ソフトボールで五輪3大会メダル獲得のレジェンド・上野由岐子投手(ビックカメラ高崎)がスポーツ報知のWEBインタビュー「鉄腕ストーリー」で「やっぱり神様っているんだな」と前人未到の通算250勝の大記録を振り返った。第3節のホンダ戦(群馬・太田市)で2点ビハインドの2回に2番手で中継ぎ登板し、5回2/3、計113球を投げ抜き7奪三振、1失点と好投。

打線の援護もあって勝利投手となった。試合後に恩師の宇津木妙子さんから花束を贈られ、笑顔でファンの祝福に応えた。

 18歳のルーキーシーズンの初勝利から積み重ねてきた。試合前は記録に全く気づいていなかったという。

 「正直、全然知らなくて。そんな節目の試合だと思って投げていなかった。試合が終わってからファンの方を見て、『え? 』みたいな感じでした。もともと数字に疎いので、あまり気にしていなかった。今年はいろいろ試していることもあるので、マウンドでああでもない、こうでもないと楽しんでいるというか。投げているときは、そういうことで頭がいっぱいでしたね」

 客席のファンが掲げた手作りパネルの「祝 250勝」の文字を見て、ようやく勝利投手の自身の記録だと気がついた。ルーキーから過ごした群馬での達成だ。

 「全然気にしていなかったけど、やっぱりうれしいですね。

(群馬で)そういうのって計算できるものではない。選手は全試合で勝ちたいし、打たれたくない思いは毎球同じだし。そんな中でチームの地元だったり、25季目の節目の年だったり、こういうタイミングで達成できたのは、神様が用意してくれたいろんなものが、巡り合わさったんだなと。やっぱり神様っているんだなと思いました」

 福岡・九女(現・福大付若葉高)を卒業後、01年に日立高崎(現・ビックカメラ高崎)に入団し、いきなり投手陣の軸を担った。

 「開幕戦でいきなり先発させてもらって、内容とかは全く覚えていなくて。トントン拍子すぎて、ちょっと怖かったなと(笑)1~2年目の若い時は、試合で多く投げさせてもらっていたけど、やっぱりうまくいかないことの方が自分の中では多くて。そうだな~、投げることが楽しかった記憶しかないですね。『もっとうまくならなきゃ』『もっと自分を磨いていかないと、この世界では通用しない』って。そういう楽しさがめっちゃあったなと、今、振り返れば思いますね」

 前身日本リーグで13年に憧れの元米国代表エース左腕のミッシェル・スミス氏の、当時173勝のリーグ最多記録に並んだ。

 「もともと数字には疎いけど、173勝のときは自分の中の憧れだった人を意識したし、やっと追いついたみたいな感覚はありました。ただ、数字は目に見える形なのでわかりやすいけど、自分が追っているのは数字ではないところ。マウンドでの雰囲気や立ち振る舞い、結果、知性…そういったものを含めて、私はミッシェルさんが好きだったし、目標だった。

自分のイメージしている選手にちゃんとなれているのかな。子供たちに『上野選手みたいになりたい』と思ってもらえる選手になれているかなとか。(記録で並び)もう一度、思い返すようになりました」

 16年に前人未到の200勝を達成し、9年を経て、4月に250勝に到達。今季ここまで4勝を挙げ、252勝に積み重ねている。

 「次、何勝を目標にする? と言われても…という感じです。今は先発をしていないので、勝ち星がつく状況は少ない。なので、求めているものは、そこじゃないのかな。2500奪三振もそろそろ? 今は投げているイニングが長くないので、そう簡単には迎えないと思うけど、少しずつ積み重ねていけたら。そのうち、神様が『今だ』というタイミングで達成させてくれると思っています」

 7月に43歳を迎える。投球を追求し、キャリアを重ねるごとに楽しさが増しているという。レジェンド・上野の“投球道”は続く。

編集部おすすめ