◆サンピラー国体記念 第22回サマージャンプ大会 (27日、名寄・ピヤシリシャンツェ=HS100メートル、K点90メートル)

 女子は4月に雪印メグミルクへ入部した一戸くる実(21)が1回目に89・5メートルをマークし、2回目に93・5メートルの最長不倒距離を飛び合計223・0点で初優勝を飾った。男子は佐藤幸椰(30)が2連覇を決め、同社初のアベックV。

2位に佐藤慧一(28)、3位に小林朔太郎(25)が入り表彰台を独占した。1日に19歳の若さで亡くなった元チームメートの坂野旭飛さんに弔い星を届けた。

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 天国の幼なじみが翼を授けてくれた。一戸は「1回目は風もなかったので」と89・5メートルで2位だったが、2回目にK点を大きく越える93・5メートルの最長不倒距離をマークして逆転優勝。シーズン初戦でタイトルをつかみ「風が良かったのは、旭飛が吹かせてくれたんじゃないかと思ってます」と感謝した。

 7月1日、チームメートだった坂野さんが札幌市内のビルから転落して亡くなった。坂野さんの父は昨季までチームの監督を務めていた坂野幸夫氏(49)で、自身の父・剛さん(49=06年トリノ五輪代表)とは競技仲間。「旭飛とは私がジャンプを始める前からの仲でした」と明かした。

 W杯出場経験もある有望株で1学年下の坂野さんを「尊敬していた」と、競技者として一目置いていた。4月に入部して同僚になり「一緒のチームでやれるのが心強かったし、うれしかった」と振り返った。

 突然の別れに衝撃を受けつつも「みんなで沈んでいるのを(坂野さんが)望んでいるわけではないと思う。前を向かなきゃいけない」と、来年2月のミラノ・コルティナ五輪のプレシーズンへ覚悟を持って臨んだ。

1946年の創部以来初の女子選手として、男子と同じ猛練習に取り組み「正直キツくて…」と自らを追い込んだ。

 初の五輪出場に向け重要な意味を持つサマーグランプリ出場のため、来月上旬にはフランスへ向かう。新天地での初Vは「夏の成績が冬に大事になってくる。遠征前に国内で勢いを付けたかったので、ここで1勝できたことは自信になる」と手応えを強調した。

 この日は、伊東大貴監督(49)が持参した坂野さんの写真に向かって、チーム全員で「行ってくるね!」と声をかけ、ジャンプ台へ向かった。「旭飛の分まで頑張ろうと思います」。亡き友はきっと、未来を照らしてくれるはずだ。(飯塚 康博)

 ◆一戸 くる実(いちのへ・くるみ)2004年6月20日、千葉県生まれ。21歳。千葉・検見川小5年時に競技を始め、花園中3年時に全国中学大会優勝。N高から早大に進学し、現在3年生。昨季のW杯最高は10位で、個人総合は24位。

170センチ、57キロ。家族は両親と妹、弟。

  ▽女子 〈1〉一戸くる実(雪印メグミルク)223・0点(89・5メートル、93・5メートル)=最長不倒距離〈2〉佐藤柚月(東京美装)218・0点(90・5メートル、90・0メートル)〈3〉伊藤有希(土屋ホーム)214・5点(88・0メートル、88・0メートル)

 〇…2連覇の佐藤幸が初のアベックVを喜んだ。先に一戸が優勝し「くる実が先に優勝を決めるというシーンが不思議な感覚だったが、すごく力になった」と振り返った。ミラノ・コルティナ五輪を控えるシーズンだが「夏のスタートとしてはよかった。技術の向上を目指す」と8月初旬の札幌3連戦に向け、調子を上げていく。

  〇…53歳の葛西紀明(土屋ホーム)は5位で今季をスタートした。1回目は91.5メートルで4位につけたが、2回目は伸びを欠き88.5メートル。「1回目は久々にいいジャンプができた。(5位は)まあまあかな」と振り返った。今季は「体重を落とすのがつらい」と、浮力を得るためにスキー板を昨季より4センチ長い2メートル47センチに新調した。試行錯誤の最中だが「(8月の)大倉山ではやってやりますよ」とレジェンドは前向きだ。

 ▽男子 〈1〉佐藤幸椰(雪印メグミルク)250・5点(95・0メートル、96・5メートル)=最長不倒距離〈2〉佐藤慧一(雪印メグミルク)243・5点(93・0メートル、95・0メートル)〈3〉小林朔太郎(雪印メグミルク)239・5点(93・0メートル、93・5メートル)

 1998年長野五輪ジャンプ団体金メダリストで、雪印メグミルクの岡部孝信総監督(54)が試合前に取材対応し、急逝した坂野さんを悼んだ。

 坂野さんの笑顔が印象的だったと語り「明るい性格と笑顔でチームの中心的存在でした」と声を詰まらせると「周囲からも深く愛されていて、チーム一同、いまだ深い悲しみと喪失感の中にいます」と大粒の涙が頬をつたった。

 亡くなった当時、同社関係者は同行しておらず、警察から事件性はないとの報告を受けた。一方で、未成年だった坂野さんの体内からアルコール成分が検出されたことに「厳粛に受け止めてチームスタッフ、スキー部の活動を一定期間控え、謹慎していた」と説明。指導陣の謹慎期間を経て、今大会から活動を再開した。「チーム一同、坂野選手の志を胸に今後も競技に全力で取り組んでいきたいと思っています」と頭を下げた。

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