“超人”ハルク・ホーガン(本名・テリー・ボレア)さんが71歳で亡くなった。世界最大のプロレス団体「WWE」が24日、公式WEBなどで発表した。

 必殺技「アックスボンバー」「ギロチンドロップ」を引っ提げリアル・アメリカン・ヒーローと評されたホーガンさんは、1953年8月11日にフロリダ州タンパで生まれた。「ラッカス」という名のバンドを結成しロックスターを目指したがプロレスラーを志し、23歳だった1977年8月10日、フロリダ州フォートマイヤーズでデビューする。

 ホーガンさんの名前がプロレス界を超えて広く知れ渡ったのは1983年公開の映画「ロッキー3」への出演だった。俳優のシルベスター・スタローンが主演、監督、脚本を務めた作品で主役の「ロッキー・バルボア」と戦うプロレスラー「サンダーリップス」役を好演した。

 翌84年1月23日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)でアイアン・シークを破ってWWF(現・WWE)世界王座を獲得しトップレスラーとなった。

 WWFは、創始者のビンス・マクマホン氏が同年5月に69歳で亡くなり息子のビンス・マクマホン・ジュニア氏が団体のトップに就任した。当時の米国マット界は、WWFはニューヨークを中心とする米東部地区で一大勢力を築いていたがの多くのプロモーターが加盟する組織「NWA」が最大の団体だった。

 この牙城を切り崩すべく新たにトップに立ったマクマホン氏がリング上を託したのがホーガンさんだった。

 身長201センチ、体重137キロの圧倒的な体格と美しい筋肉美。センス抜群のレスリングセンスに客席をを魅了するパフォーマンスは、それまでの「NWA」でトップだったハーリー・レイス、リック・フレアーらのクラシックなスタイルとは一線を画す斬新で革命的なスタイルで全米のプロレスファンのハートをわしづかみにした。

 一方、マクマホン氏は、それまでのプロレス界では常識だった興行を中心に団体の利益を上げていく経営方針からケーブルテレビを使い試合を全米に放送するシステムを導入し利益を拡大。ファンも米東部地区から全米に広がり、NWAは80年代末に崩壊しWWFが全米トップ団体に君臨した。

その全米侵攻を牽引したのがホーガンさんだった。人間に例えればいわばマクマホン氏が頭脳でホーガンさんは肉体だった。この2人のタッグでWWFは、現在につながる世界最大のプロレス団体、エンターテイメント界でも屈指の規模を誇る企業に成長した。

 その象徴的なイベントが85年3月31日にMSGで開催した「レッスル・マニア」だった。

 有料放送「PPV」で全米に生中継したイベントでホーガンさんは、「ロッキー3」に出演した俳優のミスターTとタッグを組みロディ・パイパー、ポール・オーンドーフと対戦した。

 当時、俳優がトップレスラーとタッグを組みメインイベントを務めることは斬新でプロレスのエンターテインメント化に拍車をかけただけでなくムハマド・アリがレフェリーを務め、ゲストに歌手のシンディ・ローパーらが出演するなどプロレスファン以外からも大きな注目を集める仕掛けを敢行した。結果、プロレスイベントとしては異例の400万ドルもの収益を上げ、プロレスの歴史を塗り替えた。レッスルマニアは、現在も世界最大のプロレスイベントとして続いており、今年4月にラスベガスで41回目が開催された。

 その礎を築いたのもホーガンさんだった。現代のプロレスを築いた中興の祖。それがリアル・アメリカン・ヒーローであり「超人」とたたえられたハルク・ホーガンさんなのだ。

 (福留 崇広)

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