小学生の時から長嶋茂雄さん(享年89)の熱狂的ファンだったという人気セレクトショップ「BEAMS」の設楽洋社長(74)にとって、強烈な思い出として残っているのが2004年に一緒にゴルフをプレーした体験だ。長嶋さんが脳梗塞(こうそく)で倒れる約2週間前、共にコースを回る中で目の当たりにした姿勢や言葉を、設楽氏は今も指針にしているという。

(田中 雄己)

 原宿の中心に本社を構えるビームスの社長室。ガラスケースには、長嶋さんがフルスイングするフィギュア、サイン色紙、そして長嶋さんと設楽氏の2ショット写真が飾られている。

 「本当に神であり、師であり、太陽。(6月3日に)訃報(ふほう)に接した時は、人生3度目の号泣でした。最初は長嶋さんの現役引退。2度目は会社の体制が揺らいだ時期に、テレビで長嶋さんの『プレッシャーを楽しいと思った時、その人間は本物』という言葉を聞いた時」。そして今回。両親が死去した時も涙は流したが「長嶋さんの時は声を上げて泣きました」という。

 小学1年生の時、長嶋さんが表紙になった雑誌の懸賞で1等の双眼鏡が当たり「長嶋さんにもらったんだ」と傾倒。小学校入学の年に長嶋さんが巨人入りし、大学卒業の年に現役を引退と、共に青春時代を歩んだ。トイレを使う時は右から3番目、ティッシュは3枚ずつ、テレビ音量の調整は3メモリ…。「3」のとりこになった。

「トイレは他が空いていても右から3番目の後ろに並ぶので、気持ち悪がられます(笑)」と徹底している。

 社長就任後、パーティーの席上で姿を見かけることはあったが、足が震えて動けず「憧れ過ぎて、半径3メートル以内に近づけませんでした」。そんな設楽氏に04年、一緒にゴルフをする機会がやって来た。ミック・ジャガーと食事をした時も、スティービー・ワンダーにピアノを弾いてもらった時も緊張しなかったが「長嶋さんは別格でした」。前夜は一睡もできなかった。

 普段の講演会ではアドリブがモットーだが、この時ばかりは単語帳にびっしり会話のタネを書き込んだ。18ホールを回った記憶は、ほとんどない。スタート前の記念写真で肩を組まれた瞬間、「背中から羽が生えて、30センチ浮きました」。

 今でも脳内にこだまするのは、あの甲高い声だ。「ドンマ~イ」「ナイスショ~ット」。そして、誰にでも優しい姿。食事中、ゴルフ場のスタッフから100枚超のサインを頼まれ、ラウンド中は常にファンが後を追った。

それでも、あのスマイルを崩さなかった。「誰にでも同じ態度で接するんですよ。嫌な表情一つしない」

 ゴルフの結果は…。「後ろで神様が見ていると思ったら、空振りもして、全く芯に当たらない。何度も林に入れてしまって」。そんな時、長嶋さんが率先して草をかき分け、一緒にボールを探してくれた。「自分が先に見つけたんですけど、長嶋さんに見つけてほしくて。長嶋さんが手にしたボールは、ポケットに入れて、家宝にしました」

 翌朝テレビを付けると、長嶋さんは青梅マラソンのスターターを務めていた。「長嶋茂雄をやるのは、大変だな」。その2週間後の3月4日、脳梗塞で倒れた。共にしたラウンドは、長嶋さんにとって最後のゴルフと言われている。

 その時に記してもらった2枚の色紙には「強運」「プレッシャーを楽しめ」としたためられている。

「ビームスが『ハッピーライフ』を掲げている根底も、長嶋さんの影響が強いです。元々、太陽であり、神様でしたので、それが本当の神様、太陽になった。光、明るさ、ハッピーを与えてくれる太陽は、この先もいつまでもなくならないですからね」。達筆を眺めながら、設楽氏は会社の道筋をも照らしてくれた長嶋さんに感謝した。

 ◆設楽 洋(したら・よう)1951年4月13日、東京都出身。74歳。慶大卒業後の75年に電通に入社。76年に日本のセレクトショップの走りとなる株式会社ビームスを設立。88年に同社の代表取締役社長に就任。愛称は「タラちゃん」。

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