昇格して「20」になる投手が多いなか、新人からつけたのが定岡正二だ。元祖・甲子園のアイドル。

鹿児島実3年の1974年夏、準々決勝で原辰徳擁する東海大相模を相手に、延長15回213球で18三振を奪い、勝利を飾った。同年のドラフト1位で入団し、「20」を背負った。

 ハイライトは81年4月11日の阪神戦(甲子園)。初回先頭打者に二塁打を打たれたあと、27人連続でアウトを取る「準完全試合」をマークした。同年11勝を挙げ、日本ハムとの日本シリーズ第3戦に先発。同シリーズで先発したのは江川卓、西本聖と定岡の3人だけで、「3本柱」と称された。

 翌82年に自己最多の15勝。85年に近鉄へのトレードを通告されるが、これを拒否し、29歳の若さで引退した。現役生活全ての期間「20」を背負った。11年間は、この背番号での最長記録となっている。

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