嶋さんの思い出話など、どんな話を?

 「とにかくねえ、いわゆる長嶋さんっていうのは相手にならない人なんですよ。どうやってもね。ケンカすることもできないし、ね、とにかく特別な人だよね。みんなの。

だから、長嶋さんがいつも明るくね、振舞ってくれるんで。試合で勝ったり負けたりしててもやっぱり、切り替えができるしね。そういう点ではまあ、選手というだけの存在じゃなかったですよね」

 ー今、王さんの頭に浮かぶのは笑顔の長嶋さんですか?

 「そうですね、まあ、長嶋さんなりにはやっぱり苦悩もあったと思うんですけれど、それを見せませんでしたからね。我々にはね。常に前向きな、本当にチャレンジ精神旺盛な、やはりとにかく動きが華麗でしたからね。ええ。だから、あれだけ見ると、あれだけで『ああ、かなわないなあ』と思うようなね、プレーぶりでしたね」

 ―最後になりますが、改めて長嶋さんにお伝えしたい言葉などありますか?

 「やはり、とにかく色々とね、感じさせていただいてありがたかったですよ。『あ、こういうこともあるんだ、こういう考え方もあるんだ、こういう表現の仕方もあるんだ』というね。野球選手でも、ただただ野球をやることだけにこだわっちゃいますけれど、長嶋さんはそれをどう表現するかというところまで考えていたようで。やっぱりファンの人の胸にね、わっと飛び込んでいけるものがありましたよね。長嶋さんはね」

 ◆王 貞治(おう・さだはる)1940年5月20日、東京都生まれ。85歳。

早実時代の57年春のセンバツで優勝投手に輝くなど、甲子園には春夏4度出場。59年に巨人入団。77年、756号の世界新記録を樹立し、国民栄誉賞第1号に。80年に現役引退。84年から5年間、巨人監督を務め、87年にセ・リーグ優勝。95年にダイエー(現ソフトバンク)監督に就任し、2008年まで14年間指揮。99、03年に日本一。06年3月には第1回WBCの日本代表監督として、初代世界一に輝く。現ソフトバンク球団会長。

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