◆日本生命セ・パ交流戦 2025 オリックス8―3巨人(15日・京セラドーム大阪)

 オリックス・森友哉捕手(29)と大阪桐蔭野球部時代のチームメートで、ステージ4の希少がんと闘う福森大翔(ひろと)さん(29)が、15日の巨人戦(京セラD)で始球式に登板した。捕手を務めた森のミットにノーバウンド投球を収めると、2人は熱く抱擁を交わした。

試合は1―1の5回、思いを託した森が1死一、三塁から決勝の右前適時打。お立ち台に上がる親友をそばで見つめ、闘病へ決意を新たにした。

 お立ち台のオリックス・森を見上げ、福森さんもこらえることができなかった。「いろんな人に支えてもらっている。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」。京セラDを訪れた過去2試合は無安打だった。希少がんと闘う自身のため、3度目の正直で勝利の一打を届けてくれた親友。ヒーローインタビューが終わるとまた泣き、2人で肩を組んだ。

 森と同級生だった大阪桐蔭3年時、福森さんも外野手で春夏の甲子園に出場した。立命大でも野球をし、卒業後はハウスメーカーに勤務。21年に2つの希少がんが発覚し、24年には複数の転移が見つかった。「全ての希望と気力を失った」。

人口10万人あたり6例未満という病気で、5年生存率はわずか10%未満。ステージ4と進行し、現在も闘病生活を続けている。

 真っ先に病室へ駆けつけてくれたのが、森だった。「まだまだ、前向いて生きていかなアカン」。始球式が決まると、2人でキャッチボール。抗がん剤の影響で、最初は3メートルもまともに投げられなかったが、諦めなかった。この日は、ナインから直筆の激励メッセージとサインが記された森のユニホームでマウンドへ。同校野球部で先輩の西岡剛氏、岩田稔氏も見守る中、18・44メートル先の親友のミットにノーバウンドで収めた。

 「僕たちにできることはないですか?」。森を兄貴分として慕う主将・頓宮も動いてくれた。森とともに通う久米健夫トレーナーのジムで初対面した時に触れた、福森さんの笑顔に感動したからだ。1週間前から選手個々に相談し「福森さんが頑張れる登場曲を」と変更を提案してまわった。

 オリックスの武器はチームワークであり、団結力。2安打2打点の西川がHump Backの「拝啓、少年よ」を選び、紅林は強の「やんちゃ坊主」で打席へ向かった。頓宮のチョイスは、wacciの「大丈夫」。「『頑張れ』って言っても絶対に頑張っている。だからこそ」。福森さんのために―。森に続き、5回に右前へ適時打を運んだ。

 この日は恒例の人気イベント「大阪代表バファローズ高校」の最終日。母校の吹奏楽部も右翼席から特別応援した。「多くの人に、限界なく前向きにトライする姿を伝えられたら」。29歳。超満員のマウンドから見えた景色を力に変え、歩み続ける。

(南部 俊太)

 ◆福森 大翔(ふくもり・ひろと)1995年7月29日、大阪市生まれ。29歳。小学3年で野球を始め、中学時代は大阪都島ボーイズでプレー。大阪桐蔭3年時の2013年に外野手として春夏連続で甲子園に出場し、ともに16強入り。夏は2回戦・日川(山梨)戦でサヨナラ打を放った。甲子園通算19打数9安打3打点。立命大を卒業後はハウスメーカーに入社したが、21年に2つの希少がんが発覚。24年には複数箇所への転移が見つかり、完全寛解を目指し、闘病する日々を過ごす。右投右打。

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